36 山里丸
山里丸。
大坂城内の曲輪であり――茶々と秀頼の終焉の場として知られる。
「もう、城のそこかしこに敵が入って来ていてな」
「知っている」
「だが、今こそ……今こそ、その時だ」
「知っている」
話しているうちに、山里丸に着いた。
曲輪の中の、ある蔵に、茶々と秀頼はいた。千姫や奈阿姫といった秀頼の家族も、侍女や侍臣たちも、身を寄せ合っている。
見ると、茶々と秀頼が何かを話しているようだ。
*
「ことここに至った以上、もはや徳川に降伏するほかあるまい」
茶々は千姫に
「頼みます……頼みまいらせる、千姫。どうかここは、徳川の陣におもむき、豊臣の降伏と、そしてご寛恕ありたしと……お伝え願えないだろうか」
茶々はどこまでも冷静に、千姫に語りかけていた。
一方の千姫は、動揺しているというか、非常に苦しそうな表情を浮かべていた。
「
千姫の侍女たちには、徳川の忍び――くノ一も混じっていた。そのくノ一が、家康の言葉を伝えた。
──豊臣の子と共に死ね、と。
さらに聞くと、秀忠も同様という。
おそらく、
この大坂の陣までは、しつこいぐらいに豊臣家の、秀頼や、特に茶々の様子を
「つまりは、
それだというのに、今さらのこのこと徳川の陣に出ていって、茶々と秀頼を助けてくれと言う。
理屈としては合っていると思うが、こんな状態で行っても、追い返されるかその場で死を命じられるかが落ちだ。
どうしようもない。
「そこを曲げてじゃ。何とか、何とか話してもらえまいか、徳川どのに」
孫までいるとは思えないほどの若々しさと美貌の茶々が涙を流す。
女である千姫でも、情を動かされるほどの姿態だ。
「……無理でしょう」
これが秀忠だけであれば、話は通るかもしれない。
でも、家康がいる。
その家康が「死ね」と言っている以上、それは絶対だ。
……実はそれは、千姫の母・
「とにかく無理です。それに、
「待て千姫」
ここで今まで無言だった秀頼が口を開いた。
「そのようなことを言わないでくれ。そなたは……そなたは豊臣の子ではない。豊臣の子を産んでもいない。ゆえに、徳川の子じゃ。今、ここで死ぬことはない。そなたひとりだけでも」
「秀頼
千姫が叫んだ。
秀頼が千姫を生かしたいのはわかる。
それでも、これはあまりといえばあまりの言いようだった。
なるほど、豊臣秀吉と徳川家康という、天下人とそれに次ぐ大名同士の、政略結婚であろう。
でも、嫁いできたのだ。
豊臣の子となる決心をして。
嫁いでからも、努力してきたのだ。
それを、それを。
「秀頼」
底冷えするような声と共に、乾いた、ぱん、という音が響いた。
茶々が秀頼を
「母上」
秀頼は呆然としている。
侍臣や侍女たちは黙している。
そこへ、治長が入って来た。
*
「それでは致し方ありませぬ」
治長は白皙の
「千姫さまにおかれましては、やはり徳川の陣に行ってもらいましょう」
「それは」
無意味なおこないだ。
先ほど、千姫自身がにおわせたとおり、徳川は千姫に死を求めている。
豊臣の子と共に、死を。
「ですから、致し方ありませぬと申し上げました」
治長が信繁に目配せする。
信繁は治長の隣にまで、にじり進んだ。
「秀頼
「…………」
「秀頼
「秀頼、そなた」
茶々が驚いている。
秀頼はうなずく。
「むろんじゃ」
「ではかまいませぬな、話しても」
「…………」
茶々がどういうことじゃと問うてくる。
千姫は何が何だかわからない、という顔をしている。
治長はいつもの無表情だ。
「では申し上げます、千姫さま」
「は、はい」
「これより豊臣の秘密をひとつ、申し上げる……千姫さまにおかれましては、それを手土産に、徳川の陣に戻られたし」
「秘密」
茶々が秘密とは何じゃと聞いて来る。
千姫は不得要領な表情をしている。
それでも治長はかまわずに、隣の信繁の方を向いた。
「こちらの真田左衛門佐信繁は……亡き太閤殿下に豊臣の姓を賜った、御一門」
だがそれだけで御一門と称せられているのではない。
秀吉は、豊臣の姓を大盤振る舞いしていた。
徳川も毛利も、上杉も島津も、みんな豊臣といえば豊臣である。
その中で、なぜ信繁は御一門として、治長が城に連れて来たのか。
「その答えは、信繁どのの娘御、
いつの間に来たのか、信繁の背後から、
見知った顔に、秀頼の隣の奈阿姫の顔がほころぶ。
「茶々、いや、茶々どの」
「何じゃ」
「こちらの
「ま、まあ、たしかに」
「ではなぜ似ていると思いますか」
「何じゃと」
二人はよく一緒にいて、その仲は姉妹のようであった。
だから似ていると思えるのだろう。
「そういうこともあると思います。けど、それだけじゃない」
では奈阿姫と
奈阿姫の母親、成田氏の
であるならば、
「ちがいます」
話す前に否定された。
ここで信繁が口を開いた。
「わが娘、
少しためらったが、それでも語り出す。
「
……豊臣の子の秘密が、今、明かされようとしている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます