幕間2 アカメの過去

 俺とアカメは運命共同体なる状態に置かれている。それが原因だろうか、俺は奇妙な夢を見た。

 端的に言うとアカメの過去である。彼女の足跡を追体験していた。


 アカメの母親は極東の島国アシハラから流れ着いた女性だ。くわしい事情は不明だが、故郷から逃げてきたのだという。


 人類の生存圏から追い出された者の末路はたいてい悲惨だ。

 野外は黙示獣がひしめいており、いつ命を落とすともしれない。


 アカメの母はそんな綱渡りの旅を強いられた。その最中、奴隷狩りに遭って奴隷に身をやつしたのは、幸運なのか不幸なのか。


 自由を奪われる代償に、粗末な食事と命を保証されたのだから。


 アカメの母は俺の住む王国へと運ばれ、とある貴族の家に身柄を買い取られる。

 そして、家の当主のお手付きとなったことでアカメが生まれた。


 側室ですらない異国の奴隷の血がまざるアカメのことを、貴族家の者が快く思うはずもない。

 とくに当主の正妻――義母はアカメを目の敵にしていた。陰湿なイヤがらせで幼いアカメを泣かせていた。


 実家はアカメを責めさいなむ拷問場にすぎなかった。


「母上……拙者はなぜっ! ほかの人と違うのです!? 目も髪も! 不吉の鳥カラスみたいな色で気味が悪いって! 仲間外れにされるのです!」


 アカメは実母にすがりつき、涙ながらに訴えかけた。

 場所は、ふたりにあてがわれた寝室である。屋敷の離れに位置する馬小屋だけがアカメの安息の地だった。


 アカメの実母が申し訳なさそうに面を伏せる。


「ごめんなさいね……私が不甲斐ないばかりに」


 実母がアカメを抱きよせた。ロクに栄養もとれておらず、その腕は枯れ木のよう。


「それでも、ね……くじけてはダメよ? 苦労の末に報いがあることを信じるの……誰も彼もが貴方を嫌うわけじゃない。いつの日かきっと……心を通わせる相手と巡り合えるわ」


