第19話 暗躍の地母神
生徒会長が契約したのは、戦争をつかさどる神霊。
俺たちはそう錯覚していた。本人でさえ誤認していた。
しかし、その正体はアングルイアだ。
アングルイアの権能は「生命活動に干渉する」能力だ。
死骸を操る能力はフェイク、そう見せかけていたにすぎない。
アングルイアは契約した相手――生徒会長さえ、だましていた。
これは俺の想像だが……アングルイアは生徒会長の精神をイジっていたのかもしれない。
そうであれば、生徒会長が思い詰めていたことにも説明がつく。
生徒会長の行動はチグハグだった。ある時は生徒を殺そうとしながら、またある時は生徒への配慮を見せた。
その齟齬は、ふたつの意志が介在していたからではなかろうか。
アングルイアは生徒の殺害を望み、生徒会長は生徒を導こうとしていた。
生徒会長に憑依し、その身体を乗っ取る機会をうかがっていたのだろう。
すべての布石がそろい……まさに今、その企みが結実した。
俺はアングルイアに呼びかける。
「はじめまして……って挨拶したほうがいいスか、お袋どの?」
アングルイアが不快そうに顔をしかめる。
「我を母と呼ぶな。人形の分際で」
俺は苦笑する。
「すんませんね……貴方の登場にビックリ仰天してるもんで」
アングルイアがため息をつく。
「出来損ないめが。汝には呆れ返るばかりよ。我の命令をまっとうできずじまい……あまつさえ生まれ変わってもなお、我の命令にそむくとはな」
「いやー、俺は過去を引きずらないタイプなんで」
アングルイアが俺――いや、すべてから興味を失ったように視線を外した。怖気を催すほどの神気をほとばしらせる。
「まあ、よい……我がこの手で生命を根絶やしにするだけのこと」
殺意をむき出しにしながらも、その表情が冷え切っていた。
千年前から何ひとつ変わっていない。死んでもなお、世界を滅ぼしたいと一途に願っているようだ。
アングルイアは生徒会長の肉体に、みずからの意識を表出させている。降神術という学問で言うところの暴走状態だ。
その力は生徒会長を凌駕する。生前には及ばずとも、王都を更地化するには十分だ。
アカメがアングルイアの前に立ちはだかる。
「御身という
アカメの膝が笑っていた。
「先輩は出来損ないなんかじゃありません! 拙者の大切な人なのです!」
アングルイアが
「なんだ、娘よ。やぶからぼうに……もしや、そこな人形を好いておるのか?」
それだけで、アカメが窒息したようにあえぐ。
「あっ、ぐ――!」
「おなじ女として理解できるぞ……愛は抗いがたき
アングルイアが無味乾燥とした呟きをもらす。
「この手に残されたものは、
アングルイアが遠い目をしていた。はるかな過去、俺の兄貴と姉貴――子供たちと過ごした日々を振り返っているのかもしれない。
俺の兄弟は神々の戦争に巻き込まれて死んだ。その嘆きが
神といえど、時間を逆行することはできない。それが世界の理なのだから。
「……一緒にするな、なのです!」
アカメがアングルイアの呪縛を振り切った。
「考えたくもないですが……たとえ先輩が死んだとしても! 思い出は胸にしかと刻まれているのです! 故人に恥ずかしくない人生を送らなければならないのです!」
アカメがアングルイアに
「拙者は絶対に! 御身のようにはならない! 毒親なんてお呼びじゃないのです!」
アングルイアが肩をすくめる。
「世の真理を受け入れられぬか……やはり、な。かつての我もそうだったのだから」
アングルイアが俺に視線を移した。
「ガラクタだとて……最後くらいは役に立ってもらおうか」
母の凝視、その不吉さに俺は身震いする。突如として身動きがとれなくなった。
「……っ!? 俺に何した!」
アングルイアに詰問した矢先……その気がなかったにも関わらず、俺は前世がえりしていた。
「
よって強制的に前世がえりさせることも可能である、とアングルイアが語った。
「なにせ、本能誓約を汝に与えたのは……他ならぬ我なのだから。生前の我が身をささげて、な」
アングルイアがそばにいることで効力が高まっているのか、俺は口もきけなくなる。
「先輩!」
アカメが心配そうに駆け寄ってくる。
俺の身体が返答代わり、アカメに殴りかかった。
「くっ!」
アカメが大きく飛び退いて俺の拳の間合いを脱する。
心の中で絶叫しながら、俺の身体が追撃に打って出る。
アカメが決死の体さばきを披露した。俺の身体の連撃をすんでのところで回避していく。
以前のアカメなら反応もできず死んでいただろう。
未来視の精度が、目覚ましく進歩している。俺の身体の隙をうかがっていた。
俺の運命の糸――「前世がえりさせられた」という因果の切断を狙っている。
アカメの成長を我がことにように喜ぶ一方、俺は絶望してもいた。
どれだけ意気込んだところで……結局、俺は兵器にすぎなかった。
アカメの死の運命、その正体こそが俺なのではないか?
