第62話

「じゃあ、端から進学先をみんなに向かって一人ずつ話せ。みんな気になるだろう」


普通、生徒にそんなこと言わせる? 細谷は本当にクズだ。


「はい、阿部」


細谷の声掛けで阿部らいむから順に立ち上がり、進学先を言う。


ほとんどの子が名前の知られている大学に合格している。五十嵐も薬科大学に合格していた。それは素直に喜んだ。


工藤の番になる。


「私が受かったのは――」


その大学名を聞いて信じられない思いに駆られた。梓の行きたい大学だった。


山田と小森も。散々梓を煽っていた山崎や、高瀬、渡辺もマーチに進学先が決まっている。


雪乃も大学に合格していた。中には専門へ行く子、看護系の短大へ進学する子もいる。


一人一人に拍手が湧く。


梓はまだどん底があるのか、というくらい精神状態が堕ちる。


「……村。三村!」


細谷が呼んでいた。梓はやっとの思いで立ち上がり、言う。


「どこも受かりませんでした。あと一校受ける予定です」


拍手も起こらず空気が白けた。そんな空気からも逃れたかった。


吉岡も、第二志望校に受かったらしい。


クラスで決まっていないのは、梓だけだった。


晴れ晴れとした卒業式を迎えられないまま、梓は雪乃と少し話をして、担任にあと一校受けるため内申書を貰った。



心が痛い。痛い。痛い。痛い。苦しい。


校庭で田崎と会った。田崎も第一志望校に合格したらしい。


無理に笑顔を作っておめでとうと言う。


帰ると梓は卒業証書をベッドの上に投げて、制服姿のまま部屋の隅っこで体育座りを

して縮こまっていた。


こんなことをしている場合じゃない、あと一校をかけて勉強をしなくては。頭で理解しているが、クラスの子たちの、特に窃盗罪のある三人の進学先を聞いて、ショックを隠せない。



神は、なんの罰も与えない。窃盗罪の犯人三人はこれからいい大学へ行って、何事もなかったかのように楽しい大学生活を送り、就職してやがては結婚するのだろう。


手癖が悪いから大学へ行っても社会人になっても誰かの財布を盗む可能性だってまだ残されているのに。


梓を犯人と決めつけ煽っていた子もそうだ。彼らもいい大学への進学先が決まっている。


なのに濡れ衣を着せられた梓は、不眠症になり鬱病になりPTSDを発症し、全て落ちた。


なんで? なんで? 神は見ているんじゃないの?


アダムとイブには罰を与えた。でも今や悪い人間には罰を与えず、真面目に生きてきた人間に罰を与える。なんで……なんで? 


今年も進学先がいい子ばかりだったから、多分また教頭が舞い上がるだろう。


悔しかった。たまらなく悔しかった。


涙がまた、ポタリ、ポタリ、と流れ落ちていく。


机の上には、母がおそらくパソコンで見てプリントアウトしたであろう会社の概要が束になって置かれていた。


高卒で就職する子ももちろんいる。それが当たり前の環境で育った子や、経済的な事情でやむなく就職をする子もいる。そこで人生が開ける子もいるだろう。でも、梓の学校は百パーセント進学だ。


周囲のほとんどが高校を卒業したら働くという環境ならまた異なったかもしれないけれど、学校内の進学率が高い環境で、ほとんどみんな大学に行って、それで自分だけ就職するのもなんだかもやもやが残る。



中学、高校生活をまるで謳歌できなかった。休みたいのも娯楽も我慢し必死に勉強したのに。なにより窃盗をし、梓に罪をなすりつけた子が難関大学へ行って、梓が全部落ちたのが全く腑に落ちない。


本当に、どうして?


神は見ているんじゃない。神なんていない。いたとしたら、それは神自身の性格が酷く悪いという証明にもなる。


神は超えられない試練は与えないなんて言葉を聞くが、それだったら年間万単位の自殺者なんて出るはずがない。神が本当にいるのなら世の中から犯罪はなくなる。


酷い目にあって死ぬ人も、虐待される人もいなくなるはずだ。戦争だってなくなる。


貧困もなくなるし、餓死する人だっていなくなるはず。全知全能で、善良な神が本当にいるのならば。


今までのキリスト教生活を思い出し、胃酸が逆流してトイレで吐いた。おおかたの日本人に、宗教は向かないのだと思う。押し付けるのもよくない。


お天道様が見ている。それで十分なのだ。


吐いたものを流すと、冷汗が出て来た。


勉強しなくちゃ。勉強。まだ一校チャンスはある。


でも、もう心が死にかけている。自殺したい思いにも駆られている。このまま高いところから飛び降りて、体のなにもかもを壊して死んでしまいたい。


心の傷から流れ出る血が、益々多くなったような気がする。


ザザッと頭の中でまた砂嵐のような音がした。


ザザッ。ザザッ。ザザー。


音が聞こえ続ける。目から光が消える。


梓は引き出しからカッターを取り出すと、無意識にリストカットを始めていた。


「了」



引用 遠藤周作著 新潮文庫『沈黙』

   

アガサ・クリスティ著 山元やよい訳

ハヤカワ文庫『オリエント急行の殺人』

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リアル 明(めい) @uminosora

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