第4話 後輩の天才少女、襲来

 夜の気配が濃くなってきた。校舎の空き地、そのサビれ具合も相まって辛気臭い。


 そんな雰囲気と裏腹に……貴族クラスの一年生、アカメ・トゥケルアートの胸中は熱に浮かされている。


「灯台下暗し、とはよく言ったものなのです!」


 アカメは声に喜色をにじませた。


「学園内の強者には、あらかた勝負をいどんだつもりだったのです――が、よもや! あれほどの上玉がひそんでいようとは!」


 ひとりごとをブツブツ呟く姿に、周囲の役員が気味悪がっているけれど……アカメには、どうでもいいことだ。

 アカメの目に映っているのは、先ほど立ち去った少年のみ。


 レイヴンという名の二年生、落ちこぼれとして悪評の立つ男だ。

 能力が低いクセにやる気もない。この学園の変わり種だ。


 生徒会長を含めた他の役員は、レイヴンを過小評価しているが……アカメからすれば節穴と言わざるを得ない。


「いやいや、そう決めつけるのは傲慢というもの! 拙者とて、つい先ほどまで! あの先輩に一ミリも興味がなかったのですから!」


 アカメは首を横に振り、みずからを戒めた。


 本日、アカメは生徒会の業務の一環で、学園内の夜の見回りに付き合わされていた。退屈なので気乗りはしなかったが……トラブルの発生を知って現場に急行した時は、胸をはずませていた。

