第2話 破戒僧と薬屋

 翌日、俺は宿屋のベッドで目が醒めた。今度は酔い潰れる事もなく、無事に宿まで辿り着いたようだ。


「頭が痛くない……と言うことは、呑んだのは俺の火酒だけか?」


 ベッドの横に転がってる酒瓶を持ち上げると、驚くほど軽くなっている。蓋を開け、中を確認すると既に空っぽであった。

 その事実に、俺はため息を吐いた。

 買い直しは確定。安酒の火酒だが……色々便利に使えて、調合や俺の治癒魔法を付与する事で便利に使える薬にもなる。我慢できなくて飲んだのだろうな。まぁ、お陰で悪酔いはしないが……。材料も昨日で揃えたし、丁度良いと言えばそれまでの事。また闇市なり、酒場なりで火酒を調達して調合すれば良い。


「暫くは、町の外出なくていいか。何だか、物騒だし。暫くしたら、稼ぎ時かもな」


 昨日の急患を治療した後、一体何が有ったのか聞いた所……やはり南の森から強力な魔物が現れたそうだ。速過ぎて詳細な姿を見る事ができなかったが、体高は凡そ二メートル。恐らく、熊か狼型の魔獣。爪痕は四本……熊だったらアレでも浅い傷と言う事だ。

 あの森で感じた気配は、あの魔物が獲物を探している気配だったようだ。そこに生息していた野生動物や魔物は、あれを恐れて身を隠していたのだろう。主と言う可能性は全くないし、あんな殺気じみた気配をばら撒けば、先ず森と言う領域から弾かれそうな気もするが……。ともあれ、他所から流れたのは確かだろうな。森の主たる獣すら身を潜めたのだろう。

 まぁ、暫くすれば誰かが狩ってくれる。それまでは怪我人が適度に発生して、俺が治す。

 彼等もバカじゃない。相応の実力者が魔獣狩りに乗り出すし、そうなれば長引いたとして怪我人は増えるが死者までは出ないだろう。少なくとも、あの大怪我をした急患を見れば尚の更だ。

 適度に生き延びて、金を運んでくれよ? 冒険者たちも、領域に入ればその一部。領域を乱す余所者は、排斥されるのだから。



 宿で朝食を摂り、外に出る。日は少し高く、人の往来も活発になりかけている。大通りをフラフラと歩き、営業している露店に惹かれながら酒屋へ向かう。

 古く寂れた様な建物。飾られている看板には、擦れているが『ホーク・ショット』と書かれている。俺のお気に入りの店で、様々な火酒を取り揃えている。


「おっちゃん、酒くれや酒。いつもの奴で!」


「おぉ、ロイセルア。まだくたばってなかったのか? アレだけの火酒を口にして、まだ生きてるとはな」


「応よ! 俺はそう簡単に死なねぇよ」


 店主はドワーフのヴェクター。茶色の髪に立派な髭。身長は概ね一四〇センチ前後。年齢は五〇代と、種族の中ではまだ若い。

 酒の匂いに釣られてこの店に入ったが、薬としても運用できそうな物が三割もある。何度も買い物して、今では軽口を叩いたり偶にここで軽く飲んだりする仲だ。二日前はここで飲んで、盛大に酔っぱらったもんだ。


