30 そしていくさは絵巻物のように

 慶長十九年十一月。

 大坂冬の陣が、戦闘という意味で始まる。

 徳川家康は狡猾であり、まず兵糧を断とうと、木津川口の砦を攻める。

 ここは、大坂湾と大坂城を繋ぐ水の路のための砦であり、ここを抑えられると、城の水上輸送路は断たれる。

 家康は容赦なくこの砦から攻め、ちょうど守将の明石全登あけしたけのりは不在で(軍議に出ていたとされる)、あっさりと陥落した。

「な、なぜ私の不在を」

 全登は震える手で十字架クルスをつかんで、神に祈る仕草をした。

 彼はキリシタンで、その信仰の自由のために大坂城にやって来ていた。

「明石は元、どこの手の者だった?」

「宇喜多。その後は黒田、田中」

「……そのあたりだろう」

 明石全登は宇喜多家の家宰を務めていたが、宇喜多家が関ヶ原の戦いで滅亡すると、その後、黒田如水の筑前福岡藩に身を寄せた。ところが如水が死に、息子の長政が家督を継ぐと、黒田家はキリスト教を禁じた。そのため、柳川の田中吉政を頼っていた。

 大野修理治長おおのしゅりはるながはその閲歴を知っていた。

 真田左衛門佐信繁さなださえもんのすけのぶしげは、そこから間者の出どころを察し、即座に「対策」を打った。

「……だがこれも焼け石に水であろう」

「手数をかける」

 僚友の治長の言葉に謝意を述べながら、信繁は真田丸に戻った。

 今はまだ緒戦、小手調べ。

 これからが本当のいくさだった。



 豊臣秀頼は鬱屈していた。

 望みどおり、徳川家は豊臣家を葬らんとして、その牙を剥いた。

 全国数多の大名に声をかけ、この大坂の城を囲んでいる。

 その様はまるで、絵巻物のようだ。

「これこそ、余の望んだこと。徳川家に負けはない」

 そう、口に出してみたもののの、あまり覇気がない。

 覇気がないのはいつものことだが、それがより一層――そう、空虚に響いた。

 これでいいんだ。

 おのれに子ができないからといって、甥に「代わり」をさせて、終わったらその甥と、家督争いの際に邪魔になるからといって、その甥とその妻子を皆殺しにする。

 そんな太閤秀吉に対して敵意を、恨みを抱いて行動して来たのではないのか。

「でも……このどうしようもないやるせなさは何だ」

 始まりは、義姉の完子さだこの乳母の突然の怪死だった。

 正確には、完子の愛猫の死だったが、とにかく、完子の乳母の死の思い出を喚起し、秀頼はおのれの父が豊臣秀次ではないか――と思い至った。

 そうすれば、この巨躯――音に聞く豊臣秀吉の容姿と、全くにても似つかぬ体も、説明がつく。

 そもそも自分は子をしているではないか、秀吉とちがって。

 千姫相手ではないが、それでも子ができたということは、秀吉とはちがう血が流れているのではないか。

 その血の持ち主は、子を生しているのではないか。

 そう思うと、どうにも止まらなくなる秀頼。

 最初は、人斬りなどの乱行に興じた。

 だがいつしか秀頼は、稀代の天才、秀吉が築き上げた豊臣家を滅ぼすことに己が英知を傾け始めた。腐心した。

「もし、と思ってやってみた、方広寺の鍾銘。これがまさか図に当たるとは」

 鍾銘の中で、「家」と「康」を離すという、稚戯にも等しい所業。徳川家の今後の天下の差配を考えれば、こういう、いつまでも残る、目に見える「いたずら」は許せないと思うかもしれない。

 ……いざとなれば、字を離していても、それは隠れた祝いである、と言い訳をしようと思っていた。

 ところが家康はこれに食いついてきた。

 あまりのことに、嘘ではないかと思ったほどだ。

「それと期を同じくして、瑞龍院日秀さま」

 秀吉の姉、こと瑞龍院日秀は、秀頼の乱行を「治兵衛みてぇだ」と言った。

 治兵衛すなわち豊臣秀次であり、秀頼はおのれの出生への推察に確信を抱いた。

 最終的に、秀頼は日秀と会い、老女の語る豊臣家の闇――木下家の闇を聞いた。

「やはりこんな家は、滅ぶべきだった」

 そう思ったのに。

 そう感じたのに。

「この……やるせなさは何なんだ」

 地面がぐらぐらと揺れて。

 倒れそうになるような。

 そんな、やるせなさだった。

「…………」

 だから今日も、秀頼はあいまいな笑みを浮かべて、城主の座に座している。

 あたかも、微妙な肖像画のように。



「もう、何も打つ手はないのだろうか」

 九条忠栄ただひでは頭を抱えていた。

 家康が京に立ち寄った時こそと思い、面会を申し出たが、それは他の公家たちとならんでのものとなり、言われたことは、のちに公家諸法度と呼ばれる決まりへの協力を求められたのみに終わった。

 秀忠に至っては「忙しい」の一言で断り、そもそも京にはとどまらず、大坂へとまっしぐらに行軍していった。

「いくさと言われたら、われら公家にはどうしようもない」

 むろん、朝廷として、帝の名で和睦を働きかけることはする。

 されど、その帝が、そもそも徳川の子──和子まさこ入内じゅだいを渋っているではないか。

「かの四辻与津子の存在が、こうもさわりになってこようとは」

 四辻与津子──およつは、帝の寵姫である。もともと帝は艶福家で知られていたが、ここ最近は、このおよつに夢中だ。けっして和子のことを無碍むげにするわけではないが、それでも、はおよつであり、に和子とでも思っているのであろう。

「しかもその四辻与津子が豊臣の子であるということ……これが知られていたら、なおさらのこと、徳川は豊臣との和睦など、応じないであろう」

 豊臣秀次と、完子の乳母との間の子が四辻与津子。それは、高台院(秀吉の妻、ねね)からの情報であり、彼女はそれを完璧に隠匿するであろうから、徳川に知られることはないだろう。

 しかし。

「……結局のところ、手づまりか」

 もはや徳川は豊臣を完膚なきにまで滅ぼす気でいる。

 つまり、豊臣の運命は風前のともしびだ。

「……だがそれでいいのか? 秀頼ぎみが『死にたい』、『ほろびよ』というのはわかる。わかるが……」

「忠栄さま」

 懊悩する忠栄に、茶碗を捧げもった完子が立っていた。

 どうやら、ここまで近づいているのに、気がつかなかったらしい。

「徳川方の前田家が、真田左衛門佐さまの出丸に攻めかかりましたが、退けられたそうです」

「そうか……」

 のちに真田丸の戦いといわれる戦いで、信繁は貴重な勝利をもたらしていた。

 これで徳川の鋭峰も鈍れば良いが、残念ながらそれは一時的なものに終わるだろう。

「忠栄さま」

「何だ」

 疲れ切った夫に茶を差し出し、完子はある決意を告げることにした。

 豊臣が一時的とはいえ、優勢になった今この時をおいて、他にないと思って。

「……江戸に参りとうございます」

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