第20話 勝利の果実

 現実に帰還して早々、俺は身体の自由が効くのを確認できた。アカメの首元から、そっと腕を離す。


 アカメが弾かれたように振り返ってきた。


「先輩……ですよね?」


 俺はアカメに力強く頷きかける。


「待たせて悪い……もろもろ、解決してきたわ」


 アカメがポロポロと涙をこぼす。感極まって俺にすがりついた。


「ホントなのです……心配かけないでほしいのです!」


 俺はアカメの背をなでさする。


「俺はもう大丈夫だ! ぜんぶ吹っ切れた! ……いい加減、ケリをつけたい。手伝ってくれるか?」


 アカメが俺の手をとって立ち上がる。


「みなまで言うな、なのです!」


 俺とアカメが並んで視線を飛ばす先――


「なんだと……?」


 アングルイアがうめいていた。その鉄面皮にヒビが走る。


「レーヴァフォン、汝はなにをしている? なぜ我の命に従わずにいられるのだ?」


 俺はアングルイアに気炎を吐く。


「お生憎さま……俺はもう貴方の操り人形じゃないんスよ! とびきりウザくて、だけどサイコーなダチのおかげでね!」


 ローゲラの手で昇華された勝利の果実の効果によって、俺は本能誓約の無効化に成功している。

 前世の業を払拭したいという俺の望みをかなえてくれたのだ。


 アングルイアが顔を引きつらせる。表情の変化こそ些細ささいであるものの……母なりに最大級の驚きを表現しているのだろう。


「……ローゲラの仕業か。あの道化め、得体の知れぬ手品を……いまいましい」


 アングルイアがわずらわしげに身じろぎした――途端、その影がひとりでに動き出した。

 いや、影に擬態していただけだ。その本質は黒い泥――生命の坩堝である。


 黒泥から異形の怪物が這い出してきた。


 黙示獣の死骸ではない。アングルイアが死骸を素体として生み出した新種の生命体だ。

 その名は眷獣、アングルイアの矛であり盾だ。


 アングルイアが腕を振るい、眷獣を俺たちに差し向けてくる。敵意を振りまきながらも、どこか他人事のようだった。


「ま、構わぬさ……予定がズレこんだだけのこと。ひと息に呑みこんでくれよう」


 おびただしい数の眷獣が、俺たちに押し寄せる。そのさまは雪崩のようだ。


 俺はするどく声を発する。


「いくぞ、アカメ! 遅れんなよ!」


 怖気をこらえるように、アカメがカタナを握り直す。


「はいなのです! 先輩とだったら! どこまでも突き進めるのです!」


 俺たちは敵の戦列を食い破らんと、正面から突っ込んだ。


 アカメがカタナを縦横無尽に振り回した。斬撃を網のように放つ。


 その網目を抜けて、眷獣の一体がアカメに肉薄しようとする。


 俺はそいつを横合いから殴り飛ばした。


 いまの俺は絶好調、前世がえりを自分のものにしている。いまだ全盛期には遠いものの……どうにか、アングルイアに対抗できていた。


 眷獣は生物の一種、生きているのであれば殺せる。

 アングルイアの手勢が見る見るうちに減っていく――かと思いきや、そう上手くはいかなかった。


 俺たちが殺した端から、黒泥が眷獣の死体に這い寄って呑みこむ。


 黒泥が不気味に振動するや、眷獣の新個体を量産してのけた。


 ある生物を吸収して別の生物を生産する――それがアングルイアの真骨頂だ。


 生物を殺せば殺すほど、アングルイアの軍勢は規模を拡大していく。

 破竹の勢いで王都を呑みこみ、いずれ世界を滅ぼすつもりなのだろう。


 アカメが四方八方を駆け回りながら毒づく。


「生徒会長の比ではない……まさに雲霞のごとし! クソみたいな塩戦法を仕掛けてきやがるのです!」

「弱音を吐くな! 俺もえちまう!」


 俺はアカメを叱咤した。手足に黒炎をまとわせ、打撃を雨あられと繰り出す。


 その軌道上、黒炎が中空に滞留していた。


 黒炎に巻かれた眷獣が、すみやかに灰化していく。


 いかにアングルイアといえど……灰化した死骸を取りこんで、生命創造の素体にすることはできない。

 着実に兵力を損耗しているはずなのだ。


 しかし、眷獣は際限なく湧き出てくる。その頻度と頭数たるや……生徒会長の操った死骸の軍団なんて児戯にひとしい。


 俺は砂漠に植樹するような不毛さを感じていた。


 しかもアングルイアの手札はそれだけではない。


「存外と、しぶといな……ダメ押しが必要か」


 アングルイア本人が俺たちに攻撃を撃ってきた。雷槌やら炎弾やら氷刃やら……色彩鮮やかなオンパレードである。


