第2話 平民と貴族の軋轢

 街遊びに出かける際は、俺は私服に身を包んでいる。肌着シュミーズの上からローブを羽織り、長ズボンブレーをはく――一般的な平民のよそおいだ。

 制服でブラブラしていたら憲兵に補導されてしまうからな。


 当然、学園にもどる際は制服に着替え直す。


 俺の通う降神術学園は、王都内の学術区域に居を構えている。

 俺は古めかしい校門をくぐり、敷地内に足を踏み入れた。


 直後、甲高い鐘の音が鳴る。遠くから響いてくるものだ。中央広場の大鐘楼が時刻を告げていた。


 俺は顔を引きつらせる。


「やっべ、晩課(午後六時)じゃんか!」


 たったいま、学生寮の門限がすぎた。ノコノコ正面から顔を出せば、寮監にドヤされてしまう。


 しかたない。裏道を使おう。俺は向かう方向を変えた。

 この降神術学園の敷地内は広大だ。建物などの人工物のみならず、手つかずの自然と一体化している。


 俺はコソコソと裏山の獣道をすすんでいく。進む先は、ちょうど学生寮の裏手だ。

 ゆるやかな崖を滑り降りて学生寮の外壁にたどりつく。手近に物置の窓がある。そこは秘密の抜け穴だ。あらかじめ錠前を外してある。


 物置に忍び込めば、あとは何食わぬ顔で自室にもどればいいだけ。

 不良生徒にとっての処世術だ。俺はそそくさと窓をあける、


「――おい、レン!」


 最中、背後から呼びかけられた。俺は弾かれたように振り返る。


「いや、ちがうんスよ、寮監どの! べつに授業をフケてたわけじゃないんですってば! 校舎の教室に忘れ物しちまって……どうしても寮を抜け出さないといけなかっただけ! これは不可抗力なんだ――って、ありゃりゃ?」


 言い訳を並べ立てる口を、俺は途中でつぐんだ。

 相手が予想と違ったからだ。平民クラスの二年生――俺の同級生、オルレックスがつめよってくる。


「レン、探したぞ! 今までどこ行ってたんだよ!?」


 俺の門限破りをとがめる気はないだろうけれど……息せき切った様子からして只ならぬ用件らしい。


 俺は目をパチクリさせながら答える。


「いや、そのよ……ちょっくら譲れない聖戦にのぞんでた」

「また競馬にでも行ってたのか!? ……なんで、こういう時にかぎって! タイミング最悪だっての!」


 息を整えたあと、オルレックスがおもむろに用件を明かしてくる。


「助っ人を頼む! オレらの仲間が! 貴族クラスのヤツにからまれてんだ!」

「……またかよ、貴族クラスの連中も飽きないねー」


 俺はウンザリとため息をついた。


 この学園は身分の貴賤を問わず、入学できる。降神術の資質――特殊な才能を持ってさえいれば。

 貴族の令息と平民の子供が同じ学び舎にいる点が、その特異性をしめしていた。


 とはいえ、貴族と平民の待遇は平等ではない。教師陣の質も利用可能な設備も貴族クラスのほうが上だ。


 子供の精神は未熟である。自分と違う相手を排斥したがるし、劣っていると判断した相手を攻撃せずにはいられない。

 貴族クラスと平民クラスの軋轢は、たびたび顕在化している。主に、俺たち平民クラスが貴族クラスに難癖をつけられるという形で。


 俺はオルレックスの肩に手を置いて落ち着かせる。


「ここは静観するのも手じゃね? いつものパターンだろ? 相手のイヤミを聞き流せば、それで終わりだ。俺らが加勢したら相手も引っ込みがつかなくなるんじゃないか?」


 気取っているのか、偉ぶっているのか知らないが、貴族クラスの連中は手を出すような真似をしたがらない。

 たいてい、回りくどいイヤミをクドクド告げてくるだけだ。手を汚すのをためらう臆病者ばかり。


 しかし俺の楽観を、オルレックスがブンブンと首を振って否定する。


「今回はヤバい! ガチで一触即発なんだよ!」


 俺はわずかに目を細める。


「暴力沙汰に発展しそうなのか? ……おだやかじゃないねー」


 そうであるならば、ほうってはおけない。メンドくさいが、クラスメイトが理不尽に打ちのめされるほうがシンドい。

 俺はオルレックスに頷きを返す。


「事情は分かった――けどさ、そこでなぜ俺に頼んの? お前のほうが実技の成績いいだろ?」


 眼前のオルレックスは、平民クラスにおいてトップの秀才だ。客観的に判断して、ダントツの落ちこぼれ――のフリをしている俺より戦力になる。


 俺に問われ、オルレックスが言葉に詰まってしまう。


「……っ、う! それはそうなんだけど……オレは本番に弱いタイプっていうか……」

「あーね」


 目を泳がせる様子に、俺は苦笑した。オルレックスは緊張すると、本来のパフォーマンスを発揮できなくなるのだ。


「その点、レンは……図太いというか、能天気すぎて緊張とは無縁じゃん? 土壇場でトチるイメージが浮かばない……普段の素行には呆れてるけど、頼りにしてんだよ? いざという時だけは」

