37 隆清院

 その女――豊臣秀次の娘にして、真田左衛門佐信繁さなださえもんのすけのぶしげの側室――は、のちに隆清院という法名を得るので、隆清院としていく。

 隆清院は、その父・秀次とそれにつづく秀次の妻子皆殺しの中を、なぜか生き延びていた。

 これには、秀次の意を酌んだ信繁が、まだ赤子の隆清院を密かに救ったのではないかと思われる。

 あるいは、さすがの秀吉も、そこまで命を奪うのはためらったのか。

 いずれにせよ、隆清院は信繁の手元に置かれ、秀吉もそれをとがめることもなく、逆に「御一門」と認め、そして月日は流れ、関ヶ原の戦いが起き、信繁は紀州九度山に流された。

 この時点で十代に達していた隆清院は、信繁の側室となり、その娘・なほを産んだといわれる。

「しかも今、お腹に赤子ややがいてござる」

 そのため、この大坂夏の陣現在、隆清院は瑞龍院日秀(秀吉の姉、とも。秀次の母)のところに身を寄せている。



「……いやいや、だからどうだというのじゃ」

 茶々はよくわからないという表情で、信繁を見た。

 信繁は、わかりませんかと言って、なほを肩に抱く。

 なほは嬉しそうだ。

 それを見て、秀頼の娘・奈阿姫はうらやましそうな顔をする。

 秀頼は「どれ」と言って、奈阿姫を抱き寄せる。

 それを見た千姫は気がついた。

 この場にいる中で、徳川という、異なる群れにいたせいかもしれない。

「奈阿姫となほが似ているということは」

 なほは真田信繁と隆清院の娘である。

 奈阿姫は豊臣秀頼と小石の方(成田氏)の娘である。

 真田信繁は信濃の生まれで、豊臣とは縁もゆかりもない家の者だ。

 成田氏は、正室である千姫が確認したが、成田助直という男の娘で、やはり豊臣とは縁もゆかりもない。

 では、隆清院はどうか。彼女は豊臣秀次の娘だ。

 一方で豊臣秀頼は豊臣秀吉、秀次の叔父の子だ。

「だから似て……いや似すぎている」

 改めて見ると、まるで姉妹のように似ている、奈阿となほ

 これだけ似ているとなると、せめてもう少し隆清院と秀頼が「近い」血縁にないと……。

「あっ」

 千姫ががくがくと震え出している。

 この命題は、秀頼が秀次の子であれば解決する。

 それに気づいた。

「ま、まさか」

 秀頼はおもてを伏せている。

 まるで、千姫からの追及をのがれるかのように。

 本当か。

 本当なのか。

「だ、だとすると」

 太閤秀吉という人物は、何ということをするのだ。

 そういえば、秀吉は子ができなかったと聞く。

 そのために。

「そのために……おのれの妻を、おのれの甥に」

 思わず千姫は茶々を見る。

 茶々は、硬直していた。

 しかし次の瞬間。

「な、何を言うておるッ」

 吠えた。

 常に優雅に、嫋やかである義母が、怒りをむき出しにして、吠えた。

修理しゅり、言うていいことと悪いことがあるッ。そなた、そなたは何じゃ! こ、このような、このようなことを」

「そう言われましても」

 今や、茶々は大野修理治長おおのしゅりはるながの襟をつかんで握りしめている。

 つかんだその手が、ぶるぶると震えている。

 それを秀頼は冷めた目で見ていた。

 よほどの怒りだが、それは真実を言い当てられたからではないか、と……。

「わかりました。徳川の陣に参ります」

 千姫は、冷めた目をしていた。

 いや、軽蔑の眼差しを浮かべていた。

 豊臣という家に。

「では千姫さま、秀頼ぎみと茶々さまの助命、よろしくお願いいたします」

「……言われるまでも、ありません」

 あの家康に、先ほどの話を伝えたら、何となろう。

 あれほど忌み嫌った豊臣の家の――豊臣の子の、醜聞。

 それを知ったら、嘲りと共に殺意を無くし、むしろ満天下に生き恥をさらせと、命を助けてくれるかもしれない。

 そういう意味では、たしかに有効だった。

「……千姫」

「触らないで下さいまし」

 千姫は秀頼を拒否した。

 先ほどの秀頼の「豊臣の子を産んでもいない」や「徳川の子」という発言を屈辱に感じていたのが、嘘のような千姫だった。

 ばかにしている。

 何が「豊臣の子を産んでもいない」だ。

 その豊臣の子を産むために、そこまでやるか。

 女を何だと思っている。

 いや、男も種馬扱いか。

 そういえば、この真田左衛門佐信繁とやら、よくよく考えたら、隆清院――豊臣秀次の娘と子を生したと。

 つまりは、この五十近い男が、十歳を越えたばかりの娘と、情交したのか。

 汚らわしい。

 穢らわしい。


 ──みんな、狂ってる。


「ようわかりました。こうなった以上、はよう、はよう徳川の陣へ参りますゆえ」

 一刻も早く、このような汚獩おわいの場から離れたい。

 今まで尽くして来た秀頼など、その汚獩の象徴だ。

 だから、早く。

「何をしているのです、修理! わらわはよう、徳川の陣へ! どうやって行くつもりなのです!」

 今まで、深窓の姫君として育てられ、扱われたことなど、まるで嘘のように凄む千姫。

 そのあまりの変貌に、茶々は言葉を失う。もともと、治長の述べた「秀頼の出生の秘密」により、心が衝撃に耐えかねていたこともあって、彼女は再び硬直していた。

「かしこまりました。権右衛門、権右衛門はいるか」

「はっ、ここに」

 治長の臣、米倉権右衛門はどこまでも忠実に、秀頼から離れずに彼を守りつづけていた。

 一歩引いたところにいた権右衛門を差し招き、治長は千姫の護衛と徳川の陣への手引きを命じた。

「よいか、片桐且元どのが迫っているはずだ。まずそこへ行け」

「承知いたしました」

 ここでまさかの片桐且元である。

 これあるを期して、治長は且元を粗略に扱わなかったのか、と誰もが思った。

 だが、誰も責めなかった。

 今となっては、治長の且元の伝手こそが、彼ら彼女らを救う、蜘蛛の糸だったのだから。

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