40 落城
「……もともと、死にたいと思っていたのじゃ」
天下一の美貌を誇る茶々は、それがまるで嘘かのように、老いさらばえた顔をしていた。
妹たちを死なせまい。
わが子を生かしたい。
その思いで、今までおのれを支えて来た。
それはある意味、徳川家康と似通っていたのかもしれない。
「その願いを、
「そうだ、茶々」
もう隠そうともせず、
「もともと、二度も父を喪い、それで誰からも腫れ物扱いされ、『余生』をそなたと過ごそうと思っておった」
そこを、豊臣秀吉に奪われた。
自死するという道を、妹たちの命を盾に、やはり奪われて。
「そうこうするうちに、
治長はそういう茶々をずっと見ていた。
だから、茶々のその心底の願いを、かなえてやろうと思った。
愛する人であり、そしておのれを愛してくれる人。
共に、死のうとも願った。
「じゃが秀頼、そなたは生きよ。
「あ、あ……」
秀頼の悩みを知れば、茶々はまた心を痛めただろう。
茶々の心は耐えられぬと見た治長は、それを隠匿した。
したが、今の様子を見ると、それは杞憂だったようだ。
今さらながら。
「さあ秀頼、生きなさい。妾にはわからぬが……
「いかにもさようにございます」
秀頼に才蔵が迫る。
それでも秀頼は最後に言った。
「ま、待ってくれ! わが子は、奈阿姫は? 国松(秀頼の息子)は? それに、千姫は余を誤解したまま……」
これに治長が冷静に答えた。
「お子さまたちは何とかしましょう。そして千姫さまは……」
「わが兄、信之があとで話してくれましょう……お子さまたちを連れて」
同時に目配せし、才蔵が二言三言、何かを唱えた。
「ああ……」
秀頼の目が閉じられる。
その瞳は最後に。
母たる茶々を
*
「では左衛門佐、よろしく頼む」
「うけたまわった」
才蔵が奈阿姫、信繁が秀頼を抱える。
見ると、信繁の配下のひとりが男の子――国松を抱えていた。
「そういえば」
茶々は最後に、秀頼の頭を撫でながら聞いた。
「こちらの左衛門佐どのの娘の
「……まあ多少は似ているでしょう」
ちなみに
「日秀さまも、孫とひ孫に触れてみれば、何ぞ心が変わると思いますし」
「そうか……」
茶々が微笑む。
信繁はそれを見て、「出るぞ」と言った。
「この中で、
蔵の中にいた者たちの、何人かはそれでも信繁への同行を願い出た。
才蔵らが先導し、彼らは蔵から出ていく。
最後に残った信繁が、治長に一礼した。
「では、な」
「ああ」
朋友同士の最後の会話は、そんなものであった。
だが万感の思いがこもっていたことは伝わる。
この場に残った者たちには、特に。
*
「悪いが茶々、ゆっくりしている暇はない」
「それは」
蔵の中。
治長は茶々の手を握る。
「千姫さまがもたらす『秀頼
豊臣秀頼が、憎き秀吉の子ではなく、秀次の子であったとすると――それも、よりによって千姫が声高に唱えたとなると、さしもの家康も手を止めざるを得ない。でも止めるだけだ。振り上げた拳が一瞬、止まっただけで、すぐまた動き出す。
「
だがその調べの時間が欲しかったのだ。
信繁が安全圏まで逃げるための、時間が。
「そして茶々、われらが逃げなかったのも、そのため」
何も茶々と心中したいと思っていたから、残ったわけではない。
茶々に、確実にここで死んでもらうために、治長は残ったのだ。
「……そうか、その異能、半蔵とやらが秀頼が逃げたと疑わないためには」
「そうだ茶々、ずっと城から出なかった秀頼
一度、京・二条城で家康と対面しているが、それでも秀頼の顔を見た者は限られている。
一方で茶々は、覇王・信長の姪として、太閤秀吉の愛妾として、色々な場に出ている。逃げることはできない。
「だから茶々、お前は誤魔化せない。逃げることはできない。それゆえに」
「いや……そういう理由づけはよせ、
「これはご無礼を」
服部半蔵、否、徳川の目を秀頼から誤魔化すためには、本物の茶々の自決が必要である。
茶々の死体があってこそ、そばにある「秀頼の死体」が本物と判断される。
だから茶々は、秀頼の逃亡を助けるために死ぬと言ったのだ。
逃げることができないから死ぬなど、「らしくない」と思うがゆえに。
「
その時、蔵に残った者たちから、「したくが終わった」と告げられた。
燃料を撒き、信繁が用意した「秀頼の死体」に化粧と着衣を施し、万事抜かりなしと言われた。
「大儀。では、逝くか」
「ええ……」
最後にもう一度だけ抱擁すると、茶々は懐剣を抜いた。
「では
「ああ、任せておけ」
治長も脇差を抜いた。
「……こうして最期に、貴方と共に死ねて、良かった」
「ああ、おれもだ、茶々」
そして二人はそれぞれの剣を
「茶々さま!」
「
鮮血を
茶々、治長、共に享年四十六歳。
戦国という時代に生まれ落ち、その時代に翻弄された二人だったが、最期には二人は、共に在ることはできなくとも、共に滅びることができた。
それが幸せだったのか、不幸せだったのか、余人には知る
ただ、この二人のおかげで、豊臣の子──豊臣の子らは、落城する大坂城から落ち延びることができた。
*
蔵から火の手が上がった。
ぼうぼうと。
ごうごうと。
まるで用意されていたかのように、よく燃えた。
蔵を包囲していた井伊直孝は、火がおさまったのちに、主君・徳川家康に
茶々、豊臣秀頼、大野治長、自決により御最期──と。
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