「言われようがドンドンひどくなってないか!?」


 俺はオルレックスにすかさずツッコんだ。


「なにより、貴族クラスの連中は強いよ……認めたくないけど、オレじゃ止められない」


 オルレックスがくやしげに歯噛みした。


 基本的に、貴族クラスのほうが平民クラスより成績優秀だ。家庭の資本力が違う。幼児の頃から英才教育をほどこされている。その差は如実だ。


 さて、いかにして貴族クラスの奴に対抗しようか。俺は思案を巡らせる。

 貴族といっても、しょせんは学生。俺がその気になれば倒すのは簡単だろう。


 だからといって、おおっぴらに力を振るうのもためらわれる。俺の力は災いばかりを生んでしまうから。


 悪目立ちして面倒な相手に目をつけられるのはカンベンだ。たとえば、貴族クラスの一年生の天才少女など。

 彼女は生粋の戦闘狂として有名だ。強そうな相手には見境なく喧嘩を吹っかけるのだとか。


 生きている以上、トラブルは避けられない。その苦味は前世の俺からすると、新鮮で味わい深くもあるのだが……。


「なやましいねー、まったく」


 俺は知恵熱に浮かされ、足をフラつかせた。


          ★ ★ ★


 俺とオルレックスはトラブルの発生現場へと急行する。


 その道すがら、トラブルの詳細について聞かされた。

 ひと言でいうと痴情のもつれだとか。


 まず、平民うちのクラスの男子生徒が貴族クラスの女子生徒と恋に落ちたのが始まりだという。身分違いの恋愛という奴だ。


 ここまでなら微笑ましい話だが、女子生徒に横恋慕する輩が口をはさんできたことで、悪い方向に進んでいった。

 横恋慕した男は、貴族クラスの生徒だ。そいつは恋仲のふたりをどうにか裂こうとイヤがらせを繰り返したらしい。


 それでも、ふたりが別れなかったので……本日、とうとう我慢の限界が来た。俺のクラスメイトを呼び出し、「彼女はお前にふさわしくない」と責め立てている。その剣幕たるや、流血も辞さない雰囲気だとか。


「横恋慕した挙げ句、実力行使とか……みっともないねー」


 俺は走りながら肩をすくめた。


 隣を並走するオルレックスが肩を怒らせる。


「ほんっとにさー! 女心が分かってない! ノンデリアプローチじゃ相手を引かせるだけだっての!」


 ほどなく、トラブルの渦中に到着した。校舎裏の空き地だ。用途も見つからず、ス

ペースを持て余しているようで、一時的な備品置き場と化している。

 日が地平線に没したこともあり、辺り一帯が青黒く染まっていた。


 そこでふたりの少年が対峙している。どちらも上着ブレザーに袖を通し、スラックスを着用していた。この学園の制服だ。


 ひとりは、高身長でガタイのいい男子である。首に巻いたネクタイの色は青――貴族クラス所属の証だ。

 察するに、こいつが横恋慕野郎か。いかにも傲慢そうな面構えをしている。整髪料でオールバックにしていた。


 もうひとりは、なで肩かつ細身の男子だ。ネクタイの色は赤、平民クラス所属――俺のクラスメイトだ。

 いかにも気弱な奴で、オールバックに詰め寄られオドオドしている。所在なさげにメガネのツルを押し上げていた。


 オールバックがメガネを前に声を荒げる。


「まったく、平民という輩は! 己の分を弁えず! 頭の回りもにぶいものだね!」

「……っ!」


 オールバックに肩をすくめられ、メガネがくやしげに歯噛みした。言い返す度胸はないらしく、うつむいたままだ。


 オールバックがメガネに指を突きつける。


「いいかい? これは君のために忠告してあげているんだ! 平民の男が貴族の女性と結ばれるなんてありえない! 世間体はどうする? 君に彼女を守るだけの甲斐性があるのか!?」


 メガネが黙っているのをいいことに、オールバックが勢いづいていた。


 メガネが全身をふるわせている。深呼吸をひとつ、意を決して顔をあげた。オールバックを睨み返す。


「ぼ、僕が彼女にふさわしくないことくらい! わ、分かってます――けど! だ、だからって! 貴方が彼女の隣にいるべきだとも思いません!」


 メガネの声が引きつっていた。しだいに落ち着いてきたのか、しゃべりが熱をおびていく。ゆずれない一線を守るかのように。


「貴方は『自分が自分が』って! 彼女の気を引こうと、ご自分の意見を押しつけてばかりじゃないですか! 彼女がどう思っているか、一回でもお尋ねになったことはあるんですか!?」


 オールバックがいまいましそうに顔をゆがめる。


「……余計なお世話だ。彼女は一時ばかり、気の迷いを起こしているだけだ……そうでなければ、君のように頼りない軟弱者をえらぶはずがない! 愛玩動物に対する庇護欲と恋愛感情をはき違えているだけ……じきに目を覚ますだろうさ! 彼女のような淑女には! この私のように選ばれた強者こそが似つかわしいのだと!」


