22 殺生関白

 秀次は狂った。

 人を斬り、のりを犯し、神域霊域を汚し、とにかくやりたい放題だった。

「知るか、みんな、知るか。おれは……おれは……」

 常軌を逸しながらも、秀次はどこかで正気を保っていた。

 そのため、完子さだこ乳母めのとにと差し向けた、かつての侍女──愛人と会いたがったが、彼女が他ならぬ大坂城にいることを思い出し、そしてまた絶望するのだった。



 しかし、秀吉は秀吉で、言い分があった。

「秀次めは、

 天才である秀吉とちがって、秀次は飽くまで凡人。

 努力はしたが、どうしても秀吉と比較され、そして実際に戦場にて間違いを犯し、ために秀吉子飼いの臣からも──たとえば福島正則などに──軽蔑されていた。

「このまま、秀次がわしの後を継ぎ、秀次の子がさらにその後を継いだら……どうなる?」

 秀次自身については、石田三成や大谷吉継といった能吏や良将を付けておけば、まだ何とかなるかもしれない。

「だが、その次は? その豊臣の子は……どうだ? 大丈夫なのか?」

 その自問の答えは、否であった。

 天才であり、戦国最大のリアリストである秀吉には、秀次ならまだしも、その子による治世は「無理がある」と判じた。

 何しろ潜在敵である徳川家康は、まだ健在だ。

 後継ぎの秀忠も同様である。

「…………」

 そこで秀吉は考えた。

 秀次の子であるなら無理だが、なら、秀吉の子なら、どうか。

「これなら……市松(福島正則)であっても従うじゃろ」

 そしてそれは、家康に対しても、抑止力になる。

 秀吉は、これしかないと確信した。

すては死んだが……幸い、ごうと秀勝(秀次の弟)をめあわせ、

 完子という「豊臣の子」の存在が、力を与えてくれている。

 秀吉の策に、力を。

「よし、時は今……」

 かつての宿敵の決め台詞を口にして、秀吉は、驚天動地の策を実行に移した。



 豊臣秀頼は自らの推理を語り終える時――まるで陶工が轆轤ろくろを回すような冷静さで、それを言った。

「秀勝の兄――、江の姉──

 狂っている。

 九条忠栄ただひでは目でそう訴えた。

 秀頼は目で首肯した。

 狂人の発想だ。

 それも、特大の。

 まるで人を――牛か、馬かのように、「こうすれば子ができる」といって、交配させる。

 しかも、おのれの妻妾を、おのれの甥にだ。

 そのようなこと、思いついたとしても。

「実行できる。それが、秀吉――太閤秀吉という、悪魔」

 それがキリスト教によるものか、はたまた仏教における釈迦の誘惑者なのかは判然としない。

 だが、これほど、秀吉という存在を当てはめるにふさわしい単語は、無かったであろう。

 秀頼は冷めた目をして、手を差し出すと、一胴七度を返して欲しいと言った。

「それは、秀次よすが。今はただ、しのびたい……」

「……わかりました」

 忠栄が刀を差し出すと、秀頼はかたじけない、と答えた。

「秀頼ぎみ

「何じゃ」

「もう、終わりにしませんか」

「…………」

 忠栄は、秀頼が自棄やけになって、乱行に身を投じたことを理解した。

 そして、その乱行のもとも、理解したと感じた。

 だから思う。

 もう、こんなことは終わりにすべきだと。

秀次父君が狂い、死んだのは太閤殿下のせいだとして、秀頼君が乱れるのはわかりました。なら……もう終わりに」

「駄目じゃ」

 秀頼はくらい目をして言った。

 底なしのその昏さに、忠栄は気を失いそうになる。

義兄上あにうえ

 秀頼は、一胴七度の柄を、ぐっと握った。

 握ったその手が、ぶるぶると震えている。

「義兄上は、この話はこれで終わりとお思いか? それとも、お忘れか? …………

「……あッ」

 秀次悪逆塚の石櫃。

 のちに角倉了以により発見されたそれは、秀次それ自身と、それに連座させられたのか、秀次の妻妾と子どものほとんどを殺し尽くし、その総勢三十九名の首を埋めた塚の上に置かれた石櫃である。

「……一族、皆殺し」

「そうじゃ、義兄上」

 秀頼は言う。

 それも、秀吉は正しい行いとして、それを行ったと。

「正しい行い」

 忠栄が口をぱくぱくとしながら呟く。

 何が、正しい行いなのか。

 世継ぎを得たから、もう邪魔者は要らぬと排除したことか。

 その際、恨みを残さず、仇討ちを防ぐため、妻子をほとんど殺したことか。

 それとも……。

「いや」

 忠栄の思惟は展開する。

 仇討ちを防ぐ。

 これはそんな、仇討ちを防ぐとか、甘っちょろいものじゃない。

 これは秀次の血を根絶やしにするためのものだ。

 それは……。

「そう」

 秀頼は、おこりが生じたように、ぶるぶると震える。

「そう……豊臣秀次それ自身と、その豊臣秀次の子を、それも、懐妊しているかもしれない妻妾も含めて、根絶やしにする。さすれば、

「な……」

 驚愕と共に、納得があった。

 あの太閤秀吉なら、やりかねない。

 いや、かならず、やる。

 何ごとも徹底的に、完膚なきまでにやる。

 それこそが、秀吉が天下を取れた理由なのだから。



「……姦通の罪に苦しみ、詫びに来た秀次に対して、こう言ったのであろう……『これで秀吉わしの子ができたが、その実、秀次お前の子。これなら、お前の次の関白が秀頼この子であっても、不満はあるまい』、と」

「そ、そんな」

 無茶苦茶だ。

 勝手に茶々を抱かせておいて、姦通の罪を犯させておいて。

秀次はさすがに憤ったのでは。だが……ならば、秀次お前の子なら、満足にこの国を治められるのか、と……」

「…………」

 こうして、ついに秀次は、最後の正気すらも捨て去り、完全に狂った。

「なら、要らぬわ」

 秀吉はそう簡単に言って、福島正則に始末を命じた。

 付け加えて石田三成に妻妾、子どもたちを捕えさせ、やはり、始末させた。

 しかもこの始末の前に、秀次の弟の秀保も、すでに始末させてあるという、念の入り様である。

「これでよし。この子秀頼に、『跡目を寄越せ』という輩は消した」

 そうして秀吉はその秀頼を抱きしめ、おうおう奴愛い奴と、頬ずりするのだった。

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