「だが悪いな、今日はいつも買っている『ヒートレイン』は切らしたんだ」


「あ? 仕入れで何かあったのか?」


「いや、製造元が材料の入手に苦戦しているようでな。ここ最近、需要が高まったんだとよ」


「と、言う事は……」


「三ヶ月待て」


「あーぁ……! ヒートレインが、あのハーブの様ないい香りの火酒が三ヶ月待ちだなんて! 誰も見向きもされなかったあのヒートレインがぁ!」


「作る奴が泝少ないんだ、暫くは諦めな。代わりに、こいつはどうだ? 『クリスタル・ドロップ』って言うんだ」


 ヴェクターは棚からその一本を取り出し、ショットグラスの半分に注いだ。

 色は透明……いや、僅かに白く濁っている。だがそれは、まるで宝石のように光を反射する。ショットグラスを受け取り、香りを嗅ぐ。


「……これは。ラムに嗅ぎ慣れた薬草を混ぜたのか? いや、それにしては何か違うような……」


「発行の段階で一緒に混ぜた奴だ。俺の友人が作った試作品だ。飲んでみな、美味いぞ」


 ショットグラスを呷り、中身を一気に飲み干す。爽やかな香りが一気に鼻を突き抜け、喉に落ちていく。しかし、飲み干した後の吐息は温かくそれが火酒だと分かる。


「おお! 何だこれ、美味いじゃねぇか!」


「気に入ってくれたようだな。試作段階だが、値段は『ヒートレイン』より張る。その酒壺で銀貨八枚だ」


「銀貨三枚分は高いな……だが、買った!」


 結局は火酒であればいい。そして、安い中で最も美味いやつが嗜む程度にも治療に使うにも触媒として用いるのに向いている。

 ヴェクターは一升瓶三本分を取り出し、俺の酒瓶に入れていく。


「しっかし、いつ見ても不思議よな。一升瓶にも満たない見た目の酒壺が、それ以上の量を受け入れる。英雄が居た時代の骨董品か?」


「いやぁ? ま、がわは何処にでも売ってあるちっさい酒壺だけどな。俺は酒瓶と呼んでいる」


「どう見ても壺だろ。まぁ、細かい事はどうでも良いか。だが、これは内側にガラスを貼ってないか?」


「正解だ。だが意味が解らん」


「俺もだ。陶芸品に詳しいやつか、あるいは魔道具を作っている奴なら分かるかもしれねぇな」


 中身が満たされた酒瓶に蓋をし、いつも通り腰に吊るす。重さは空っぽの時と変わらない。


「また来いよ、ロイセルア」


「また来るぜ、ヴェクター。じゃあな」


 ホーク・ショットを出て、また、大通りに出る。次は薬屋だ。

 個人的にストックして置きたい薬があり、それを作るには本格的な工房が必要だ。自分が口にする薬は、どうせなら美味い方が良い。その為だけに、本格的な工房を借りる。

 また大通りをフラフラと歩きながら、途中美味しそうな串焼きが有ったので買い食いをした。


「おっさん、見ねぇ顔だよな? この町に来たのいつだ?」


「一週間前さ、隣町からここに商売しに来たんだ」


「一週間前か……道中は平和だったのか? 俺はあんまり他の町に行かねぇからよ」


「平和も平和だったよ。冒険者雇ってここまで来たが、取り越し苦労だったぜ。ま、最近はそうもいかねぇようだが」


「じゃあ異変はここ最近の出来事か? 町の外に出るんだったら、今の時期は冒険者を雇った方が良い。昨日冒険者ギルドで大怪我した奴が運ばれててよ、酷いありさまだったぜ。脅しておくが、絶対に今の時期町の外へ出るのは止めとけよ。串焼き御馳走さん」


「おう、向こう一ヶ月は町を出ねぇよ。親切なあんちゃん、また来な」


 最低でも、一週間前までは異変が無かったことを確認できた。異変が発生したのは、それ以降なんだろうな。だからと言って、俺が何とかする訳じゃないけど。原因を知って置くことに損はない。情報を持っておけば、その後の行動を決定しやすい。

 冒険者の鉄則その二、生き残りたくば情報収集を怠るな。雑多な情報でも時には役に立つ。集めれば、それは一つの武器となり得る。

 情報の対価として串焼きは十分安い。その分大したものじゃないが、今はこれで良い。

 今度は露店を冷やかさず、真っ直ぐ薬屋へと向かう。今の時間なら、人が少ないし店主を捕まえやすい。逆に、それまでに捕まえられなければ快く貸してくれない。それに、人が少ない方が気も楽だ。

 薬屋は町の中心近くに店を構えている。ギルドは南門の区域に配置されているし、俺が宿泊している宿屋もそこに近い。だから、入用が有っても少し億劫になるほど遠い。だからと言って、買わない冒険者は余程の自信家か愚か者……とくに後者として呼ばれるのでそれは避けなければならない。ギルドは、そういう所も見て人を評価する。

 薬屋に着く頃には、人通りも増えていた。工房を貸して貰えるか心配だったが、それは杞憂に終わった。

 薬屋の前には、探していた店主がいた。紫色の髪に、これまた紫色の目の女性。整えれば十人中八人は振り返る美貌なのだが、目元の隈がそれを台無しにしている。店主の名前はエリー。店の前で掃き掃除をしている。


「よー、エリーさん」


「あら、ロイじゃない。一週間ぶりかしら」


「そうだな、一週間ぶりになるか。愛飲している薬が切れそうだから工房を貸してもらいたい」


「いいわよ、いつも通り使用料を貰うけど」


「分かってるって……ほい」


 銀貨一枚に、毒消しとして用いる薬草を手渡す。工房を貸してくれと言った時、彼女は銀貨二枚を要求していたが……俺が持ち込む薬草を見て銀貨一枚と薬草になった。今まで見てきた薬草の中で、下処理も状態も一番いいのでそれを気に入られた。快く工房を貸してくれるが、俺としては銀貨二枚の方が楽だった……。


「ところで、この時間帯はそこそこ客が多い筈だが?」


「そうなのよ。いつもなら多い筈なんだけれど、今日は何故か少ないのよね。他の冒険者たちは、遠出でもしたのかしら?」


「さぁ? ま、無事なら顔出すんじゃねぇの? 需要は尽きないからな」


「それもそうね、気長に待つとしましょう。工房は好きなように使っていいからね」


「それを聞いて安心した」


「それ、どう言う意味よ。同じ轍は踏まないわよ」


 好きなように使っていい。詰まり、工房に危険な素材は置いてないと言う事だ。この前、ゴジアオイを鉢の中で沢山植えられた状態の物を見た時は冷や汗をかいた。工房は薬品の匂いで満たされている為、ゴジアオイが分泌する揮発性の高い油の匂いを感知しにくい。しかも、初めて入手したからその危険性を知らない為、そのままで置かれていた。万が一発火すれば、耐熱性の高いゴジアオイの種でも無事では済まさない。ここには、沢山の触媒があるからだ。因みに用途は、香油を精製する為に入手したらしい……。


