25 木下弥右衛門と竹阿弥

「藤吉郎めは、ぁが子ぉを、殺したんだぎゃ」

 日秀は、その生まれの尾張の言葉を丸出しにして、藤吉郎――豊臣秀吉への恨み言を口にした。

 ここは、大坂城内、山里丸。

 しくも、のちに豊臣秀頼が九条忠栄と面会する場所である。

「……それで伯母上、ではない、瑞龍院さま、太閤殿下――藤吉郎は何をしたか、教えてくれませんか」

「かわいいの頼みじゃ、聞かせてやろうかいのう」

 その受け答えで、日秀は秀頼の問いに答えていた。

 日秀の子は秀次、秀勝、秀保。

 つまりは、秀頼はそのどれかの子であるということで、この場合、秀次であろう。

「最初は、藤吉郎が、子ぉができぬと言うてきたんじゃあ」

 秀吉が言うには、故郷の村の、ある『ならわし』を思い出したという。

ぁと藤吉郎の父者ちちじゃはの、木下弥右衛門きのしたやえもんちゅう男じゃった。今は亡き母者ははじゃ大政所おおまんどころ。秀吉の母、のこと)と、が、藤吉郎とぁじゃ」

 弥右衛門は流れ者だったという。

 それがどういう経緯か、大政所と一緒になり、子を作った。

 ところが。

「弥右衛門は子ぉを作れなくなったいうて、母者は困ったそうじゃ」

 戦国の農村にとって、子どもは貴重な働き手であり、未来にその田畑でんぱたを受け継ぐべき相手である。

 それが、弥右衛門は日秀と秀吉の二人の子を得た時点で、足軽として徴用された。

 そして合戦で負傷して――子ができなくなったという。

 弥右衛門となか大政所のことを、村人たちは案じたという。

 そこで村人たちは、ある『ならわし』を勧めた。

 それは子がいない夫婦や、いくさで男手のいなくなった家に対する、救済策であり、村人たちも親切として勧めたらしい。

「そこでのう、弥右衛門は『親戚』じゃいう……竹阿弥ちくあみちゅう男を連れて来た」

 竹阿弥が木下の家に現れたあと、日秀と秀吉は、弟妹を得た。

 すなわち、豊臣小一郎秀長と朝日姫である。

ぁと藤吉郎は、最初は何が何だかわからなかった……が、小一郎と朝日が長じてくるにつれ、わかったんじゃあ……」


 ほどなくして弥右衛門は亡くなり、竹阿弥も「役目は果たした」と言って、消えていった。

 あとに残された大政所と日秀を支えるため、藤吉郎は世に出て――天下を取った。



「つ、つまり」

 場と時は、大坂城山里丸の茶室、そして豊臣秀頼と九条忠栄の対面の場に戻る。

 忠栄はあえぐように言った。

「太閤殿下は、その――郷里の『ならわし』に従って、というかそこから考えて、おのれの子を得る策を思いついた、と」

「そうじゃ」

 秀頼は無表情だった。

 かたわらにひかえる、大野治長もまた能面のようだ。

「瑞龍院さまも、さすがにそれはと思うたが、言うことを聞かなければ、子を殺すと言われたそうじゃ」

 当時、すでに次男の豊臣秀勝をうしなっていた日秀にとって、これはこたえたであろう。

 そして秀頼が生まれた。

 そして秀次は狂った。

 そんな秀次を不要と判断した秀吉は。

治兵衛秀次を、殺したんじゃッ」

 日秀は吠えたという。

 おいおい泣いたという。

 秀吉はすでに――秀次の前に、十七歳の秀保も葬っていた。

 事故死として処理されたそれは、誰にも知らされずにおこなわれ、母である日秀にも、事後に「死んだ」と告げられるだけであった。

 日秀は秀次にそれを言おうと思っても、秀次は狂っており、秀吉は会おうとしなかった。

 そして秀次は死んだ。

 殺された。


 ――かくして日秀は、三人いた子を、すべて喪ってしまった。



「そうこうするうちに、茶々母上が帰って来る頃合いとなった……で、余は乱行乱行と暴れることにして、その隙に瑞龍院さまは帰られた」

 日秀の息の合った連携に、秀頼は、やはりこの人はわが祖母なりと感じた。

「確証を得た余は、母上を問い詰めた。完子さだこ義姉上あねうえ乳母めのとどのに、最後に会ったのは母上、貴女ではないか、と」

 母と子のその会話は、乳母の死んだその一室でおこなわれた。

 茶々はそうだと答えた。

 茶々は乳母の「関白」と「太閤」のちがいをたしなめた。

 すると乳母は激昂した。

 酒が入っていたのだろう、珍しく感情をあらわにした乳母は、秀次さまの子にもう二度と会えない自分の気持ちがわかるか、などと叫び出し、ついには立ち上がって茶々の首を締めようとした。

「何とか乳母どのの手を振りほどいた母上は、とにかく人をとその場を出ようとした」

 乳母は心の平衡を失っている。

 誰か、医師を呼ばねば。

 そう思って離れた。

 その時、完子の猫が入ってきたような気がするが、それどころではない。

 あのような乳母を、誰かに見られてはと戸を閉じて。

 駆け出したところで、乳母の苦悶の声が。

 戻るかどうか悩んだが、医師が先だと判じた。

 再び駆け出した茶々の耳に――

「余のあしおとが聞こえた、というわけじゃ」

 秀頼はふっと笑った。

 空虚な笑みだった。

 忠栄は黙っている。

 治長も黙っている。

「……断っておくが、瑞龍院さまとのことは、余はひとこともしゃべっていない。母上は、余の乱行の理由を、乳母恋しさと思っており、それゆえに真相を話すことにしたそうじゃ」

 だがその「真相」の中で。

 「関白」と「太閤」のちがいを嗜めるという箇所があり。

 秀頼は、「ああ、そうなんだな」と思った。

「母上は、余の父が誰かなどと、言うことはない。日秀さまは余だから話したわけであり、このこと、高台院さま(秀吉の正室、ねね)すら知らぬ……こうして話したのは、もはや合戦が避けられぬこととなったがゆえじゃ」

 すなわち、忠栄と、そして完子には、哀れな日秀のことを託したいと思った。

 完子は、今や日秀に残された、貴重な孫のひとりであるがゆえに。

「頼む……頼み参らせる、義兄上あにうえ。そしてこの場にいない義姉上あねうえにも。これから豊臣家はほろびる、否、ほろぼす。このような、狂った破倫の家など、無かったことにする。そのあと、日秀さまには、頼る相手がいなくなる。そこを、九条の家に頼みたいのだ」


 ……こうして九条忠栄は京へと戻った。

 長い、長い謎解きであったが、その解けた謎が、哀れな内容であったことを携え、完子に語るために。

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