 喧嘩の仲裁という名目で、ストレス発散できると期待して。


 結果として空振りに終わったものの、予想外の収穫があった。


 アカメはレイヴンの戦闘、その一部始終を思い返す。

 一見フザけているようでいて、レイヴンの立ち回りにはムダがなかった。喧嘩相手を詰むまでの最適解をえらんでいた。手練れの証だ。

 自分の気のせいだとは思えない。


「どうして今までノーマークだったのやら……どうやら拙者、レイヴン先輩のことが気になってしょうがないのです!」


 アカメはとろけた目で嬌声をあげた。


 理由は不明だが……レイヴンに惹きつけられてしまう。運命の赤い糸でつながっているかのようだ。

 アカメはレイヴンの消えた方角に手を伸ばす。その横顔は恋する乙女そのものだ。


「ふ、うふふ……ねえ、レイヴン先輩? どうか拙者の身体を思う存分なぶってくださいませんか? 拙者も先輩の身体を、丁寧にはげしく! 切り刻んであげたいのです!」


 ただし、アカメの恋慕は普通の人間とちがう。苛烈な闘争、その果てに芽吹く満足感を味わいたいのだ。

 アカメは舌なめずりする。衝動をおさえるべく、みずからの胸部を抱きしめた。


 淫靡な仕草だ。ちかくの男子役員が顔を赤らめている。


 アカメはその男子を視線で威嚇して追っ払う。邪魔者がいなくなったところで、顎に手を当てた。


「ふむ、となると……喧嘩を吹っかける口実が必要ですね? 妾腹といえど、拙者も貴族令嬢……チンピラのような真似はひかえるべきなのです」


 考えこんでしばし、アカメはハッと手を打ち合わせる。


「おのれ、レイヴン先輩! 拙者の檜舞台をかっさらいよって! 許すまじなのです!」


 トラブルの解決は生徒会の仕事だ。本来ならば、アカメが物理的に喧嘩を仲裁するべきだった。

 レイヴンはその手柄を横取りしたと言えるのではないか? そのせいでフラストレーションを持て余している。


「うんうん、そういう題目なら筋が通るのです……ちょっと難癖じみてますけど!」


 アカメは拳をわななかせた。


 思い立ったが吉日、アカメは生徒会の仕事を放り出して、この場から立ち去ろうとする。


「どこへ行くつもりだ、アカメ・トゥケルアート! まだ公務中だぞ!?」


 当然、ほかの役員から呼び止められてしまった。


 水をさされ、アカメはふくれっ面になる。力ずくで振り切ってしまいたいが、最低限の礼儀は守るべきか。

 アカメは衣服のすそをつまんで、お辞儀カーテシーする。


「急用を思い出したのです。申し訳ありませんが……あとはお任せしてよろしいでしょうか、先輩がた?」


 複数の役員が、火を吹くような勢いでアカメに詰めよる。


「なにを勝手な! そんな真似が許されるとでも思うのか!?」

「貴君は独断行動がすぎる! すこしは周囲と協調する気はないのか!?」


 決まり切ったお小言を頂戴し、アカメは辟易としてしまう。


「生徒を導くという崇高な使命! 会長のお志をなんだと――」

「かまわないわ。好きになさい、アカメさん」


 アカメへの批判が、鶴の一声でピタリと止まる。

 その声の主は生徒会長だ。いつも通り、油断ならない微笑みを浮かべている。


 役員たちが虚を突かれたように動揺していた。


「お、お言葉ですが会長! そのように甘やかすのはいかがなものでしょうか!?」

「模範となるべき役員が規律を乱しては! 一般生徒にしめしがつきません!」


 生徒会長がすずしい顔で部下の進言をはねのける。


「何を言っているのかしら? アカメさんは生徒の手本となるべき優等生よ? 彼女の実力こそが、雄弁な証明ではなくて?」

「「「……っ!」」」


 役員たちが一斉に押し黙った。


 生徒会長がダメ押しのひとことを吐く。


「下級生ながらアカメさんの降神術、その練度は折り紙付き……わたくし以外の役員で、アカメさんに勝てる者はいるかしら?」


 居並ぶ上級生がうつむいてしまう。


「強者は優遇されてしかるべき。多少、ハメをはずすくらい大目に見てあげないと、ね? 生徒会長わたくしの度量が知れるというもの」


 今代の生徒会長は奇特な人物である。高位貴族の出身ながら……身分の貴賤を問わず、見どころのある生徒を取り立てている。

 ようは実力主義者だ。旧態依然とした学園の気風を改革する、時代の寵児ともてはやされている。


 生徒会長の人柄はどうでもいいが……おかげで仕事を切り上げられそうだ。


「それでは、ごきげんようなのです」


 アカメはそっけなく別れを告げた。もともと生徒会の仕事にも、会長が目指す校内改革にも興味はない。

 ただ、彼らのそばにいれば強い獲物に事欠かないと判断したから。籍を置いているだけ。


 好き勝手な振る舞いの代償として、アカメはすっかり嫌われ者だ。やいの言う輩は実力で黙らせてきた。


 自分に残された時間はすくないのだ。一秒だって無駄にはできない。

 どうでもいいことを思考の隅に追いやり、アカメはステップ交じりで先を急ぐ。


 興味の対象を見つけるや、まっしぐら。アカメの頭の中はレイヴンのことでいっぱいだ。


 彼はどうして実力を隠しているのだろう? そんなの、もったいないではないか。

 人生は一度きり、輝ける瞬間は有限である。レイヴンは生きた証を――世界に爪痕を残したいと思わないのだろうか?


 アカメにはレイヴンの心中がまるで理解できなかった。

 やれるポテンシャルがあるのに、やろうとしない。そんなフザけた態度がムカつく。

 いちどタコ殴りにして目を覚まさせてやろうではないか。


「首を洗って待ってやがれなのです、レイヴン先輩! 其処許そこもとの化けの皮をはいでやるのです!」


          ★ ★ ★


 それから数日、俺は落ち着いた生活を余儀なくされる。

 いつどこでアカメの襲撃を受けるか知れたものではない。積極的に授業を受け、放課後は寄り道せず寮に帰った。

 つねに衆人環視のある場所に身を置くためだ。さしもの狂犬といえど、手は出せまい。


 俺の模範生ぶった行動がおかしかったのか、クラスメイトから「雪でも降るのか」とからかわれてしまった。


 その甲斐あって、アカメの影は見当たらない。このまま数週間も経てば、彼女も俺のことなんて忘れてくれるだろう。


 とはいえ、安堵も長くは続かない……間の悪いことに、俺はイジメの現場に遭遇してしまう。

 クラスメイトが貴族クラスの生徒にからまれていたのだ。雑用を押しつけられていた。


 ほんらい貴族だからこそ、率先して雑用をこなすべきではなかろうか? 

 高貴のつとめノブレスオブルージュを自覚している貴族生徒は……残念ながら少数だ。


 立場の差をチラつかされては、クラスメイトも首を縦に振らざるを得なかった。


 見てみぬフリをするのも後味が悪かったので、俺はクラスメイトを手伝い、雑用をこなした。


 ようやく解放されたわけだが……すでに日も沈んで夜となっている。


「ったくよー! さんざんこき使いやがって……明日は筋肉痛だぞ、これ!」


 俺は帰路につきながら愚痴を吐いた。


「それにしても……すげー汚かったな」


 俺が掃除させられたのは、学園内の倉庫だった。


 その内部はスッカラカンだったが……石床に血がこびりつき、汚れを落としにくいったらなかった。屠殺場みたいな匂いがむせ返ってもいた。

 直前まで家畜かなにかの死骸が詰めこまれていたのだろうと察せられる。


 学園内には炊事場と食堂が完備されている。学園内で寝起きする生徒の腹を満たすためだ。食肉のたぐいが備蓄されていること自体に不自然さはない。


 しかし、あの倉庫がギュウギュウ詰めになるほどの量が、日頃から必要とは思えない。

 大量の食肉が必要な事情でもあったのだろうか? たとえば、客人を招いての晩さん会でも予定されているとか?


