第三部 大坂の陣

26 真田左衛門佐信繁

 豊臣完子とよとみさだこ乳母めのとが死んだのは、他ならぬ完子の嫁入り前夜。

 城主とその一族しか入れない領域の一室において、ただひとり死んでいたのは、その嫁入りを祝っての内々の宴により、、その上で、となり、心の臓が止まったから――。

 豊臣秀頼が、今になって手に入れた実権で、乳母の死亡時の医師や薬師の作った報告の書面を手に入れたところ、そのように記されていた。

 結局のところ、死亡当時に公表された「自害」とあまり変わらない内容だった。

 完子の愛猫が、その乳母の死体の指を舐めていたのも、

「おそらくは、思慕のゆえ。愛猫あの子は懐いた者の手を舐めるのが好きでした」

 そう言って完子はさめざめと泣いた。

 完子の夫たる、九条忠栄くじょうただひでは、黙ってその背を抱くことしかできなかった。


 時に、慶長十九年(一六一四年)九月六日。

 折りしも、徳川家が江戸在府の西国大名五十名に対し、家康と秀忠に逆らわず、かつ、「徳川家に敵対する存在」に対し接触しないよう、起請文きしょうもんを徴取した日のことであった。



 その日――。

 大野修理治長おおのしゅりはるながは、紀州九度山を訪れていた。

「まもなく、合戦となる」

 秋、黄葉の草木の山中を歩きながら、誰に言うでもなく、ただ呟いたその台詞。

 それがこの時代のこの国の状況を、一言であらわしていた。

 時は、慶長十四年。

 秀吉亡きあとの豊臣家は徐々に力を失っていき、それを憂慮する石田三成が関ヶ原の戦いにて、勃興する徳川家相手に合戦をするが敗北、以後、衰退に歯止めが効かなくなる。

 そのような中、方広寺鍾銘事件という事件が生じる。

 生じるというか、人為的に起こされたその事件は――鍾銘の「国家安康」と「君臣豊楽」という文言が、家康の「家」と「康」を離し、その上で「豊臣」を「君」として「楽」しむ――つまり、徳川家康を呪っている、と解釈されたのだ。