 メガネとオールバックが視線で火花を散らせていた。


「――あなた、なにをしているの!?」


 あらたな人影が緊迫の場に割りこむ。俺が来た方角とは逆から、貴族クラスの女子生徒が駆け寄ってきた。

 おとなしそうな風貌ながら、目鼻立ちのととのった少女である。野に咲く花のような魅力があった。男の庇護欲をそそるというか……。


 メガネを庇ってオールバックと向かい合ったところを見るに、彼女が恋人なのだろう。

 どこかでメガネのピンチを聞きつけ、現場に駆けつけてきたというところか。


「いい加減にしてちょうだい! わたしと彼のことは、あなたに関係ないでしょう!? ほうっておいて!」


 メガネの恋人が息も荒く、オールバックにまくし立てた。


 オールバックがたじろいだように背をのけぞらせる。


「な、なぜだい!? 私は君のためを想って――」

「わたしのため? あなた自身の見栄のためでしょう? 家格が上のわたしと婚約すれば! あなたに箔がつくもの!」


 メガネの恋人が、すがりつくように伸ばされたオールバックの手をはねのけた。

 どうやらオールバックが横恋慕している理由は、私情だけではない。実家の意向も絡んでいるようだ。


 貴族社会のメンドくささ、その一端をかいま見せられた。俺は蚊帳の外で、口をへの字に曲げる。


 今度は、オールバックがうろたえる番だった。


「い、いいかげん聞き分けたまえ! わたしと君のご実家、双方に利益のある話だと、どうして理解できない!?」


 苦しまぎれか、オールバックがメガネを指差す。


「ほ、ホントは……彼に付きまとわれて迷惑してるんだろう? 下賤な平民なんて家畜同然じゃないか! 君は馬小屋で一生を終えるつもりか!?」


 メガネの恋人が毅然とオールバックを見返した。そして言葉でトドメをさす。


「お生憎さま! わたしと彼は、たがいにたがいを必要としているの! あなたなんかにつけ入る隙のない絆があるのよ!」


 その口元がゆるんでいるのは、背後のメガネを想うがゆえか。


「彼にはね! あなたにない魅力がたくさんあるのよ! 彼は立場で人を判断したりしない! 平民だからってバカにするような男なんて願い下げ! そちらこそ、わたしと彼に付きまとわないで!」


 ぐうの音も出ない拒絶を受け、オールバックが肩をふるわせる。


「……下手に出ていれば、つけ上がりやがって!」


 その目があやしげな光を放っていた。


「どうやら将来の夫として、躾をしてやる必要があるようだなァ!」


 オールバックがメガネの恋人に襲いかからんとしている。貴族の余裕を誇示せんとしていたようだが……うすっぺらい仮面がはげた。


「「……っ!」」


 メガネの恋人が身をすくませていた。


 おびえる彼女を守るように、メガネが覆いかぶさる。


「――ちょーっと待ったッ!」


 様子見はここまで。俺は物陰から飛び出してオールバックの注意をそらす。


「な!? 貴様、いったいなぜ……これはなんの真似だ!」


 出鼻をくじかれたオールバックが、俺を視線で切りつけた。


「部外者は引っ込んでいろ、レイヴン!」


 おや、オールバックは俺のことを覚えているらしい。平民を一緒くたに扱う貴族にしては珍しいことだ。

 それだけサボリ魔の俺は浮いてるのかもな。この学園の生徒は真面目ちゃんが多いし。


「れ、レンくん!?」


 メガネが俺の登場に目をむいていた。


 俺はメガネに手をあげて挨拶する。


「うぃーす! お前も隅に置けないねー!」


 俺は冗談めかしてメガネの脇腹を小突いた。


「水くさいな、恋人がいるんなら打ち明けといてくれよー! 王都内のデートスポットとか教えてやったのにさ!」


 俺は、場違いなほど明るい声音を出した。


「見せつけてくれちまってよー! いいタンカだったぜ?」


 俺はメガネの肩をもんで、ねぎらってやる。


 オールバックに襲われかけた時、メガネはとっさに恋人を守ろうとした。実際にそうできたかはともかく、立派な男の子じゃないか。

 その勇姿を見せられ、俺はめずらしく奮起している。


「今度は俺の番だ! カッコいいトコみせましょ! この場はまかせとけ!」


 俺はメガネの胸板をたたいた。次いで、オールバックに向き直る。


 オールバックが不快そうに舌打ちする。


「なんだ、私を止めようとでも言うのか? 学園はじまって以来の落ちこぼれである貴様が?」


 俺は不敵な笑みで答える。


「おうとも! 見事、お前を倒してやろうじゃんか!」


 俺は両手を大きく広げ、オールバックに手招きする。


「いざ尋常に! 勝負といこう――具体的には、ポーカーで!」

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