 どうでもいいことか、と俺は思考を切り上げる。いま心配すべきは、自分の身の安全だ。


「……この状況、カモがネギしょって歩いてるようなもんか?」


 俺はそわそわしながら寮までの道を進んでいく。人影は俺以外にない。絶好の襲撃チャンスだ。


 しかし現在、生徒会は定例会をひらいてる。毎度、夜遅くまで話し合っているらしい。

 アカメも生徒会の一員である以上、その行事に出席しなければならない。今頃は生徒会室にいるはずだ。


「セーフだよな? ギリセーフであってくれよ!?」


 ちょうど、寮の建物が遠目に見えたころ。校舎の角を曲がった瞬間、


「――ごきげんよう、レイヴン先輩……今宵は月が綺麗なのです!」


 俺は頭上から声をかけられてしまった。


 石造りの校舎、その屋根にアカメが立っている。肩で息をしながら、こちらを見下ろしていた。


 満月を背景にしているせいか、玲瓏たる雰囲気だ。


 濡羽色の長髪をなびかせている。東方の島国アシハラの血を引く証だ。たしか……父親がこの国の貴族で、アシハラ生まれの母親がその妾だったか。


 幼いながらも妖艶さを宿す美貌。引き締まった手足が山猫を連想させる。


 彼女の制服姿を見かけたことがない。いつもアシハラの装束ハカマを身につけている。風を受けて袖と裾がフワリと揺れた。


 アカメが屋根の尖塔から跳躍する。軽やかに俺の手前へと降り立った。


「まったく……接触するのも、ひと苦労だったのです! 先輩ったら、なかなか隙を見せてくれなくて!」


 俺は所在なく頭をなでる。その間も、ゆっくり後退するのを忘れない。


「いや、まーね……すげー嫌な予感がしたからさ、そろそろ改心して真面目に生きようかと思ったわけよ」


 アカメがまなじりを決し、唇をとがらせる。


「わざと拙者を避けてたってことなのです!? そんな仕打ちを受けたのは初めてなのです! 淑女に恥をかかせるなんて! 紳士失格なのです!」


 アカメがわざとらしく泣き真似をしていた。さりげなく、俺との距離を縮めている。


 俺はかわいた笑いをもらす。


「あ、あはは……淑女はそんな風に殺気をほとばしらせないと思うけどなー?」


 こちらの言い分に聞く耳持たず、アカメがえらそうに胸を張る。


「まあ、でも……こうして邪魔の入らない場所にて! ふたりきりの逢瀬とシャレこめたことですし? 無作法を許してあげるのです!」


 アカメが熱のこもった眼差しを送ってくる。


「拙者、身体がうずいてしかたないのです……ねえ、先輩? なぐさめてくれます?」


 男の欲望をくすぐるような誘い文句だ。

 喜びたいところだが……そんな気にはなれない。俺は手を突き出してアカメを制する。


「い、威力ハンパないって! お前みたいな美少女がコロコロと吐いていいセリフじゃない! そういうのは好きな男にとっとくべきじゃね!?」

「ふふふ……ご安心を。こう見えて拙者は一途なのです。今は・・先輩に夢中ですよ?」

「い、今は!? 男をとっかえひっかえしてんの!? お兄さん、そういうの感心せんなー!?」


 俺が言葉でまぜっかえそうとしてもムダだった。待ちきれないとばかり、アカメが前のめりになる。


「逃がしません。先輩は拙者のオモチャなのです!」

「ぐ、ぐぎぎ……この変態めー!」


 俺はヤケになって叫んだ。


 こうなれば仕方ない。俺は次なる策に打って出る。


ればいいんだろ、ヤれば! ……その代わり! 条件がある!」


 俺が懐から取り出したのは、巻物だ。契約の書面である。それをアカメに投げ渡した。


 アカメがヒモをほどいて紙面に目を通していく。


「これは……ほほう! 強制契約証文なのです!」


 俺が事前に用意しておいた切り札だ。降神術を用いて作られた書類。重要な契約を取り交わす時に用いられる。神の力により契約の遵守を強制する効果があった。


「そこに書かれた条件をしっかりと読め……それでも勝負するか?」


 俺に有利な条件を盛りこんである。俺が負けてもノーリスクだというのに、相手が負けたら俺の奴隷になるという内容。

 俺は意図的に下卑た笑みをつくる。


「どうするー? 負けた時は悲惨だぜー? ぐへへ、愉しみだなー!」


 セクハラオヤジのように、俺は手をワキワキさせた。

 ……誓って俺に下心はない。アカメの意気をくじくハッタリだ。


 アカメも年頃の少女だ。男に好き放題されるという事実は、恐怖を呼び起こすにちがいない。

 しかし――


「オッケーなのです! 拙者が負けた時は! 慰み者にでもしやがれ、なのです!」

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