俺の身体がアカメをこの手にかける。未来はそう決まっていた。
巡り巡って、この結末にたどりつく運命だった。
すべては徒労――どころか、まんまと運命の終点に飛び込んでしまったのではないか?
俺の中で疑念が際限なく膨張する。
俺の意識をよそに、戦闘が続行されていた。
俺の身体の加速に、アカメが
アカメが俺の身体の打撃を避ける――ことができなかった。拳の端っこに接触してしまう。
「どぅえぶああ――っ!」
アカメが九の字に折れて、かっ飛んでいく。神殿の列柱に激突して何本もブチ折り、床を跳ね転がった。
「なんの……これしき、なのです!」
アカメが受け身をとって衝撃の勢いを殺した。血反吐をぬぐいながら立ち上がる。
激突を幾度も重ねるうち、あやうい局面が頻発した。
アングルイアが一連の様子を傍観している。
「娘よ。愛を失う前に、愛によって滅ぼされるがいい」
その目が色あせていた。なんの光も宿していない。
アカメが反撃のチャンスを見計らっている。
そして、その時がおとずれた。
回し蹴りをかわしざま、アカメが俺の懐に飛びこんだ。腰だめにカタナをかまえ、狙いすまして突きを放つ。
しかし――
「あいにくだったな、娘よ」
俺の「前世がえりさせられた」という因果を切断することはできなかった。糸の強度に負けて、カタナが弾き返されたのだ。
アングルイアがその理由をアカメに語って聞かせる。
「運命に対する影響力が強いほど、その
アングルイアが俺にかけた縛り、その効力は絶大だ。その
俺自身の意志で前世がえりしたのとは訳がちがう。
アカメが体勢を崩していた。
その隙を見逃さず、俺の身体がアカメに組みついた。その首に腕を回して絞め殺さんとする。
アカメの両腕がギチギチと軋んだ。
「ねえ、先輩? たとえ、どうなろうと……拙者は後悔しない。先輩を恨んだりしないのです」
アカメが青白い顔で俺に呼びかけた。
「先輩のおかげで生きることが楽しいと思えた。その事実は誰にもくつがえせないのです」
激痛に見舞われていようとも、アカメが言葉を紡ぐのをやめない。
俺は逃げろと必死でアカメに訴えていた。しかし届くことも叶うこともない。
「むろん拙者だって死にたくないのです――けれど、拙者の亡きあと、先輩が苦しむほうがイヤなのです」
己の死を覚悟してか、アカメが遺言めいた口上を述べた。
「どうか気に病まないで……先輩にだったら殺されてもいいのです」
満面の笑みを浮かべながら、アカメがそう言ったのだ。
その表情に見惚れてしまったものだから……俺の感情がとめどなくあふれ出す。
ふざけるな……ふざけるなよ!
これほど俺を想ってくれる子を、殺してたまるか!
たかが前世の業ごときに、アカメの命をゆずってやるつもりはない!
気後れしてなどいられない。俺が前世で重ねた罪、その罰をアカメが代わりに与えられるというのなら……知ったことか、と開き直る。
あれほど忌まわしく思った力を利用してでも! すべてをひっくり返してやる!
まとめてかかってこい! ことごとくを返り討ちにしてやろうじゃないか!
アカメを守るため、積極的に力を振るいたい。
俺は生まれて初めて、そう思った。
直後、俺の意識が別の場所に運ばれていく。肉体を離れて深く深く……因果の奥底へと。何者かに引きずりこまれるかのように。
★ ★ ★
落ちていく墜ちていく、どこまでも果てしなく。
やがて、俺の意識体が降り立ったのは白い空間だった。
いや、これを空間と呼んでいいものか。天と地の境目がない。何にも染まらない純白が広がっているばかり。
地面の傾斜も天井の高さも奥行きの深さも、まるで判別できない。
俺という存在が場違いに思えた。意志ある者が踏み入ってよい所ではなさそうだ。
「やあ、千年ぶり」
俺が周囲を見回していると……だれかに呼びかけられた。
弾かれたように振り向いた先、俺とおなじ異物が立っている。
そいつは形容しがたい外見だった。老若も性別もあいまい、ゆらめく人影である。
運命の神ローゲラ。俺の前世からの友だ。
ローゲラがこちらに手を振っている。
「レーヴァフォン――いやレイヴンと呼ぶべきかな?」
俺は肩を怒らせてローゲラに詰めよる。
「どっちでもいい……そんなことより! ようやくツラ見せやがったな! お前のせいで、どんだけ振り回されたと思ってんだ!?」
ローゲラが素知らぬ顔でクツクツと喉を鳴らす。
「言っただろ、責任は取ってもらうって? ボクのおもてなしに四苦八苦してるようで、なによりだ」
俺は吐息をついて怒りを鎮める。
「……そうだった。お前はそういう奴だよな。忘れてたわ」
ローゲラには他者の奮闘を冷笑する悪癖がある。その言動にいちいち腹を立てていては身がもたない。
それに……今、やるべきはローゲラを糾弾することではない。
「聞きたいことは山ほどある。まず……ここ、どこだ?」
「世界の一部でありながら何処でもない場所、隔絶された別天地さ」
ローゲラが俺の質問に即答した。
「ここには全てがある……だからこそ、なにもない。ボクは
ローゲラが周囲を指し示すように両手を広げた。
抽象的な言い回しが多くて、その説明がイマイチ理解できない。俺は眉をひそめた。
そんな俺の様子を流し見て、ローゲラが肩をすくめる。
「あらゆる生命、その魂はここで生まれた。誕生の因果をさかのぼった先、運命の出発点とも言えるかな……噛み砕いていえば、ボクら神さえ支配する世界の理そのものだよ」
俺は小首をかしげる。
「スケールがデカすぎて、しっくりこないな……」
ローゲラが片眉をはね上げる。
「だろうね。いち生命の身ではアカシックレコードの全容を認識するのは不可能だ」
実感は湧かないが、俺が
「それで? 俺がここを訪れられた理由は? お前に対面できた事とも関係あるのか?」
ローゲラが我が意を得たりとばかり頷いてくる。
「キミは、ボクの手で運命共同体――たがいの心身が接続された状態となった。ふたつであるはずの心身が、ひとつとなっているのさ。その矛盾によってキミは世界から
ローゲラが身を乗り出した。俺の胸板を指でトントンとたたく。
「分かるかい? キミは世界の理、その外側にはみ出しているんだよ……世界の原則にしばられることなく、このアカシックレコードへと侵入できるほどに」
ようするに世界を騙しているということか。俺を転生させた時とおなじだ。
「ボクは肉体を失った。霊体のままでは外界に干渉できない――けれど、この場所でならキミと奇跡の再会を果たせるのだよ」
ローゲラが俺を運命共同体にしたのは、この場所で合流するためだったのだろう。
「お前、すべて
俺の苦言を受け、ローゲラが降参という風に諸手をあげる。
「そこはご容赦願いたいね。ボクの
「もっと早く、俺をこの場所に連れてこれなかったのか?」
「ムリだね。到達条件を満たしたのが、ついさっきだし」
ローゲラがあっけらかんと答えてきた。
「危機が迫っているのに、手をこまねいているのは性に合わない。ボク以外のヤツが世界を壊そうとするなんて許せないだろ?」
ローゲラの眼光が煮えたぎっている。世界を守りたいと素直に言えないのだろう。こいつのこじらせぶりは健在である。
だから彼女を利用したのだ、とローゲラが告げてくる。
「ボクのしもべ、名前はたしか……アカメ・トゥケルなんちゃら、だっけ? 彼女はよくやってくれたよ。ボクに誘導されてキミと信頼関係を築いてくれた」
「お前、自分の契約した人間の名前もうろ覚えなのかよ……」
俺に呆れられようと、ローゲラが懲りた風もない。
「この場所にたどり着くためには、キミとアカメがシンクロ――心を通わせる必要があった。キミ自身にも覚えがあるだろう?」
ローゲラが目をすがめて問いかけてきた。
「…………」
俺は無言で目を閉じた。アカメと駆け抜けた日々、その思い出がまぶたの裏に流れていく。
最初、アカメのことをヤバい奴だと感じた。反発しながらも前に進んでいき……いつしか、俺にとって欠かせない存在になった。
アカメは今も現実世界に取り残されている。殺されそうになっているのだ。