 多種多様な射撃が俺たちに殺到せんとしていた。


 俺とアカメはそそくさと威力圏から逃れ出でる。


 着弾した射撃、その暴威が吹き荒れた。アングルイア自身の手駒であるはずの眷獣が巻きこまれようと、お構いなしである。


 アカメがギョッと目をむく。


「これは……いったい!? アングルイア神の権能は生命創造だけのはず! 複数の能力を使いこなすなんて不可能なのです!」


 俺はアカメに向けて推測を口にする。


「たぶん……洗脳した生徒の権能を奪い取ってんだろうよ」


 アングルイアの生命創造は、単純な代物ではない。

 ある生物を吸収した際、その能力をも抽出できる。抽出した能力を、新造する生命体に付与できるのだ。


 前世の俺も、数多の能力を混ぜ合わせて生み出された。


 その応用として、アングルイアは支配下にある対象の権能を、我が物としているにちがいない。


 学園内には洗脳の解けていない者が多数、残されている。彼らが使っていた権能は……いまやアングルイアの手中にある。


「横紙破りしてるわけじゃない……そういう芸当も、生命をつかさどる権能の一部ってことなんだろうな」


 俺は苦虫を嚙み潰したようにうなった。


「このままではジリ貧なのです!」


 アカメもほぞを噛んでいた。


 ……ひとつだけ、俺には策がある。成功するかは微妙だが……決断の時かもしれない。


「アカメ……力、貸してくれ」


 俺はおもむろにアカメの手を握った。


 アカメが不思議そうに目を丸くする。しかし俺の手を握り返してくれた。


「……? よくわかりませんが! 拙者にできることなら、なんなりと!」


 俺は神気を溜めて集中していく。


 アカメと接続したことで、ほかをすり抜けて狙った対象だけに命中させる攻撃方法を、俺は感覚的にまなべた。

 アカメが俺の影響を受けて成長できたように、俺もアカメを手本に新たな境地へ到達できるのではなかろうか。

 すなわち狙った対象だけを燃やせるように、俺の黒炎の性質を変化させる。


「死んだら恨んでくれていい」


 俺は遠くの生徒たちに呼びかけた。次いで、黒炎を最大出力で放出する。


 俺を中心として黒炎が円状に拡大した。爆発的な勢いで学園全体を包みこんでいく。

 黒炎が過ぎ去ったあと――


「……汝、やってくれたな?」


 アングルイアが俺をにらみつけた。黒炎をまともに浴びたはずだが……その身に傷一つない。


 それも当然、俺が狙ったのは傀儡生徒に寄生する肉片だけだったから。

 誰ひとり灼くことなく、洗脳の解除に成功できた。俺は冷や汗を流す。


「ふぅーっ、上手くいってよかったぜ……あやうく虐殺者になるとこだった!」


 これで生徒たちはアングルイアの支配を脱した。

 アングルイアはもう他者の権能を使えまい。


 俺は手の握り開きを繰り返して、新たに得た力の実感を確かめる。


「進化した黒炎なら! 遠慮なく振り回せるってもんよ!」


 これまで俺は黒炎の出力をおさえていた。加減をまちがえれば、アングルイア――に身体を乗っ取られた生徒会長を殺してしまうから。


 しかし今後は心配無用。眷獣だけを狙って焼くことができるのだから。


「アカメ、俺が道を切り拓いてやる! 決着つけてこい!」


 アングルイアにトドメを刺すのは俺ではない。アカメだ。


 俺の求めに応じ、アカメが深く腰を落とす。嚆矢のように駆けだした。


「合点承知、なのです!」


 眷獣たちがアカメの行く手をさえぎる。


「させるわけないだろ!」


 俺は黒炎の大津波を荒れ狂わせた。一匹残らず、眷獣を消滅させる。


 アングルイアのもとにつづく一本道が出来上がった。


「あまりナメてくれるなよ……我の怒りを、絶望を」


 アングルイアが即座に反応、黒泥から眷獣の大群を生み出していく。


 俺はそいつらを燃やし尽くす。


 そうすると、アングルイアが再び軍勢を呼び起こして……イタチごっこが展開された。


 その間にも、アカメがアングルイアとの距離を詰めていた。


 しだいに、アングルイアの表情が張りつめる。


「レーヴァフォン、汝は兵器でしかない。そうでなくてはならぬ――はずなのに、なぜ余計な感情に支配されている? ……そんな機能を与えた覚えなぞ、我にはない」

「俺はとっくに親離れしてるんスよ! 『三日会わずば括目せよ』って言うでしょ? 俺は縁に恵まれてる! 貴方が与えてくれなかったものを! 俺に与えてくれた奴がいたんでね!」


