34 夏の陣、佳境

 大坂夏の陣は、家康の宣言どおり、三日のうちに終わることになる。

 ただし戦国時代の中で、最も長い三日間だった。


「かくなれば、野戦あるべし」

 事実上の指揮官である真田左衛門佐信繁さなださえもんのすけのぶしげが、再びの野戦の主張をすると、今度は誰もが賛意を示し、牢人たちは城を出た。

 信繁は大野修理治長おおのしゅりはるながに、戦局が極まった時点での豊臣秀頼の出馬を要請したが、治長は首を振るばかりだった。

「やはり、あの方に、いくさは厳しすぎた」

「そうか」

 おのれの「生まれ」から豊臣家を滅ぼすことを期す青年は、その手段としていくさを選んだ。

 しかしいくさの現実は、青年をおびえさせるのに充分過ぎた。ゆるやかに、絵巻物の登場人物のように、この世から消えていくと思っていた青年には、厳しすぎた。

「そも、豊家ほうけほろぼすのであれば、自ら死を選んでもよかったわけだ。それをしないということは」

 治長はけっしてそれを馬鹿にしようとしない。

 それこそが、人としてのさがであり、正しいあり方だと思う。

「であれば、出馬は難しいか」

「……いや」

 言うだけの価値はある。

 治長は、おのれのやりたいことの詰めに使えると判じた。

「茶々、ではない茶々どのを通して、進言する。期待はするな」

「わかっている」

 信繁は治長の肩をひとつたたくと、出陣していった。



 道明寺、誉田こんだ

 八尾、若江。

 そして天王寺、岡山と。

 最も長い三日間は、激戦と共に進行していった。

「後藤又兵衛どの、討ち死に!」

薄田隼人正すすきだはやとのしょうどの、奮戦虚しく……」

「木村長門守どの、井伊に討たれました!」

 相次ぐ敗報に、信繁はため息が止まらない。

 だがこれからやることを考えると、ため息をつく程度では、許してもらえないだろう。

「修理」

「左衛門佐」

 信繁が赤の鎧兜よろいかぶとをまとい、馬上、後方にいる治長の方を振り返る。

「おそらくこれが、われら大坂方の、最後のとなろう」

 信繁は麾下の将兵三千五百を率い、これから天王寺口を征き、家康の本陣を目指す。

 豊臣家としては、治長率いる一万五千などを加えて総勢五万、これが正真正銘、最後の兵力だった。

「わかっている」

 治長は最後方に控え、予備兵力として、そして秀頼出馬の際の近衛としての役割を担っていた。

「もしこれがうまくいけばよし。うまくいかなかったときは……」

「……ああ」

 油断ならぬ眼光。

 それは信繁だけでなく、治長も同じだった。

 豊臣家の存亡、この一戦にあり。

 また、応仁の乱よりつづく、この国の戦国という時代が、この戦いで終わるのだ。

 そしてこのいくさを越えたところに、治長のやりたいことがある。



前征夷大将軍さきのせいいたいしょうぐん、徳川家康はどこだ!」

 信繁の怒号が戦場に響く。

 天王寺口。

 徳川の先鋒に位置する越前藩・松平忠直の軍勢一万五千に対し、信繁は麾下の将兵を数段の構えに配置し、それらを順繰りに、機動的に波状攻撃をしかけるという荒業に出た。

執拗しつようなり!」

 忠直は舌打ちしたが、このままでは埒が明かないのは事実である。

 信繁を相手にしていて、最終的には勝つだろうが、それでは越前勢だけが消耗するだけで、他藩の連中に、先を越される。

 大坂城へ乗り込むという、先を。

「この松平忠直、余人の後塵を拝する趣味はない! 全軍、真田を……六文銭を、かわせ!」

 元々、この方面の先鋒は紀州藩・浅野長晟あさのながあきらだった。そこを忠直が横取りして、一番槍を奪ったのだ。

 つまりは抜け駆け。

 そして一度抜け駆けした以上、こうして他藩のための犠牲になりたくはない忠直であった。

かわせ! かわせ! かわせ!」

 真田信繁の機動的縦深陣というべき構えには、実は弱点がある。

 それは信繁の兵が少ないという絶対的な点もあるが、何より、ががら空きなのだ。

 むろん、右へ左へと攻めの重心を振ることは怠っていないので、それでも「抜く」のは難しくはあった。

「右か! 左か! ええいどちらでもよいわ! 次、右が開いたら右から行くぞ!」

 何しろ忠直には、先の真田丸の戦いで、信繁にしたたかにやられたという苦い記憶がある。

 そういう意味でも、雪辱に燃えていた。

「出し抜いてやる! 真田め! 出し抜いてやる!」

 実はこの時、水野勝成率いる増援が来ていたのだが、それに気づかず、忠直は宣言どおり、信繁を「出し抜いて」、そのに──目の前に空いた空間に、まっしぐらに突進する。

「やったぞ! 突破だ! このまま大坂の城まで駆けるぞ! この忠直が一番乗りじゃ! 一番槍じゃ!」

 忠直は欣喜雀躍して大坂城を目指していくが、この時、彼は重要な見落としをした。

 すなわち、自分たち越前勢が前へ行った結果、越前勢がいた場所に、やはりいた空間ができたということを。

 そう――徳川家康の本陣まで、がら空きになってしまったということを。



「忠直は何をやっておるのだ!」

 家康は親指の爪を噛んだ。

 下品な行いであるという自覚はあるが、こうでもしないと、怒りを抑えられない。

 これは若い時からの癖で、秀忠などは、これが出るといそいそと退出していくのがお決まりである。

「ええい! 仕方あるまい! ぐる! ぐるぞ!」

 このあたりの思い切りの良さが、どちらかというと守成に傾く家康に、天下を取らしめた要因であろう。

 海道一の弓取りであろうが、前征夷大将軍さきのせいいたいしょうぐんであろうが、そんな名声はくそくらえである。

 生きてあればこそ、再起がかなう。

 生きてあればこそ、天下が取れるのである。

 だから、三方ヶ原で武田信玄に負けた時、家康はげた。

 身も世もなく、げた。

 げたことを忘れないために、肖像画を描かせたほどだ。

「馬引けい!」

 家康が愛馬に乗った時だった。

 その三方ヶ原以来、倒れたことのない、家康の馬印――金の扇の馬印が、揺れ、倒れた。

「何ぃ!?」

 思わず目をく家康。

 その、いた目の先に。

「……見つけたぞ、前征夷大将軍さきのせいいたいしょうぐん、徳川家康!」

 真田左衛門佐信繁がいた。

 

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