42 豊臣の子

 その真田信之だが、弟・信繁からふみが届き、「京の小野お通のやしきへ来てくれ」とあるので、足を運ぶと、そこには豊臣国松(秀頼の息子)と奈阿姫(秀頼の娘)がいた。

 思わずぎょっとする信之だが、気がついたら国松と奈阿姫と共に貝合わせなどして遊んでいた。

「……いやはや、お通どの、そなたは大した御仁だな」

 お通は、信之が動揺して帰ろうとしたり、あるいは国松と奈阿姫を問いただそうとすると、「まあまあ」と言ってはなだめ、信之は今さら国松と奈阿姫を徳川に突き出したりできなくなってしまっていた。

「ほんに、気働きのできる女子おなごじゃ」

 信之の感心にまんざらでもないお通だが、今はそれよりも、この二人の子のこれからである。

 ――兄上。奈阿姫については、信繁の言うとおり、千姫さまを頼るがいいと思う。

 信繁はそのふみにおいて、千姫に会って、秀頼の「出生の秘密」についての誤解を解くことと、奈阿姫を預けて欲しいことを伝えていた。

「この真田信之、千姫さまに会うことはできましょう。そしてその場にて、奈阿姫さまをお願いしてみる所存」

 信之の妻、小松姫は徳川四天王・本多忠勝の娘であり、さらに徳川家康の養女として、真田家に嫁いでいる。

 信之はその伝手を使って、千姫と会うつもりだった。

「……さりながら国松ぎみについては、これは難しいかと」

 奈阿姫はまだ女の子だから尼にでもして、生涯、独身でいてもらえば、何とかなる。

 しかし国松は、それこそ豊臣の子。

 正嫡のの子であり、これを公にしたら、死は免れない。

「これはいかに千姫さまが豊臣家への思いを取り戻したとしても、難しいのでは……」

 首をひねる信之の耳に、おとないの声が聞こえてきた。

 お通が「出てきます」と席を外して少しすると、お通は一人の女性を連れてあらわれた。

完子さだこと申します。九条家の」

 豊臣完子が、いつぞやの茶々と会ったことをよすがとして、もうそろそろ大坂の陣のほとぼりも冷めた頃だし、近々会いに行くと伝えていたが、今日、ふと思い立って、訪れたという。

「そうしたら……まあまあ、国松に奈阿」

 今さら完子には口止めは必要ないだろうからと、お通が事情を話した。

 すると完子は手をった。

「成るほど。どうりで、夢枕に義母上ははうえが立ったわけです」

 昨夜ゆうべ、完子は夢を見た。

 夢の中で、久しぶりに茶々と会い、思い出せないが会話し、そして茶々の隣にいる大野治長が、うんうんとうなずいていたのを覚えている。

「二人の幸せそうなこと……」

 完子がそんな二人を見つめていると、二人は目で「お通に会って欲しい」と伝えてきたという。

「それは心の中に入ってくるような言葉でした」

 そこで目を覚ました完子は、取るものもとりあえず、お通の邸へ向かった。

 あまりにも急で、夫の忠栄ただひでにすら、伝えていない。

「ですがそれが幸いしました。今なら誰にも知られていません。国松は、わたしが連れて行きましょう」

「連れて行くとして、どこへ」

「高台院さまです」

 信之は膝を叩いた。

 たしかに高台院なら、国松を無下に扱いはすまい。

 たとえ徳川が手を出そうとしても、それこそ豊臣恩顧の大名たちが立ち上がるおそれがある。

「とにかく、忠栄さますら知らないという、この状況は好機。押しかけですが、このまま高台院さまに参りましょう」

 国松も、事実上の「おば」である完子ならば安心できると言って、一も二もなく、完子の輿に入り、そのまま高台院へと向かった。


 ……高台院は事情を聞くと、即座に甥の木下延俊きのしたのぶとし豊後ぶんご日出ひじ藩藩主)を呼びつけ、「そなたの子にしなさい」と命じた。

 ちなみにこの木下延俊は、生家の一族を愛した高台院が、最も寵愛した甥であるため、この命を拒むことなく、国松を四男として迎え入れた。その四男は長じて延由のぶよしと名乗り、没後、位牌には「豊臣延由」と記されることになる。



 一方で。

 奈阿姫は真田信之が京の真田屋敷に連れ帰り、そのまま妻の小松姫に会わせた。

 小松姫は事情を聞くと、「わかりました」と言って、千姫に、会ってもらえないかとふみを書いた。

 養女とはいえ、徳川家康の娘という扱いであり、秀忠より年上なので、千姫から見て、小松姫は伯母である。

 千姫に、否やはなかった。

「あとはお任せください」

 そう言って小松姫は奈阿姫を連れて、千姫に会いに行った。

 小野お通のことを褒めそやす信之を平たい目で見ていたので、その辺で手柄を立ててやろう、と思っていたのかもしれない。

 千姫は、さすがに事情をわきまえていて、自身のみで茶室での面会を設定していた。

「ようお越しくださいました」

 千姫の顔がこわばる。

 豊臣という家への嫌悪感。

 それが彼女の心を支配していた。

 それゆえにこそ、家康や秀忠から、「生きていて良し」と言われたのだが。



 ……小松姫の話により、千姫は心が洗われたような気分だった。

 大野治長や真田信繁は狂っていなかった。

 治長は茶々と本懐を遂げるため、信繁はその治長の願いと秀頼を守るため、それぞれ全力を尽くしていた。

 また、隆清院(豊臣秀次の娘)については、小松姫は豊臣完子の紹介で、瑞龍院日秀の許にいる彼女に会いに行った。

 その時、こう言ったという。

「豊臣秀次の娘であるため、およそ誰かに嫁ぐことなどかなわぬと歎いていたわたしを、受け入れてくだすったのが、信繁さま」

 小松姫の目から見ても、隆清院は信繁を信じ切っていた。そこには、愛があった。

「ですから千姫、秀頼ぎみも、それは間違ったところはあるが、その秀頼ぎみが残した子は、守ってもらえまいか」

 小松姫は、連れて来た奈阿姫をき抱く。

 千姫もまた、同じ気持ちである。

 だが彼女の父の秀忠と、祖父の家康は豊臣の子など殺せというだろう。

 それを聞いた小松姫は笑った。

「何だ、そんなことか」

 この、徳川四天王・本多忠勝の娘であり、表裏比興ひょうりひきょうの者・真田昌幸相手にも、一歩も引かずに城を守り抜いた女が、笑った。

「……聞いているのであろう、半蔵!」

 小松姫は茶室の外に向かって叫んだ。

「わが義父ちち義弟おとうとに伝えい! この奈阿姫は尼寺にでも入れる! さすれば豊臣の子ではない、仏の子じゃ! さまでにしたこの娘の命を取ろうと言うのなら……」

 小松姫は奈阿姫を千姫に渡し、立ち上がった。

「……この小松、一戦も辞さぬ覚悟である! 今すぐ槍なり刀なり持って、おんみずからここへ来いとな!」

 茶室の外の気配が消えた。

 少しして、土井利勝があらわれ、「奈阿姫は千姫の養女とし、尼にすること」と、家康の言葉を伝えた。

 

  

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