 俺と対話するうち……ついに、アングルイアが声を荒げる。


「愚かしいことを……汝をそそのかした者どもを! あまさず轢殺してやりたいわ! 絆なぞ束の間のまやかしにすぎぬ! なぜそれを介さぬか!」


 それと同時、アカメがアングルイアを間合いに捕捉する。


「分からず屋は、御身のほうなのです!」


 アカメがアングルイアに斬りかかった。


 狙うは一点、「アングルイアが生徒会長と契約した」という因果だ。

 その過去を切断ひていすれば……生徒会長を解放、アングルイアを無力化できる。


「死は断絶なんかじゃない! 御身の胸に、ご子息の想いが残っているはずなのです! なぜ、そこまで否定しようとするのですか!?」


 アングルイアがアカメを迎え撃つ。

 身を守る軍勢がなくとも……アングルイアは古き大神だ。その格闘技能はあなどれない。


 ふたりの女が力と言葉をぶつけ合う。


「その浅薄な口を閉じよ! 生に執着する輩の世迷言なぞに! 惑わされると思うてか!」

「血迷ってらっしゃるのは御身の方なのです!」

「我が狂っている? ――その通りだとも! 子供たちの死を経てもなお、どうして正気を保てようか!」


 アングルイアが悲痛な叫びをほとばしらせた。


 相手の矛盾を貫くように、アカメが目を細める。


「それほど愛してらっしゃるならば……どうして会おうとなさらないのです?」

「…………」


 アカメに問われ、アングルイアが声を詰まらせた。


 霊体となった神は、世界を寄る辺なくさまよう。現実に影響を及ぼせない孤独な存在だ。

 俺の兄弟もそうなっているはずである。


 アカメの言葉通り、死は永遠の別れではない。

 アングルイアはその気になれば、我が子を探すこともできた。おたがいに死んだ状態であろうと、再会できれば嬉しいだろうに。


 しかし、アングルイアはそうしなかった。世界を滅ぼすことに注力した。


 それはなぜか? アカメがアングルイアの核心をつく。


「怖かったのでしょう?」

「……だまれ」

「御身は憎悪にまみれ、すさんでしまわれた……堕ちた姿を、ご子息に見せたくないのでは?」

「だまれと言っている!」


 アングルイアが必死の形相で咆哮した。取り澄ました面をかなぐり捨てている。

 万事に無関心――というのは偽りの仮面だ。心の閾値が飽和していただけ。アカメに揺さぶりをかけられ、かつての想いをよみがえらせた。

 激情を持て余して狂い哭く。それが母の本性なのだろう。


 アカメがなおもアングルイアを言葉で追いつめる。


「『今さら合わせる顔がない。もとの関係には戻れない』――御身はそう決めつけ! 真の願いをあきらめてしまわれた!」


 俺の兄弟を見つけ出して、もう一度だきしめたい。アングルイアはそうこいねがっているはずなのだ。本当にやるべきことから目をそらしている。

 心の空虚を埋めるため「世界を滅ぼす」という御大層な目的に逃避しているだけだ。


「御身はただの意気地なしにすぎません! 八つ当たりで世界を滅ぼされてたまるか、なのです!」

「…………」


 本音を言い当てられてか、アングルイアが黙りこんだ。アカメを仇敵のように凝視している。


 アカメがアングルイアの打撃を避けざま、その間隙にカタナを滑りこませた。

 母の体内に循環する運命の糸めがけて。狙い過たず、特定の因果に刃を命中させるが――


「性懲りもなく……以前の二の舞であると分からぬか!」


 アングルイアの糸が頑丈すぎて、カタナをはじき返されてしまう。


 しかし、それで動じるアカメではない。おなじ失敗を繰り返すタマではないのだ。


「ならば、いくたびでも切るまでのこと!」


 アカメが跳ね返された反動を利用し、クルリと旋転した。そのまま二の太刀を繰り出す。

 正確無比に、おなじ箇所を切りつけた。


 何度も何度も、執拗に……因果の糸がちぎれるまでアカメの追撃がつづく。


 そうはさせじ、とアングルイアが猛った。驟雨のような乱打をアカメに見舞う。


 しかしアカメには通用しなかった。かすみのように回避されてしまう。


 やぶれかぶれの心情で、曇りなき意志を打破できる道理はないのだ。


 アカメがアングルイアを痛烈に喝破する。


「ご自身がなにをなさりたいのか! なにをしなければならないのか! 頭を冷やして考えやがれ! 反省して出直してきやがれ、なのです!」


