拝読致しました。
一心に想った相手……豊臣家から、事実上の三行半を突きつけられた片桐さん、切なさが半端ないですね(´Д⊂ヽ
転職はもはや難しいでしょうから、せめて、退職金だけでも払ってあげて〜(@_@;)
同僚を修羅場から逃がした修理さん、その胸中にある策はどのようなものか、気になります。
作者からの返信
相手との交渉役を担っていたら、その相手と通じている、味方しているとして、裏切者扱い……徳川家でもかつて石川数正って人がいたけれど、そんな感じですね^^;
諸葛孔明ぐらいでないと、外交交渉は内にも外にもうまくやれないのかという哀しさ。
しかも片桐且元は、みんな徳川になびいているのに、ひとり豊臣に残ったようなもんだし……。
ちなみに大野治長は、わざわざ人質を出して、片桐且元の退去を遂行させてます。
且元も意気に感じたのか、ちゃんと蔵米管理などの引き継ぎをしてから、退去しました。
私が治長を評価しているのは、そのあたりからです。
やっぱりこの人、いい人だったんじゃ……と^^;
ありがとうございました。
戦国時代の時間の感覚は、後世のわたしたちからすると、ややもすると間遠な印象になりがちですが(少なくともわたしの感じ方では)還暦前後まで豊臣家ひと筋に尽くして来ていきなり放逐されるのですから、さぞや感慨深いものがありましょうね~。
作者からの返信
豊臣家が一番盛り上がる時期である賤ヶ岳で活躍し、そこから秀吉が天下を取って、そして死んで以降の、豊臣家の衰退も見て来た片桐且元。
(拙作ではいろいろと思惑があってのことですが)史実として、還暦近い年齢まで働いてきた且元に城を出ろという豊臣家。
これに家康が激怒して大坂の陣が始まるわけですが、やはり同じ年寄りである家康が怒るのも無理ないなと思います。
家康の「激怒」にはポーズの意味が大きいでしょうし、且元を追放するというのは好機だと思ったんでしょうけど^^;
ありがとうございました。
もうこの時点で片桐且元ぐらいしか豊臣直臣といえる武将がいない大阪城。
でも所領の石高も低いし、厳しい立場ですね。
直臣だからこそ大阪城を出ろ。
且元の行動の謎を解く答えになりますね。
作者からの返信
片桐且元は近江以来で、浅井家の縁から豊臣家に仕えた人間です。
そして茶々が浅井家の血を引くことから、今の大坂城に仕えていたのでしょう。
その大坂城は、関ヶ原で豊臣家直轄領をだいぶ減らされています。
秀吉以来の黄金も、方広寺や諸寺復興に使われていて……おっしゃるとおり、財力という点でも、大名は従いたくないでしょう。
拙作の秀頼の目的はアレなんで、且元には逃げて欲しいと思ってます。
それプラス、治長には「やりたいこと」があるので、且元には城を出てもらったようです。
このことがどう響いていくのか……。
ありがとうございました。
片桐且元は裏切者のイメージでしたが、こう考えると、主従の情を感じますね🥲泣かせにくる…
作者からの返信
片桐且元は辛い立場なんですよね。
もともと、豊臣秀吉に仕えていたのに、その子かどうか怪しい秀頼に仕えることになって……しかも外交も担当していたので、外交相手である徳川の意向を伝える=徳川の手先と見られてしまうし。
その辺が可哀想なので、拙作ではこういう感じに描きました^^;
ありがとうございました。