 実母の言葉に、アカメがコクリコクリと頷いていた。


「アカメ、私の可愛い娘……誠実でありなさい。周囲が貴方を苦しめようと……それこそが貴方を支える力となってくれる」


 実母に寄り添われ、アカメはワラの毛布にくるまった。馬の獣臭が鼻腔を刺そうが、土肌の地面の感触が堅かろうとも――


「今日も一日おつかれさま……いつものように私の故郷アシハラの話を聞かせてあげる。ゆっくりと眠りなさい」


 実母の寝物語に胸をはずませている内、アカメは夢の世界に旅立った。


          ★ ★ ★


 アカメにとって実母だけが心のよりどころだった。

 しかし、それさえ失われてしまう。心労がたたって帰らぬ人となったのだ。


 アカメの受難はつづく。

 成長していくにつれ、アカメは実母譲りの美貌をそなえつつあった。


 そうなると、イジメの性質が変化していった。アカメは正妻の息子――異母兄から貞操を奪われそうになる。


 しかし、さいわいにもアカメに降神術の資質があると判明した。

 降神術者は貴重な人材である。奴隷の娘といえど、無下に扱えない。異母兄も手を出せなくなる。


 実家を離れる口実もできた。降神術をまなぶため、王都で寄宿して降神術学園に通わなければならないから。


 出立の朝、アカメは迎えの馬車の前に立つ。

 見送ってくれる者はいない。アカメは正式な貴族家の一員ではないから。


 アカメが別れの挨拶に訪れた際、義母がくやしそうに歯噛みしていた。あの顔をおがめただけでも、十分なはなむけである。長年の溜飲が少しはさがった。


 アカメは背後を振り返る。自分を縛りつけていた屋敷をおがめるためだ。

 背丈が伸びたからか、昔ほどの威圧感がない。アカメにとっての悪夢の象徴は……いつの間にやら、こじんまりとしていた。


 アカメはさしたる未練もなく踵を返す。これで見納め、せいせいするくらいだ。

 もう実家に帰るつもりはない。強い降神術者になって自立するのが当面の目標である。


 力を手に入れて実家の連中に復讐したい。昏い誘惑にかられないと言えばウソになるが――


「あんなゴミどもにかかずらっている時間は! 一秒たりとてないのです! 連中のことを思考の端に入れるのも不快なのです!」


 アカメは大きくかぶりを振る。勢いこんで馬車のタラップに足をかけた。


 ほどなく馬車が動き出した。


 アカメは揺らされながら車窓をのぞきこむ。生まれて初めて見る景色――実家の外の世界は殺風景ながら開放感に満ちていた。


「拙者は母上に恥じない武士もののふとなるのです!」


 アカメの胸に去来するのは、誠実に生きろという実母の言葉だった。

 いつか実母が語っていた。アシハラ国の戦士は仁を重んじ、義のために戦うのだとか。

 弱き民のために力をふるう。アカメの理想とする姿だ。


「~~♪」


 アカメは目を細め、独特のメロディを口ずさんだ。実母が教えてくれたアシハラの歌だ。

 まだ見ぬ出会いに思いをはせている。


 ――俺は一連の様子をアカメの影から俯瞰していた。まるで亡霊のようだ。


 彼女のたどった過酷な道に、心を痛めずにはいられない。行く先に幸多からんと願うばかりだ。


 しかし腑に落ちない点もある。アカメが亡き実母に依存していることだ。

 実母に託された言葉があるからこそ、性根をまっすぐ保てているのかもしれない――けれど、裏を返せば実母に束縛されているのではなかろうか?


 実母はアカメを置いて逝ってしまった。娘にたいした道筋を示せず、財産をのこすこともなく。

 その境遇をかんがみれば、しかたないのかもしれないが……無責任である。


 アカメは実母の言葉にしばられている、と考えるのは俺のうがちすぎだろうか。

 前世の俺レーヴァフォンは母親という存在にあまり良い印象を持っていない。だからこそ、懐疑的にならざるをえなかった。


          ★ ★ ★


 降神術学園に入学してまず待ち受けているのは、神霊との契約の儀式だ。

 世界をあてどなく漂う神霊と交信し、主従の契りを願い出る。

 いずれかの神がそれに応じてくれれば、降神術者――超人の誕生だ。


 契約神から授けられた力、その強大さに浮かれる者が続出する。


 しかし、アカメはそんな入学生の熱狂から距離を置いていた。人気のない場所でさめざめと泣き崩れている。


「こんなのって……あんまりなのです!」


 アカメも契約に成功した――が、無事では済まなかったからだ。

 契約に応じてくれた相手が、最低の邪神ローゲラだったことが運の尽き。


 契約成立の瞬間、アカメは見せつけられてしまったのだ。自分が近いうちに殺されてしまう姿を。

 ローゲラによる予知だ。挨拶代わり、アカメに死の運命を突きつけるなんて……奴の意地の悪さは死んでも治らなかったもよう。


 アカメの嗚咽があたりの雰囲気をしとどに濡らす。


「拙者は、人の善性を信じようとしていたのです! これまでロクでなしとばかり関わらされてきたぶん! この学園では良縁にめぐまれるのだと!」


 そんな期待は、はかなくも打ち砕かれた。たとえ誰かと仲良くなれたとしても、すぐにお別れしなければならない。

 アカメに課された悲運は、筆舌に尽くしがたいものだ。


 義母から叩きこまれた貴族の礼儀作法も無用の長物と化した。親切と見せかけたイビりに我慢した日々は無意味である。


 アカメは死んだ魚のような目で乾いた笑いをもらす。


「ふ、ふふっ……あはは! いい道化なのです!」


 ひとしきり絶望したあと、アカメが目を据わらせる。具現化したカタナを握りしめた。


「ならば拙者は! この命尽きるまで! 走り抜けてやるのです! 誰よりも凄烈に! 刹那のかがやきを魅せつけなければ……拙者はなんのために生まれて……!」


 以後、アカメは学園内で暴れ回った。

 強者に目をつけるや、勝算度外視で襲いかかり……返り討ちにあってズタボロにされようと、みずからの傷を一顧だにしない。


 常日頃、アカメはむき身の妖刀じみた気配をほとばしらせた。

 ほかの一年生が、そんなアカメをおそれるのも無理からぬことだ。


 アカメは彼らをあえて無視した。まともにコミュニケーションをとろうとしない姿勢が後ろめたかったから。


 ――俺は一連の様子をアカメの影から俯瞰していた。過去の出来事に干渉はできない。亡霊のように指をくわえるばかり。


 アカメの思考と感情が流れこんでくるせいで、手に取るように分かる。

 彼女は誰かと触れ合うことをあきらめざるをえなかったのだ、と。なにより望んでいたはずなのに。


 彼女が力を誇示するように振る舞っているのはその裏返し。できるだけ多くの人に自分の強さを魅せつけたいのだろう。死んだ後も覚えておいてもらえるように。

 アカメは切実な願いを不器用に叶えようとしている。


 その原因が俺の友ローゲラかと思うと……俺はいたたまれなくなる。

 あの馬鹿はなにを考えているのやら。直接、文句のひとつも言ってやりたい。


 ただ、ローゲラが悪意だけでアカメを振り回しているとは思えない。あいつなりの事情があって、より良い未来につながる布石のはずだ。

 そう考えてしまう俺は、甘いのだろうか……?

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