36 山里丸

 真田左衛門佐信繁さなださえもんのすけのぶしげが城に戻ると、すぐに大野修理治長おおのしゅりはるながが迎え出て、「こっちだ」と山里丸に引っ張っていった。

 山里丸。

 大坂城内の曲輪であり――茶々と秀頼の終焉の場として知られる。

「もう、城のそこかしこに敵が入って来ていてな」

「知っている」

「だが、今こそ……今こそ、その時だ」

「知っている」

 話しているうちに、山里丸に着いた。

 曲輪の中の、ある蔵に、茶々と秀頼はいた。千姫や奈阿姫といった秀頼の家族も、侍女や侍臣たちも、身を寄せ合っている。

 見ると、茶々と秀頼が何かを話しているようだ。



「ことここに至った以上、もはや徳川に降伏するほかあるまい」

 茶々は千姫にぬかづいた。

「頼みます……頼みまいらせる、千姫。どうかここは、徳川の陣におもむき、豊臣の降伏と、そしてご寛恕ありたしと……お伝え願えないだろうか」

 茶々はどこまでも冷静に、千姫に語りかけていた。

 一方の千姫は、動揺しているというか、非常に苦しそうな表情を浮かべていた。

義母上ははうえ、せっかくのお言葉ですが」

 千姫の侍女たちには、徳川の忍び――くノ一も混じっていた。そのくノ一が、家康の言葉を伝えた。

 ──豊臣の子と共に死ね、と。

 さらに聞くと、秀忠も同様という。

 おそらく、秀忠家康祖父に引きずられているのだろう。

 この大坂の陣までは、しつこいぐらいに豊臣家の、秀頼や、特に茶々の様子をふみで聞いて気にしていたが、一転して冷淡になっているということは、家康に何か言われたのだ。

「つまりは、わたし諸共もろとも、徳川は豊臣をほろぼすつもりなのだ」

 それだというのに、今さらのこのこと徳川の陣に出ていって、茶々と秀頼を助けてくれと言う。

 理屈としては合っていると思うが、こんな状態で行っても、追い返されるかその場で死を命じられるかが落ちだ。

 どうしようもない。

「そこを曲げてじゃ。何とか、何とか話してもらえまいか、徳川どのに」

 孫までいるとは思えないほどの若々しさと美貌の茶々が涙を流す。

 女である千姫でも、情を動かされるほどの姿態だ。

「……無理でしょう」

 これが秀忠だけであれば、話は通るかもしれない。

 でも、家康がいる。

 その家康が「死ね」と言っている以上、それは絶対だ。

 ……実はそれは、千姫の母・ごうの画策のせいなのだが、この時点の千姫には、知るよしもない。

「とにかく無理です。それに、わたしひとり、おめおめとこの場を離れて、ひとり生き延びようとするのは」

「待て千姫」

 ここで今まで無言だった秀頼が口を開いた。

「そのようなことを言わないでくれ。そなたは……そなたは豊臣の子ではない。豊臣の子を産んでもいない。ゆえに、徳川の子じゃ。今、ここで死ぬことはない。そなたひとりだけでも」

「秀頼ぎみッ」

 千姫が叫んだ。

 秀頼が千姫を生かしたいのはわかる。

 それでも、これはあまりといえばあまりの言いようだった。

 なるほど、豊臣秀吉と徳川家康という、天下人とそれに次ぐ大名同士の、政略結婚であろう。

 でも、嫁いできたのだ。

 豊臣の子となる決心をして。

 嫁いでからも、努力してきたのだ。

 それを、それを。

「秀頼」

 底冷えするような声と共に、乾いた、ぱん、という音が響いた。

 茶々が秀頼を打擲ちょうちゃくしたのだ。

「母上」

 秀頼は呆然としている。

 侍臣や侍女たちは黙している。

 そこへ、治長が入って来た。



「それでは致し方ありませぬ」

 治長は白皙のおもてに何も浮かべず、つまりいつもどおりの顔で語り出した。

「千姫さまにおかれましては、やはり徳川の陣に行ってもらいましょう」

「それは」

 無意味なおこないだ。

 先ほど、千姫自身がにおわせたとおり、徳川は千姫に死を求めている。

 豊臣の子と共に、死を。

「ですから、致し方ありませぬと申し上げました」

 治長が信繁に目配せする。

 信繁は治長の隣にまで、にじり進んだ。

「秀頼ぎみ

「…………」

「秀頼ぎみはまだ、豊臣の家などほろんでしまえ……そう思うておられますか」

「秀頼、そなた」

 茶々が驚いている。

 秀頼はうなずく。

「むろんじゃ」

「ではかまいませぬな、

「…………」

 茶々がどういうことじゃと問うてくる。

 千姫は何が何だかわからない、という顔をしている。

 治長はいつもの無表情だ。

「では申し上げます、千姫さま」

「は、はい」

「これより豊臣の秘密をひとつ、申し上げる……千姫さまにおかれましては、それを手土産に、徳川の陣に戻られたし」

「秘密」

 茶々が秘密とは何じゃと聞いて来る。

 千姫は不得要領な表情をしている。

 それでも治長はかまわずに、隣の信繁の方を向いた。

「こちらの真田左衛門佐信繁は……亡き太閤殿下に豊臣の姓を賜った、御一門」

 だがそれだけで御一門と称せられているのではない。

 秀吉は、豊臣の姓を大盤振る舞いしていた。

 徳川も毛利も、上杉も島津も、みんな豊臣といえば豊臣である。

 その中で、なぜ信繁は御一門として、治長が城に連れて来たのか。

「その答えは、信繁どのの娘御、なほさまにあります」

 いつの間に来たのか、信繁の背後から、なほの顔が見えた。

 見知った顔に、秀頼の隣の奈阿姫の顔がほころぶ。

「茶々、いや、茶々どの」

「何じゃ」

「こちらのなほさま……奈阿姫さまに似ていると思いませんか」

「ま、まあ、たしかに」

「ではなぜ似ていると思いますか」

「何じゃと」

 二人はよく一緒にいて、その仲は姉妹のようであった。

 だから似ていると思えるのだろう。

「そういうこともあると思います。けど、それだけじゃない」

 では奈阿姫となほの母親同士が同じ一族か。

 奈阿姫の母親、成田氏の

 であるならば、なほの母親は。

「ちがいます」

 話す前に否定された。

 ここで信繁が口を開いた。

「わが娘、なほは……」

 少しためらったが、それでも語り出す。

なほは……わが側室の娘。わが側室は、父を豊臣秀次どのという」


 ……豊臣の子の秘密が、今、明かされようとしている。

 

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