33 開戦、再び
「牢人どもを、大坂から追い出すこと。あるいは、どこぞに転封いたせ」
京都所司代・板倉勝重はそれのみを告げて、大坂城から去っていった。
それは、牢人たちが敵意を
勝重自体は死を恐れないが、徳川の重鎮である自分の死によって、この戦いを始めるというのはいかにも
「徳川の犠牲は、少しでも減じて勝つことが求められている。だというのに、京都所司代である自分が討たれては、徳川の沽券にかかわる」
そうなれば豊臣は調子づく。だけではない、そのような「手柄」を与えたとして、徳川は永遠に舐められるであろう。
「追うな」
「何ぞ、
聞えよがしの陰口をたたく輩もいたが、それも真田左衛門佐信繁のひとにらみで震え上がり、そそくさと消えていった。
「……しかし修理、ここからが正念場ぞ」
茶々はおそらく、何が何でも秀頼を生かそうとしている。
そして秀頼の心の
「転封を受け入れよう、という目も出て来るやもしれぬ」
その時、治長はどうするのか。
治長のやりたいことは、信繁の見るところ、この大坂で、この折りでないと、果たせない。
「下手に安房などにでも転封してみろ。それこそ逃げ場はない。修理、汝のやりたいことは、そうなればできなくなるぞ」
信繁の危惧を知ってか知らずか、一刻ほどして治長が戻って来ると、「転封は、無しだ」とつぶやいた。
「なぜ」
信繁は茶々がそうまでかたくなになることが不思議だった。
治長は「何、
「お前」
「冗談だ……と言いたいが、半分は本当だ。もはや理ではない、情で持っていくほか、あるまい」
理ではない、情で持っていく。
何を持っていくかは、信繁は知っている。
しかし、それを話すということは、これまでの戦いを無にするどころか、裏切ることだ。
信繁は、それは力戦奮闘して、それこそ豊臣家が滅ぶとしても、のちのちまで残る「手柄」を立てることで、
「いくさになるぞ」
「いくさになるな」
ふたりの朋友、そして戦友は、ついに、来るべき時が来たという思いを、その目で交わした。
*
「ぜひもなし」
秀忠はそう叫んで、そのままいくさ支度を始め、出陣した。
おそらく伯父の信長の真似をしているつもりだろうが、それは本能寺の変の時の言葉であり、こういう天下を手中にする時に、言うことではない。
「さて、姉上はどうするつもりか」
去っていく秀忠の背を見ながら、江はつぶやく。
茶々は自決するか、降伏するか。
自決なり討ち取られるなりするのはいいが、降伏されると、いささか困る。
「あの秀忠のこと、きっとおのがものにするに、相違ない」
それが秀忠のやりたいこと。
そうなれば天下の
「……となると、手を打つに限る。
江の見るところ、この世で秀忠に掣肘を加えられるのは、その父・家康しかいない。
家康に、秀忠の邪恋について語ってみるか。
「……ただ語るだけでは、面白うないし、足りぬ」
江はその繊手を口元に伸ばし、その指先をなめた。
「では、いっそのこと、
そうだ、そうだ。
それよりも。
家康は秀吉とその痕跡をことのほか嫌う。
それでもその忍耐力により、冷静な判断を失わないが、それも天下を手中にするためだ。
実際に天下を手中にする時。
今までの忍耐をかなぐり捨ててしまっていいのだと気づかせてやろうではないか。
「
こういう文面の書状を見れば、かの天下の名将も、虚心ではいられまい。
さあ、今こそ。
あなたのやりたいことをやりなさい、
思う存分、豊臣家を圧し潰す――ということを。
*
徳川は、あっという間に兵を揃え、豊臣が転封を拒否してきた慶長二十年四月のうちに、京に十五万五千を終結させた。
「
五月五日、出陣にあたって家康はそううそぶいた。
それは、三日のうちに決着がつくという予測なのか、諸大名の兵糧不足への懸念の払拭のためか、それとも三日もかからずに豊臣家をたたきつぶしてやるという憎悪によるものか、判然としない。
秀忠などは怖気を震い、そうじゃ大坂などすぐに落としてやると周囲に怒鳴りつけ、そのまま本陣から退出していった。
「肝の小さい奴め」
そう思ったが家康は口に出さなかった。
年齢といい、閲歴といい、そして血筋といい、多くの子の中で、「まし」と判断して嫡子にした男だ。
今さら、その評価を下げることはできない。
ましてや、この天下取りの大詰めにおいて。
であるからこそ、もし茶々への色目によって大局を誤るという、評判を下げる行為は、何としてでも避けねばならぬ。
「江どののおかげで、余の決心も固まった。聞けば、かの九条家の正室、完子どのも秀吉の子ということ」
秀吉め、どこまで痕跡を残すのだ。
だがさすがに、私生児の女児まで、しかも今となっては徳川の正嫡となる竹千代(徳川家光)の姉だ、殺すことはできない。
ましてや摂関家の正室、禁中並公家諸法度の成立を期す今、朝廷に騒動は避けたい。
「だから見のがしてやろう……だがもう、大坂城は潰す。城内の者どもは見のがさん。殺す。殺す。かならず、殺してやる」
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