俺の懸念を読み取ったかのように、ローゲラが声をかけてくる。
「安心してくれていい。このアカシックレコードに時間の概念はないのだから。キミが現実に帰還した際、もう手遅れなんてことはないよ」
「そうか……なら、慌てなくてもいいな」
俺は安堵の吐息をもらした。この場所にいるうち、打開策を見つけなければならない。
俺は目をつぶったまま、やわらかな感触を肌に覚えた。ローゲラが俺の肩に手を置いたのだろう。
「人はよく『他者に裏切られた!』と声高になげく――けれど、ホントにそうかな?」
ローゲラが俺にしみじみと言葉を投げかけた。
「それぞれ自分の都合で生きているのだから、意見がすれ違ってしまうのは当然だろう? なのに、勝手に期待して裏切られた気になってるヤツが大半さ」
その語り口は、軽薄でありながら一抹の真剣味を帯びている。俺をもてあそぼうとしているのか。あるいは、俺を導こうとしているのか。
「だからボクはこう思う……『相手が自分の望みに反する行為をしても許せるか?』――それこそが人と人のつながり、その真価なのではないかと」
アカメは殺されかけようと俺を
その振る舞いがローゲラの琴線に触れたのだろう。
アカメは見事、ローゲラの期待に応えてみせたのだ。
「真の絆――こっぱずかしくて陳腐な表現だけど……まあ、そういうことさ!」
俺は目を開ける。視界に満足げなローゲラの姿が映っていた。
「お前ってホント……相手を試すのが好きだよな?」
俺は苦笑いを浮かべてローゲラを小突いた。
「さすがのボクだって試す相手は選ぶよ? それだけキミたちはボクのお気に入りってこと! 光栄に思ってくれたまえ!」
ローゲラがふてぶてしく唇をまくりあげた。
「さて……名残惜しいけど、お別れだ」
ローゲラが咳払いをひとつ、俺を視線で射抜く。
「キミは
その表情が、いつになく
俺も釣られて顔を引きしめる。
「ああ、当然だ――けど、このまま現実に出戻ったところで……アカメを救ってやれない」
俺は力なく肩を落とした。
心配するな、とローゲラが俺に指を振る。
「チッチッチ! このボクに抜かりはないのだよ! 前世のキミに与えた
そう断言され、俺は目を見開く。
無常の果実、その「望みが叶わなくなる」という効果は俺の魂と融合していた。切っても切り離せない、俺の一部だ。
人間となった俺はこれまで、その恩恵にあずかってきた。
俺はローゲラに言い募る。
「け、けどさ……今となっては足枷になっちまうんじゃないのか!?」
俺はようやく自分の力を肯定的に受け入れた。力を振るいたいと願っている。
だから望みが反転して弱体化してしまうのではなかろうか?
ローゲラが俺の危惧を笑い飛ばす。
「ハッハッハ! たしかに今のままじゃキミのさまたげとなるだろう――が! こんなこともあろうかと! 仕込みを済ませておいたのさ!」
ローゲラがパチリと指を鳴らした拍子、俺の胸からイチジクが飛び出した。
イチジクがローゲラのもとに吸い寄せられていく。
ローゲラがイチジクを愛おしそうになでる。
「このアカシックレコードは原初の混沌! すなわち万能の素だ! この場所でなら! ボクは生前を上回る権能を行使できる! この果実の効果をひっくり返すことだって!」
どこからともなく、運命の糸が伸びてきた。俺の視界を埋め尽くすほど、何本も何本も。
膨大な数の糸がイチジクに絡みついた。
ローゲラがそれらを束ねて編み上げていく。
「これは、もはや無常の果実にあらず! 『望みを叶える』効果を付与された祝福なり! 命名――『勝利の果実』!」
ローゲラがそう宣言した直後、イチジクが黄金に輝くリンゴへと変貌した!
その発光に目をくらまされ、俺は顔の前に手をかざす。
黄金のリンゴが、俺の胸の内に戻っていった。
俺の内部が、怒涛の勢いで改良されていく。黄金のリンゴ、その作用が前世のよどみを根こそぎ洗い落とした。
俺は胸のすくような気持ちを味わい、ほうと感嘆の吐息をもらす。
「……ありがとな! おかげで、やってやれそうだ!」
俺は勢いあまってローゲラに頭をさげた。
「現実に帰ったら……お前の声も聞こえなくなっちまうんだろう――けど、ちゃんと見てろよ? 約束通り、トコトン付き合ってもらうからな!」
俺に念を押され、ローゲラが虚を突かれたように固まる。
「……まったく、キミってヤツは……バカは死んでも治らないみたいだね?」
ローゲラが唐突に俺を抱きしめる。俺の胸板に顔をうずめた。
「クソ生意気な小娘にケンカを売られてしまってさ……やすい挑発に乗るのは、ボクらしくないけれど」
ローゲラがブツブツと愚痴をこぼす。その内容は、俺のあずかり知らないものだ。
「たかだか人間が
ローゲラが俺の顔を見上げる。
「アカメに会ったら伝えてくれ――『やれるものならやってみろ』と」
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