後編
次に来た客は、小さな子どもだった。
「お兄さん鱗頂戴」
「はいはーい。ちょっと待ってね」
「待ってって、手放すかどうか考えるってこと?」
「え?」
子どもはにこにこしながら僕を見あげている。
「鱗には神秘的な力が宿ってるから」
「ああ…これは仕入れた鱗だから僕には関係ないよ」
「ほんとに?」
じっとみつめてくる子どもの瞳が、一回り大きくなったような気がした。サメみたいで、思わず身が竦む。
ここはもう、サメに食べられることに怯えて暮らさなきゃいけない海じゃないのに。
「うん」
「そう。じゃあこれで足りるかな?」
鱗を子どもに渡すと、子どもはそれを口に放り込むと、ガチャガチャと音を立てて噛み砕いた。
それは人魚がサメに足を噛まれた時と同じ音。
人魚はサメに捕まった時足からあの音がして、生きたまま食べられる恐怖に怯えながら喰われていく。
「ごちそうさま、またね」
そう言って子どもはスキップしながら人々の間をすり抜けて行く。
何となく海に飛び込んだ気がするけど、気のせいだと思い込ませる。
海面には背鰭がぐるぐるしていた。
「気持ちわる…なにあれ」
今日はもう店を終わりにしようと思ったところで、最後のお客が駆け込んできた。
さっきまでの流れだと海の神でも来そうだったから「ああ?」って不機嫌に振り返っちゃったけど、良い身なりの観光客でちょっと焦る。
「もーしわけありませんお客様。ちょっと体調が悪くて機嫌が悪くなっちゃって…」
「構わないよ。そろそろ頃合だろうし、仕方ないさ」
頃合?
「この鱗が最後かな?」
「はい」
「人魚にとって鱗は海の力を宿したもの。それでも最後の一枚の鱗を私に売っていいんだね?」
なんなんだよ。気味悪い客ばっか気やがって。
「ええ、商品ですから。だからさっさとこんな寂れた屋台から去って、その鱗で願いを叶えたらどうです?」
「そうだね。では鱗に願おうじゃないか。君にも是非聞いてほしいな」
太陽に照らすと緑色の光を放つオレンジ色の鱗を、人差し指と親指でしっかりと掴み、男は願いを口にした。
「鱗よ、私の願いを叶えておくれ」
男の低い声に寒気がした。
「私の海で死んだ人間の、叶わぬ願い根源に私が生み出した人魚と言う作品が、今台無しになろうとしている」
は?
「そんな作品が世界を歩き回る前に、この人魚が手に入れた人の足を腐らせてしまおう」
嫌な予感がして足を見れば、両足とも壊死している。
「ふざけんなよッ。人魚みたいな神秘的で?海の力を宿した?変な生き物より、人間になりたかっただけじゃんッ」
男はほっとしたように、もう用済みの鱗を手放した。 鱗はひらひらと風に舞って海の方へと飛んで行った。
「私の人魚作品を侮辱するなッ」
客が店主を殴ったとなれば、誰かしらが助けてくれるはずだ。
どうやら僕人魚の作者───海の神に鱗を売ってしまったようだ。
馬鹿な海の神め、僕は足が壊死しても最後の鱗を売った瞬間から人間なんだ。
僕の願いはひとつ叶った。
「せっかく神秘と海の力を組み合わせて君を作ったのに、海からの恩を仇で返す者の末路は決まっている。それじゃあね」
ふわりと姿を消した奴は、海の香りのする風になって僕の前からやっといなくなった。
「満潮になるぞ〜」
「みんな道に海水が来るからねっ」
「おーい誰か助けてくれぇ。足が動かなくなっちゃったんだ」
僕の呼び声に気がついた何人かの人が、助けに来てくれた。
が…
「サメよッ」
僕の手を肩に回して、両側から支えてくれていた一人が大声で叫んだ。
「早く逃げよう。こいつは俺がおぶる。走れば建物の中へ間に合う」
真っ黒な目をしたサメが突如、ギザギザの歯を見せながら喋った。
「人魚は大好物。海の力と神秘を今日だけは特別に使ってもいいってあの人に言われたから、せっかくのごちそうを逃さないために使っちゃおう」
そい言ったサメが不気味にくつくつ笑うと、人々は忽ち安堵したように胸をなでおろした。
「なあんだ、女の子じゃないか。サメの背鰭なんてつけて泳ぐんじゃないよ」
「サメじゃないなら急がなくたっていい。今船を持ってきてやるから、それに乗って医者に行こう」
僕を助けに来てくれた人達はみんな僕を置いて船を取りに行ってしまった。
サメは一人になった僕を見て、数多の色の鱗が挟まった歯でにんまりと笑う。
鱗を取られるよりも恐ろしいことがやっとわかった。
鱗を売って自分の手元からなくせば、人間になれる。
けど 人魚を生み出した海の神の怒りをかって、人の足を奪われる上にサメの餌にされるのだ。
動かない足を無視してひっしに腕で泳いで逃げるが、サメの口が迫ってくる方が早かった。
生まれ変わったら、人間になりたい。
願いの叶う鱗 青時雨 @greentea1
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