「じゃ、工房はいつものように使わせてもらうぜ」


 店へ入り、商品棚に目もくれず、カウンター裏の扉を開く。そこは工房直通の廊下があり、右には薬草園が見える窓、左には二つの扉。前には工房へ続く扉がある。

 左奥の扉……あれは完成品と廃棄予定の失敗作、そして特定調合素材(扱いが厳しい物や使用を保留した危険物等)を分けてある部屋になる。正しく保管されてない物が置いてないか気になるが、触らぬ神に祟りなし。あの時は危険予知が働いてゴジアオイを見つけたが、それ以降は入ってない。

 工房の扉を開けると、薬草のような青臭い匂いや薬品の匂いが一層強くなる。

 嘔吐きそうな匂いもお構いなしに作業台へ向かう。綺麗にされた作業台は、調合の際に不純物や微量の素材や薬品を混入させない為、常に清潔に保つことは欠かせない。思わぬ結果を招くからだ。

 作業台の上で、採取した薬草を取り出す。この薬草は『甘夢草かんむそう』と言い、香にすれば良い夢を見せ、眠りへ誘う。今回の調合は、夢を見せる部分を取り除き、深い睡眠へ誘う睡眠剤を作る。作り方はとても簡単。フラスコに細かく刻んだ甘夢草を満たし、魔力を込めた火酒を注ぐ。後はドロドロになるまで火をかけ、凝固剤を混ぜる。スポイトで抽出し、小指の爪ほどの大きさで台の上に垂らす。冷えて固めれば、『昏睡薬』の出来上がり。深い眠りに入れば、夢を見ずに眠れる。これで暫く、泥酔や酩酊状態で眠らなくていいだろう。

 作業台を生活魔法『ピュリフィケーション』で綺麗にし、次の薬を調合する。自作の回復薬だ。

 普通の回復薬と作り方は似ているが、それと比べて薬草の必要量は少なく、砕いた魔石を使う事。後は水で混ぜ合わせ、魔力を注ぐ。暫く放置して全ての材料が馴染むのを待つ。それが終れば、弱火にかけてじっくり煮込む。だいたいこれで完成。後は冷ましてポーション瓶に注いで、何時でも使える。

 また作業台を清潔にし、漸くメインの薬……酔い醒ましの調合に取り掛かる。

 これは簡単な薬で、薬研に解毒草、生姜と塩少々入れ磨り潰す。水を少しずつ注ぎ、粘土状になれば小さく千切って丸める。これだけで、酔い醒ましが完成する。味はクソ不味い。

 昔、この薬は液状の飲み薬だった。そのまま飲むと嫌になるほど不味く、何とか固形の飲み薬として開発するに至った。効果は液状と変わらず、しっかり効いてくれる。

 補充する薬は全て作ったので、作業台の上の者を全て片付け、清潔にする。豆な事だが、これをやるやらないで調合の成功率に大きく作用される。せっかく貸してくれている事だから、それぐらい流行るのが礼儀と言うものだ。飲んだくれとは言え、それぐらいの心は持ち併せている。


「エリー終わったぞ。いつも工房を貸してくれて、ありがとな」


「あら、もう終わったの? 早いわね」


 店舗の方へ戻ると、エリーは店番をやっていた。恐らく、清掃を終えて直ぐに店番をしているのだろう。


「今回は大したものを調合してない。そりゃ速く終わる。そっちは、俺が調合している間に客に一人でも来たのか?」


「全然来ないわ」


「おかしいよな? 冒険者が毎日来てそうなのに」


「常連さんであれば、別れの挨拶食らい来るのだけれど……まさか死んじゃったり?」


 さも当たり前のことのように、縁起でもない事をエリーは口にする。あながち、否定できない事だが……やめてほしいものだ。


「冒険者の仕事に、死は付き物だが……ここに来る冒険者はベテランの筈だ。引き際は弁えるし、臆病なくらい冷静な判断を下す」


「……そうね。それでもやられるとしたら」


「「余程のイレギュラーが現れた」」


 二つの口から同じ言葉が出た。そして、俺もエリーも考える。

 可能性があるとしたら、南の森が原因か? あそこは薬草と得物が豊富である場所だ。昨日、あの患者が大きな魔物と遭遇したのもあの森。妙な気配もしたしな。


「また薬の用意をしなければならないのかしら?」


「その前に情報収集だな。それからでも遅くはないだろ」


「そうね、冒険者ギルドに足を運ぶかしら……今から。貴方も来る?」


「いいや、俺は夜に酒場へはしごする。じゃあな」


「そう、貴方も気をつけなさい」


 考えるのは、明日で良い。今日は、ゆっくりさせてくれ。あの大量の血を見たら、暫くは忘れたい。嫌な記憶ばかりが、掘り起こされるから。

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前世は聖者、今は破戒僧 @AwayukiShibuki

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