 何十回目かの斬撃が……とうとうアングルイアの因果を切断した。


 途端、アングルイアの姿が黒泥のかたまりとなってほどけた。


 その中から生徒会長がまろび出てくる。意識を失っているようで、そのまま床に突っ伏した。


 アングルイアだったもの――黒泥が大気に溶けるよう消失していく。


「……手厳しいことを言う。さすがの我もこたえた」


 どこからともなく、アングルイアの声が聞こえてきた。


 生徒会長との契約が解除された以上、アングルイアは流浪の霊体にもどった。


 じきに、この気配も途絶えるだろう。


 姿形なき神霊――アングルイアの意識が苦笑をにじませる。


「娘よ……汝の言葉は、我の胸を打つものであったよ。よもや、か弱き人間に教えられようとはな……清冽なかがやきであった。我のような亡者には目の毒よ」


 その口調から強迫観念のかげりが削ぎ落されている。戸惑うようでありつつ、晴れ晴れとしていた。


「我は己を見つめ直さねばならぬようだ……ままならぬのは神も人も同じよな。永い道のりになるだろうて」


 どうやらアカメの真摯な訴えが、アングルイアに届いたもよう。


 アングルイアが今後どう動くのかは不明、その影響は未知数だ。未来は運命の神にさえ見通しきれないのだから。

 しかし今回のような災禍をもたらすことは二度とあるまい。予知できなくても、それくらいは分かる。


「人の寿命は短い。これが今生の別れとなるやもしれぬ……ゆえに娘よ、礼を言うぞ。汝の生に幸あらんことを!」


 アングルイアの意識がアカメの勝利を寿ことほいだ。慈愛の女神とうたわれた過去、その片鱗をかいま見せる。


 アングルイアの誠意に応じ、アカメが敬虔な信徒のようにひざまずく。


「僭越ながら……御身がご子息と再会できることを祈らせていただくのです」


 アングルイアの意識が忍び笑いをもらす。


「ふふ、おかしなことを言う。祈りはなんじらわれらにささげるもの……神の願いを叶える者は存在せぬ。その祈りが何者に届くのやら」


 アングルイアの意識が満足げに吐息をついた。次いで、ためらいがち俺に語りかける。


「……レーヴァフォン。汝には苦労をかけた……すまなかったな」

「ほんとですよ! もう二度と、厄介ごとを持ちこまんでくださいね? 省エネが俺のモットーなんで!」


 俺はついつい憎まれ口を返した。

 正直、俺はこれまでアングルイアのことを母親と思えなかった。生まれる前に死んでいたし、相手も俺を息子と認めていなかったし。


 しかし今、ようやく……アングルイアは母親として俺に向き合おうとしてくれている。

 いきなりすぎて、俺はどう接していいのか分からなかったのだ。


 アングルイアの意識が気まずそうに声をしぼりだす。


「レーヴァフォン、汝には我を責める権利がある……我の気配が途切れぬ内、あらんかぎりの罵声を浴びせるがいい」


 黙って受け止めるとばかり、アングルイアの意識が俺の様子をうかがっていた。


 そんな母の気配を感じ取り、俺の腹は決まった。小難しく考えるのはやめだ。いまだ家族という実感もないが……誠意に応える心構えはできていた。


「いえ、遠慮しときます。憎悪そういうの、苦手なんで」


 憎しみの連鎖がどれだけの悲劇を生むのか、俺はよく知っている。

 負の感情は生命の宿痾しゅくあだ。ぬぐいきれないだろうし、闇にとらわれてしまう者を一概に否定できない。


 しかし俺はそうなりたくないのだ。自由でありたい、視界を汚したくないから。


「お袋どの、貴方はさんざん苦しんだ。そろそろ解放されてもいいでしょ……俺も祈りをささげとくッス! 俺の兄弟に会ったら『不肖の末弟は元気にしてる』って伝えといてください!」


 アングルイアがハッと息をのむ。


「この期に及んで、我を母と呼んでくれるのか……いや、だからこそ……」


 アングルイアが勝手に納得したような呟きをもらした。


「ならば我も祈らせてもらおう……我にその資格はないが……汝はもはや兵器などではない! ひとりの人間として! どうか健やかに生きよ!」


 母親が息子の身を案じながら、ひっそりと気配を隠した。

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