 少なくとも、徳川家にとっては。

「なぜ、このような真似を」

 徳川家は関ヶ原後、征夷大将軍の位を得て、江戸に幕府を開いた。

 つまりは、武家の棟梁として、ひとつの国を興したのだ。

 対するや豊臣家など、かつての覇者であるが、今となっては一大名であり一公家である。

 豊臣家自身の認識はさておいて。

「堂々と、勝負を挑めばいいのだ。それを」

 何故、徳川は、かようなをして、豊臣のを問うのか。

 徳川の諮問を受けた五山の僧たちも、このような鐘銘は誤りではあるが、呪いとは言えないとしている。

「それを、何故――」

「誰の目にも見えるかたちで、のちの世まで、残したいから――であろう」

 治長の、誰にともなく口にした疑念に、答える者がいた。

 その者は、まるで狩人のような衣装で、かたわらに女の子――十歳ぐらいの少女を連れていた。

「おお」

「久しいの、修理」

左衛門佐さえもんのすけ

 九度山の獣道からあらわれた男は、治長の肩を抱いた。

 穏やかな表情に、ほんの少しの口髭を生やしたこの男こそ、のちの世に「真田幸村」として知られる男、真田左衛門佐信繁さなださえもんのすけのぶしげである。

「そちらの娘は」

 治長は微笑みながら、少女に目を向ける。

 少女は少し恥ずかしそうに、一礼した。

なほという」

 信繁はなほの頭をがしがしと撫でた。

 どうやらかわいくてしかたないらしい。

「十年前、生まれた」

「そうか」

 治長があらためてなほの顔をまじまじと見ると、なほはついに下を向いてしまった。

「おいよせ、修理。そなたのかんばせは、女子おなごの目の毒よ」

「いや、そういうつもりでは」

 信繁は戸惑う朋友に微笑みながら、山中の屋敷へと招くのであった。



「さっきの、鍾銘についてのことだが」

「あれか」

 九度山山中の信繁の屋敷には、粗末ながらも茶室があった。

 その粗末なところがいいと治長が言うと、信繁はそう言うと興が削がれるぞと韜晦した。

「……そなたがそう思ったわけを知りたい」

「そうか」

 会話をしながらも、信繁は湯を沸かす。

 その所作はわざとらしくなく、自然であり、治長も肩の力を抜いて、思ったことを口にする。

「今、大坂は大変なんだ」

「知っている」

 信繁は茶釜の様子を見ながら、ゆるりと語った。

「徳川はもう、天下を取った。そう――太閤殿下が亡くなった時点で、家康がまだ生き延びている時点で、天下を取ったのだ」

 関ヶ原の戦いは天下分け目と言われているが、あれはどちらかというと、豊臣家の抵抗に過ぎない。

 その抵抗も虚しく、領地の大半を失う結果となった豊臣家は(関ヶ原の勝者への褒美として与えられてしまった)、もはや死にたいである。

「であればその豊臣家を潰す意味は、何か」

「家康の、憎しみか」

 治長は駿府にて、家康と会い、その憎悪を知った。狂いを知った。

 だが信繁はそれを首肯しながらも、「それだけではない」と述べた。

「いいか、単に憎いのであれば、ほしいままに亡ぼせばよい。鍾銘に難癖をつけて意地悪くするのも、まあ憎しみもあるだろうが」

 徳川は天下を保ちたい、徳川の天下を。

 誰の目にも明らかなかたちで。

「であれば、家康は、鍾銘という、のちの世にも、そして誰の目にも明らかな、の分断を使ったのだ」

 そうすることにより、寺という誰でも来ることができる場に、証拠があることになる。

 「家」と「康」が離れているぐらいで、と人は思うだろうが、それはそれで良いのだ。

「その程度でも、家康に──徳川に逆らうことは許さんという証なのだから。そしてそれはのちの世の、この国の大名小名、国民くにたみへも、徳川への叛意を抱かせないようにできる……こういう鐘銘を作った者はどうなったのか、と思い起こさせて、な」

「どうなったのか、思い起こさせて……」

 つまりは見せしめ。

 徳川にとって、豊臣の利用価値は、そこか。

「むろん、為政者としては正しい。合戦への態勢を形づくり、前例としておき、今後に備えるという意味もあるだろうし」

 信繁は冷静に事態を読んでいた。

 思えば信繁の真田家は、関ヶ原に際して、敢えて家を二つに割って、兄の信之という本命を徳川に残した。

 隠居寸前の父の昌幸と、次男の信繁は石田三成に味方した。

 そして真田家は無事、信之が長らえている。

 そう思うと治長は、これから信繁へ「ある頼みごと」をすることを、躊躇ためらうのであった。

「……修理」

「何だ」

「言うてみい」

 何か、とは言わない。

 二人だけの、無言の会話があった。

 共に、太閤秀吉の馬廻りとして仕えた朋友同士。

 誰にも推し量れない、二人だけの、伝わるものがあった。

「……かなわんな、おぬしには」

 いつの間にか出された茶碗を前に、治長は破顔した。

 やはり、この男には、隠さずに、話すに限る。

 そう決意した治長は、出された茶を少し飲んでから、口を開いた。

「左衛門佐、大坂に来てくれ」

 信繁が返事をしようとすると、治長は敢えて押しとどめ、言葉を継いだ。

「ああいや、戦ってくれ、というわけではない。やりたいことがあるんだ。聞いてくれ」

 治長は語った。

 豊臣秀頼の出生の秘密をめぐる、一連の騒動を。

 その上で、治長が「やりたい」と思ったことを。



「……それは」

 信繁は目を見開いた。

 治長は、その白皙の面相から、何を考えているかわからない男だったが、まさか、そんなことを考えていたとは。

「修理、お前はそれで本望か。本望なのか」

「本望だ」

 間を置かぬ言い切り。

 決然としたまなざし。

 信繁は、鼻から息を吐き。

 そして、笑った。

「……面白い」

「……面白いだろうか」

「ばか。笑える、という意味ではない」

 それをやってみたいと思わせるだけの価値がある、という意味だ。

 そう言って、信繁は平伏した。

「不肖、真田左衛門佐信繁、朋友の大野修理治長の『やりたいこと』に乗らせていただく。大坂に、入城させてくだされ」

「左衛門佐」

 治長も平伏した。

 そしていつしか、二人は互いの肩を抱いた。

 

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