34 夏の陣、佳境
大坂夏の陣は、家康の宣言どおり、三日のうちに終わることになる。
ただし戦国時代の中で、最も長い三日間だった。
「かくなれば、野戦あるべし」
事実上の指揮官である
信繁は
「やはり、あの方に、いくさは厳しすぎた」
「そうか」
おのれの「生まれ」から豊臣家を滅ぼすことを期す青年は、その手段としていくさを選んだ。
しかしいくさの現実は、青年をおびえさせるのに充分過ぎた。ゆるやかに、絵巻物の登場人物のように、この世から消えていくと思っていた青年には、厳しすぎた。
「そも、
治長はけっしてそれを馬鹿にしようとしない。
それこそが、人としての
「であれば、出馬は難しいか」
「……いや」
言うだけの価値はある。
治長は、おのれのやりたいことの詰めに使えると判じた。
「茶々、ではない茶々どのを通して、進言する。期待はするな」
「わかっている」
信繁は治長の肩をひとつたたくと、出陣していった。
*
道明寺、
八尾、若江。
そして天王寺、岡山と。
最も長い三日間は、激戦と共に進行していった。
「後藤又兵衛どの、討ち死に!」
「
「木村長門守どの、井伊に討たれました!」
相次ぐ敗報に、信繁はため息が止まらない。
だがこれからやることを考えると、ため息をつく程度では、許してもらえないだろう。
「修理」
「左衛門佐」
信繁が赤の
「おそらくこれが、われら大坂方の、最後のいくさとなろう」
信繁は麾下の将兵三千五百を率い、これから天王寺口を征き、家康の本陣を目指す。
豊臣家としては、治長率いる一万五千などを加えて総勢五万、これが正真正銘、最後の兵力だった。
「わかっている」
治長は最後方に控え、予備兵力として、そして秀頼出馬の際の近衛としての役割を担っていた。
「もしこれがうまくいけばよし。うまくいかなかったときは……」
「……ああ」
油断ならぬ眼光。
それは信繁だけでなく、治長も同じだった。
豊臣家の存亡、この一戦にあり。
また、応仁の乱よりつづく、この国の戦国という時代が、この戦いで終わるのだ。
そしてこのいくさを越えたところに、治長のやりたいことがある。
*
「
信繁の怒号が戦場に響く。
天王寺口。
徳川の先鋒に位置する越前藩・松平忠直の軍勢一万五千に対し、信繁は麾下の将兵を数段の構えに配置し、それらを順繰りに、機動的に波状攻撃をしかけるという荒業に出た。
「
忠直は舌打ちしたが、このままでは埒が明かないのは事実である。
信繁を相手にしていて、最終的には勝つだろうが、それでは越前勢だけが消耗するだけで、他藩の連中に、先を越される。
大坂城へ乗り込むという、先を。
「この松平忠直、余人の後塵を拝する趣味はない! 全軍、真田を……六文銭を、
元々、この方面の先鋒は紀州藩・
つまりは抜け駆け。
そして一度抜け駆けした以上、こうして他藩のための犠牲になりたくはない忠直であった。
「
真田信繁の機動的縦深陣というべき構えには、実は弱点がある。
それは信繁の兵が少ないという絶対的な点もあるが、何より、横ががら空きなのだ。
むろん、右へ左へと攻めの重心を振ることは怠っていないので、それでも「抜く」のは難しくはあった。
「右か! 左か! ええいどちらでもよいわ! 次、右が開いたら右から行くぞ!」
何しろ忠直には、先の真田丸の戦いで、信繁にしたたかにやられたという苦い記憶がある。
そういう意味でも、雪辱に燃えていた。
「出し抜いてやる! 真田め! 出し抜いてやる!」
実はこの時、水野勝成率いる増援が来ていたのだが、それに気づかず、忠直は宣言どおり、信繁を「出し抜いて」、その横に──目の前に空いた空間に、まっしぐらに突進する。
「やったぞ! 突破だ! このまま大坂の城まで駆けるぞ! この忠直が一番乗りじゃ! 一番槍じゃ!」
忠直は欣喜雀躍して大坂城を目指していくが、この時、彼は重要な見落としをした。
すなわち、自分たち越前勢が前へ行った結果、越前勢がいた場所に、やはり
そう――徳川家康の本陣まで、がら空きになってしまったということを。
*
「忠直は何をやっておるのだ!」
家康は親指の爪を噛んだ。
下品な行いであるという自覚はあるが、こうでもしないと、怒りを抑えられない。
これは若い時からの癖で、秀忠などは、これが出るといそいそと退出していくのがお決まりである。
「ええい! 仕方あるまい!
このあたりの思い切りの良さが、どちらかというと守成に傾く家康に、天下を取らしめた要因であろう。
海道一の弓取りであろうが、
生きてあればこそ、再起がかなう。
生きてあればこそ、天下が取れるのである。
だから、三方ヶ原で武田信玄に負けた時、家康は
身も世もなく、
「馬引けい!」
家康が愛馬に乗った時だった。
その三方ヶ原以来、倒れたことのない、家康の馬印――金の扇の馬印が、揺れ、倒れた。
「何ぃ!?」
思わず目を
その、
「……見つけたぞ、
真田左衛門佐信繁がいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます