終章 豊臣の子

41 落人

 豊臣秀頼は、目覚めると自分が揺れているのに気がついた。

 正確には、揺れるものに乗っていることに気がついた。

「……舟?」

 たまに、城の堀で水遊びをする時に、少しだけ乗らされたもの。

 しかも堀なので、波風は立たず、このように揺れることはない。

 それが。

 こんなに、激しく。

「海?」

然様さよう

 同舟の真田左衛門佐信繁さなださえもんのすけのぶしげが指を向けた方を見る。

 何か、大きなものが焼けているのが見える。

 赤い炎のようなきらめきと、白い煙がたなびいていくのが見える。

「御城……大坂の城か」

「はい。落ちましてござりまする」

 秀頼は立ち上がって、舟のへりへ向かう。

 舟の者たちは、皆、真田の手の者らしく、うやうやしく沈黙している。

 どうやらここは、茅渟ちぬの海(大阪湾の古語)らしい。

「ああ……」

 生まれ育った城が、このようなかたちで失われるとは。

 いっときは望んだとはいえ、目の当たりにすると、来るものがある。

 海風に髪をなぶられながら、秀頼は涙を流した。



 秀頼が落ち着くと、信繁が秀頼が眠らされたあと、どうなったかということと、どうなるかという話をしてくれた。

「母上は、修理しゅりと共に逝ったか……」

 修理――大野修理治長おおのしゅりはるながは、生まれ落ちた時から、乳兄弟として茶々と共に在った。

 そして、恋に落ちた。

 ところがその恋が実る前に、茶々は豊臣秀吉という男の手に落ちてしまう。

 その時、修理はおのが才知を尽くして秀吉の馬廻りになった。

 かたちはどうあれ、茶々のそばにいることを選んだ。

 そうしているうちに、秀吉が死に、修理は茶々と結ばれた。

「命落つる前に、そうなれたこと……二人は、幸せだったのだな……」

 その幸せに殉じた。

 徳川家康という、豊臣憎しで生きて来た男がいる限り、豊臣の者は生きられない。

 ならばと、二人で共に逝くことを選んだのだ。

「しかしまあ、何とも大きなことよ。巻き込まれた者たちも、たまったものではあるまい」

 生き延びたおのれが言うことではないか、と秀頼は付け加えたが、信繁は「みな、自分で選んだことでございます」と言った。

「大名たちは、自分で選んで大坂に来なかった。牢人たちは、来ないという道もあった。でも、来た。もともと、城にいた者たちも、そう望む者は内通しておりましたし、裏切る者もいた。それでも城と命運を共にした者たちは……」

「わかった」

 信繁は、過度に気にするなと言いたいのだろう。

 かつて──想い人であった、義姉の完子さだこ乳母めのとの死を気にして迷走し、暴走してしまった秀頼自身のように。

「すまぬ」

 衷心からの詫びに、信繁は驚いたような顔をした。

 どうやら、秀頼のことを、相当な育ちと見ており、謝るなどということをするのか、という意味らしい。

「酷いな」

 この秀頼とて、人を愛し人を恨み、謀に身を募らせた。

 だから、人の心の動きは、わかる。

「これはご無礼を」

 信繁は素直に頭を下げた。

 そういう風に、己の心に正直に振る舞うということの、何と貴重なことか。

「やはりあの城大坂城は燃え落ちるべきだった。そうでないと、こういうことはできなかった」

「……そのとおりとは思いますが、秘せられませ」

「わかっている……して、これから何処へ向かうのだ?」

「……薩摩」

「随分遠いな」

「遠うございます。されど、その遠さが、秀頼ぎみを守る盾となりましょう」

「遠さ、か。島津が、ではないのだな?」

「ご賢察」

 信繁は、どういう伝手を使ったのか、薩摩・島津家への亡命に渡りをつけた。

 それは徳川の追及をかわすため、江戸からかなり離れていることが第一条件であった。

「島津家自身は、豊臣家への奉公は済んだ、と明言しております。それゆえ、おおっぴらには薩摩に入れませぬが、隠れてならよいと」

「その方が、『消す』のが楽だしのう」

「……そういうことでございます」

 島津家の当主・忠恒は決して善人ではない。むしろ悪人に近い。されど、「興が乗った」と言って、秀頼を受け入れる意思を示した。

「……その興さえも乗らない大名ばかりです」

「なるほど、ということか」

 島津忠恒が何を思って秀頼と信繁一行を薩摩に入れるのか、それは判然としない。

 徳川への叛意のあらわれか、豊臣への忠義か。

 あるいは、またしてもこの国を乱世へといざなうための、種か。

「……それでも、薩摩なら南国で、海に面しております。いざとなれば、逃げましょう……琉球りゅうきゅうなり、みんなりに」

「琉球? 明?」

 秀吉の出兵先だった、ということしか覚えていない。

 しかし今、改めてその名前を聞くと、それは新鮮で。

「よし、行こう」

 魅力的だった。


 豊臣秀頼。

 大坂の陣により自決したとされるが、生存説もまことしやかにささやかれる。

 その逃亡先として薩摩が知られているが、その薩摩からもさらに遠くへと向かったのかどうかは、定かではない。

 ただ、つきしたがった真田信繁が、のちに兄の信之に伝えたところによると、「もはや豊臣の子ではなく、秀頼という一個の人間」として生きたという。

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