40 落城

「……もともと、死にたいと思っていたのじゃ」

 天下一の美貌を誇る茶々は、それがまるで嘘かのように、老いさらばえた顔をしていた。

 妹たちを死なせまい。

 わが子を生かしたい。

 その思いで、今までおのれを支えて来た。

 それはある意味、徳川家康と似通っていたのかもしれない。

「その願いを、修理しゅり、そなたがかなえてくれるのじゃな」

「そうだ、茶々」

 もう隠そうともせず、大野修理治長おおのしゅりはるながは、そう呼んだ。

「もともと、二度も父を喪い、それで誰からも腫れ物扱いされ、『余生』をそなたと過ごそうと思っておった」

 そこを、豊臣秀吉に奪われた。

 自死するという道を、妹たちの命を盾に、やはり奪われて。

「そうこうするうちに、すてが生まれ、死に……完子さだこを養子として、秀頼が生まれ……死ぬに死ねなくなった」

 治長はそういう茶々をずっと見ていた。

 だから、茶々のその心底の願いを、かなえてやろうと思った。

 愛する人であり、そしておのれを愛してくれる人。

 共に、死のうとも願った。

「じゃが秀頼、そなたは生きよ。わらわの言動が誤解を招いていたみたいだが……それでも、生きたいのじゃろう」

「あ、あ……」

 秀頼の悩みを知れば、茶々はまた心を痛めただろう。

 茶々の心は耐えられぬと見た治長は、それを隠匿した。

 したが、今の様子を見ると、それは杞憂だったようだ。

 今さらながら。

「さあ秀頼、生きなさい。妾にはわからぬが……左衛門佐さえもんのすけが、そなたを生かしてくれるのじゃろう、修理?」

「いかにもさようにございます」

 秀頼に才蔵が迫る。

 それでも秀頼は最後に言った。

「ま、待ってくれ! わが子は、奈阿姫は? 国松(秀頼の息子)は? それに、千姫は余を誤解したまま……」

 これに治長が冷静に答えた。

「お子さまたちは何とかしましょう。そして千姫さまは……」

「わが兄、信之があとで話してくれましょう……お子さまたちを連れて」

 真田左衛門佐信繁さなださえもんのすけのぶしげが、あとを引き取る。

 同時に目配せし、才蔵が二言三言、何かを唱えた。

「ああ……」

 秀頼の目が閉じられる。

 その瞳は最後に。

 母たる茶々をうつしていた。



「では左衛門佐、よろしく頼む」

「うけたまわった」

 才蔵が奈阿姫、信繁が秀頼を抱える。

 見ると、信繁の配下のひとりが男の子――国松を抱えていた。

「そういえば」

 茶々は最後に、秀頼の頭を撫でながら聞いた。

「こちらの左衛門佐どのの娘のなほどの、本物のなほどのは、本当に奈阿姫に似ているのかや?」

「……まあ多少は似ているでしょう」

 ちなみになほと、なほの母すなわち信繁の側室である隆清院は妊娠しているため、京へ避難していた――瑞龍院日秀のもとへ。

「日秀さまも、孫と孫に触れてみれば、何ぞ心が変わると思いますし」

「そうか……」

 茶々が微笑む。

 信繁はそれを見て、「出るぞ」と言った。

「この中で、げたい者は、ついてきてかまわない……されど、城を出るまでだ。そこからは別れる。われらは、この方たちを生かすために動くので、一緒にいられては、困るがゆえに」

 蔵の中にいた者たちの、何人かはそれでも信繁への同行を願い出た。

 才蔵らが先導し、彼らは蔵から出ていく。

 最後に残った信繁が、治長に一礼した。

「では、な」

「ああ」

 朋友同士の最後の会話は、そんなものであった。

 だが万感の思いがこもっていたことは伝わる。

 この場に残った者たちには、特に。



「悪いが茶々、ゆっくりしている暇はない」

「それは」

 蔵の中。

 治長は茶々の手を握る。

「千姫さまがもたらす『秀頼ぎみの出生の秘密』は、それなりに驚きを与えようが、さまでは時を稼がない」

 豊臣秀頼が、憎き秀吉の子ではなく、秀次の子であったとすると――それも、よりによって千姫が声高に唱えたとなると、さしもの家康も手を止めざるを得ない。でも止めるだけだ。振り上げた拳が一瞬、止まっただけで、すぐまた動き出す。

徳川あちらには服部半蔵という異能がいる。千姫さまの言葉を火消しされたら、真相を調べられたら、それまで」

 だがその調べの時間が欲しかったのだ。

 信繁が安全圏まで逃げるための、時間が。

「そして茶々、われらが逃げなかったのも、そのため」

 何も茶々と心中したいと思っていたから、残ったわけではない。

 茶々に、確実にここで死んでもらうために、治長は残ったのだ。

「……そうか、その異能、半蔵とやらが秀頼が逃げたと疑わないためには」

「そうだ茶々、ずっと城から出なかった秀頼ぎみの顔は、実はよく知られていない。だから誤魔化せる」

 一度、京・二条城で家康と対面しているが、それでも秀頼の顔を見た者は限られている。

 一方で茶々は、覇王・信長の姪として、太閤秀吉の愛妾として、色々な場に出ている。逃げることはできない。

「だから茶々、

「いや……はよせ、修理しゅりわらわわらわの意思で秀頼をがす。生かす。死ぬのではない」

「これはご無礼を」

 服部半蔵、否、徳川の目を秀頼から誤魔化すためには、本物の茶々の自決が必要である。

 茶々の死体があってこそ、そばにある「秀頼の死体」が本物と判断される。

 だから茶々は、秀頼の逃亡を助けるために死ぬと言ったのだ。

 逃げることができないから死ぬなど、「らしくない」と思うがゆえに。

修理しゅりどの」

 その時、蔵に残った者たちから、「したくが終わった」と告げられた。

 燃料を撒き、信繁が用意した「秀頼の死体」に化粧と着衣を施し、万事抜かりなしと言われた。

「大儀。では、逝くか」

「ええ……」

 最後にもう一度だけ抱擁すると、茶々は懐剣を抜いた。

「では修理しゅり、ではない、治長、頼みますよ」

「ああ、任せておけ」

 治長も脇差を抜いた。

「……こうして最期に、貴方と共に死ねて、良かった」

「ああ、おれもだ、茶々」

 そして二人はそれぞれの剣をくびに当て──勢いよく、走らせた。

「茶々さま!」

修理しゅりさま!」

 鮮血をほとばしらせて、二人の男女は、舞い狂うようにくるくると回り……そして、倒れた。

 茶々、治長、共に享年四十六歳。

 戦国という時代に生まれ落ち、その時代に翻弄された二人だったが、最期には二人は、共に在ることはできなくとも、共に滅びることができた。

 それが幸せだったのか、不幸せだったのか、余人には知るよしもない。

 ただ、この二人のおかげで、豊臣の子──豊臣の子らは、落城する大坂城から落ち延びることができた。



 蔵から火の手が上がった。

 ぼうぼうと。

 ごうごうと。

 まるで用意されていたかのように、よく燃えた。

 蔵を包囲していた井伊直孝は、火がおさまったのちに、主君・徳川家康に言上ごんじょうした。

 茶々、豊臣秀頼、大野治長、自決により御最期──と。

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