終章 豊臣の子
41 落人
豊臣秀頼は、目覚めると自分が揺れているのに気がついた。
正確には、揺れるものに乗っていることに気がついた。
「……舟?」
たまに、城の堀で水遊びをする時に、少しだけ乗らされたもの。
しかも堀なので、波風は立たず、このように揺れることはない。
それが。
こんなに、激しく。
「海?」
「
同舟の
何か、大きなものが焼けているのが見える。
赤い炎のようなきらめきと、白い煙がたなびいていくのが見える。
「御城……大坂の城か」
「はい。落ちましてござりまする」
秀頼は立ち上がって、舟のへりへ向かう。
舟の者たちは、皆、真田の手の者らしく、うやうやしく沈黙している。
どうやらここは、
「ああ……」
生まれ育った城が、このようなかたちで失われるとは。
いっときは望んだとはいえ、目の当たりにすると、来るものがある。
海風に髪をなぶられながら、秀頼は涙を流した。
*
秀頼が落ち着くと、信繁が秀頼が眠らされたあと、どうなったかということと、どうなるかという話をしてくれた。
「母上は、
修理――
そして、恋に落ちた。
ところがその恋が実る前に、茶々は豊臣秀吉という男の手に落ちてしまう。
その時、修理はおのが才知を尽くして秀吉の馬廻りになった。
かたちはどうあれ、茶々のそばにいることを選んだ。
そうしているうちに、秀吉が死に、修理は茶々と結ばれた。
「命落つる前に、そうなれたこと……二人は、幸せだったのだな……」
その幸せに殉じた。
徳川家康という、豊臣憎しで生きて来た男がいる限り、豊臣の者は生きられない。
ならばと、二人で共に逝くことを選んだのだ。
「しかしまあ、何とも大きなことよ。巻き込まれた者たちも、たまったものではあるまい」
生き延びたおのれが言うことではないか、と秀頼は付け加えたが、信繁は「みな、自分で選んだことでございます」と言った。
「大名たちは、自分で選んで大坂に来なかった。牢人たちは、来ないという道もあった。でも、来た。もともと、城にいた者たちも、そう望む者は内通しておりましたし、裏切る者もいた。それでも城と命運を共にした者たちは……」
「わかった」
信繁は、過度に気にするなと言いたいのだろう。
かつて──想い人であった、義姉の
「すまぬ」
衷心からの詫びに、信繁は驚いたような顔をした。
どうやら、秀頼のことを、相当な育ちと見ており、謝るなどということをするのか、という意味らしい。
「酷いな」
この秀頼とて、人を愛し人を恨み、謀に身を募らせた。
だから、人の心の動きは、わかる。
「これはご無礼を」
信繁は素直に頭を下げた。
そういう風に、己の心に正直に振る舞うということの、何と貴重なことか。
「やはり
「……そのとおりとは思いますが、秘せられませ」
「わかっている……して、これから何処へ向かうのだ?」
「……薩摩」
「随分遠いな」
「遠うございます。されど、その遠さが、秀頼
「遠さ、か。島津が、ではないのだな?」
「ご賢察」
信繁は、どういう伝手を使ったのか、薩摩・島津家への亡命に渡りをつけた。
それは徳川の追及を
「島津家自身は、豊臣家への奉公は済んだ、と明言しております。それゆえ、おおっぴらには薩摩に入れませぬが、隠れてならよいと」
「その方が、『消す』のが楽だしのう」
「……そういうことでございます」
島津家の当主・忠恒は決して善人ではない。むしろ悪人に近い。されど、「興が乗った」と言って、秀頼を受け入れる意思を示した。
「……その興さえも乗らない大名ばかりです」
「なるほど、ましということか」
島津忠恒が何を思って秀頼と信繁一行を薩摩に入れるのか、それは判然としない。
徳川への叛意のあらわれか、豊臣への忠義か。
あるいは、またしてもこの国を乱世へといざなうための、種か。
「……それでも、薩摩なら南国で、海に面しております。いざとなれば、逃げましょう……
「琉球? 明?」
しかし今、改めてその名前を聞くと、それは新鮮で。
「よし、行こう」
魅力的だった。
豊臣秀頼。
大坂の陣により自決したとされるが、生存説もまことしやかにささやかれる。
その逃亡先として薩摩が知られているが、その薩摩からもさらに遠くへと向かったのかどうかは、定かではない。
ただ、つきしたがった真田信繁が、のちに兄の信之に伝えたところによると、「もはや豊臣の子ではなく、秀頼という一個の人間」として生きたという。
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