39 回想
「……茶々」
治長は遠慮なく茶々を抱きすくめた。
それは愛し合うようでもあり、いや、実際これまで何度も愛し合ってきたのであろう。
「茶々、もうそなたは助からない。というか、おぬしはもう、太閤殿下に欲されたその時から」
死ぬつもりだったのであろう。
言外の問いに、こくりとうなずく茶々。
わがものにならなければ、妹たちの命はないと脅されたという。
茶々は、浅井長政や柴田勝家という「父」たちを喪い、二度も城から落ち延び、自分たちはもう、捨てられたも同然だと思っていた。
どうせ生きるのなら、幼い日から共にいてくれた治長と一緒になって、それで「余生」を過ごそうと考えていた。
「そなたをものにすれば、豊臣家は──天下は安泰じゃ」
秀吉には秀吉の理屈があったのであろう。
へたに茶々ら三姉妹を誰かに嫁がせて、その誰かが織田や浅井や柴田などと言い出した日には、天下に乱が生じるやもしれぬ。
そして茶々は天下一の美貌の持ち主。これを手に入れるだけでも、天下一である証となりうる。
「しかたない」
茶々は諦めた。
乱世の、大名の家の娘だ。
そういう覚悟はあった。
これも運命だと思った。
せめて、二人の妹には、手を出さないで欲しいと願った。
*
こうして茶々は秀吉に輿入れした。
下にも置かれぬ扱いで、当時、秀吉の正室だった高台院(ねね)は、身を引いて正室の座を譲った。
床入りも、したくなければよいと言われた。
秀吉はもう、子どものことを諦めていたし、そういう相手をする女なら、ごまんといる。
しかし、それでは何か公平ではないと感じたし、のちのち、それを理由に妹たちに手を出されたり害されたりしても困るので、することはした。
「
秀吉は高齢だったので、それは実に優しくおこなわれた。
こういうものか、と茶々が思っていたら。
「子ができただと?」
秀吉がまずおこなったことは、茶々の周りの男たちの抹殺である。
彼は何より、自分のものを取られることを嫌った。
何もないところから、成り上がったゆえに。
「どうやら本当にわが子らしい」
かなり失礼な言葉だったが、茶々にとってはどうでもよかった。
どうせ子は
茶々がすることは、「母でいること」だけだ。
「死んでしまった」
最初の子、
ああ、本当にわが子だったんだと、その時感じた。
もし、次に子を得たら、死なすまいと思った。
たとえ、この命に代えても。
それは妹の
「
秀頼が生まれた。
*
「……秀次どのには、秀頼、そなたが大きくなるまでは、豊臣家を家督してもらい、その後は長老となって支えてもらうという話でした」
治長の腕の中で、茶々はそう言った。
秀頼は呆然として、それを聞いていた。
そして、自分は何だったんだろう――と思った。
誤解して。
曲解して。
暴走して。
そして自滅する。
母を巻き込んで。
妻に嫌われて。
「余は……余は……」
「生きたいのでしょう」
治長の言葉が、秀頼を撃った。
それはまるで、
そうだ。
そうなのだ。
いくさになって、
やはり、死ぬのは怖い。
生きたい。
生きていたい。
「だが……」
「かなえて差し上げましょう」
「え」
秀頼は
治長はそんな秀頼を、慈愛に満ちた眼差しで見ていた。
まるで――父のように。
「秀頼
治長は、ずっと秀頼を見ていた。
だから、秀頼が
「なぜ、そこまでわかる。見通せる」
「それは」
「
茶々はもはや隠そうともしなかった。
治長への気持ちを。
たとえ秀吉のものになろうとも、そばにいつづけることを選んだ、男への気持ちを。
ゆえに、彼の気持ちも、理解していた。
「だからここまで付き合ってくれた。だから秀頼、そなたを生かし、
「
堅い言い回しは、治長の最後の奉公としての気持ちであろう。
「では、良いな、修理」
「ああ」
ここで
彼は優しく奈阿姫を
「お
奈阿姫が不得要領な表情をしていると、
「えっ」
驚く奈阿姫の前で、
その者は男で、すらりとした長身をしていた。
「才蔵、大儀」
「恐悦至極にござりまする」
才蔵は一礼すると、奈阿姫の方に向き直り、両手で印を組み、一言二言、何かを唱えた。
奈阿姫はくらりと倒れ――眠りについた。
「では次は、秀頼
「は」
才蔵が立ち上がって、秀頼を見る。
吸い込まれそうな目を見ていると、たしかにくらりと来そうだ。
「い、いったい何を」
それでも秀頼は抵抗した。
このまま眠らされて、どうするのだ。どうなるのだ。
「秀頼
「しゅ、
治長がいつの間にか秀頼の隣にまで来ていた。
「そのための手はずは整えてございます。左衛門佐なら、徳川の陣をかいくぐって、奈阿姫さまや、秀頼
「別々に
いつの間にか信繁の周りには、才蔵を含めて十人ほどの男が立っていた。
信繁はその中で、
「佐助。間道の方は」
「
「よし」
その言葉を合図に、才蔵は両手で印を組んだ。
「ま、待て」
秀頼は手を振る。
これは、眠らされる奴だ。
このままでは、眠らされて、目が覚めた瞬間には。
「は、母上。母上はどうなさるのじゃ」
「秀頼」
茶々は治長に身を寄せながら言った。
「母は、死にます」
そうであろう、と茶々がつぶやくと、治長はうなずいた。
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