20 秀吉の策
以下は秀頼の語るところである――
忠栄の正室、豊臣
秀次は美女好みで、公家の娘から大名の姫まで、ありとあらゆる美女を囲っており、乳母もご多分にもれず美女で――しかし他の愛人たちとは、ちがった立ち位置にあった。
「そなたは、そなたは……わが安らぎじゃ」
そのようなことを言われて、秀次から愛されていたらしい。
侍女という、身の回りの世話をするという役割が、秀次にとってはそういう心理作用をもたらしたのではないか、と乳母は思っている。
ただいずれにしろ、乳母自身も秀次のことを憎からず思っており、何度か抱かれた。
抱かれた結果、子ができた。
「悪いが、その子を豊臣の子にすることはできぬ」
秀次は言った。
秀次は豊臣秀吉の後継者と目されており、その秀次が子を
「公家や大名の
他の秀次の側室らから、やっかみを買い、最悪、殺されることもあり得る――とも、言って来た。
しかし捨て子や女郎までもが側室となっているのに、そんなことがあろうかと乳母は思っていた。
こうして生まれた子は四辻家へ貰われていった。のちに与津子と名付けられるその子は、乳母と「死に別れた」という扱いにされ、二度と会うことを禁じられた。
やがて、乳母自身も、完子の乳母として、聚楽第から離れ、大坂城で暮らすことを余儀なくされる。
が、あとで思えば、本能的に、妻妾、子どもまでも皆殺しにされる運命から、乳母とその子どもを、守りたかったのだろう。
豊臣秀吉の側室・茶々が、新たな豊臣の子を産むという運命から。
*
「……それが、余じゃ」
秀頼は、力なく笑った。
さきほどから、秀頼の顔は、否、彼そのものが、力というものが感じられない。
言うなれば、虚無。
そうなってしまうのも、無理がない。
今まで信じて来た、「秀吉の子」であるということが崩れてしまったのだから。
「いや、秀吉の子でないということは、この場合、余は
ここで、秀頼の目に力が感じられた。
「秀吉は、悪鬼じゃ」
秀頼の目が、黒くなる。
「豊臣というしくみを残したいだけのために、破倫を為した。人を殺した」
そのしくみを受け継がせたいと思った、豊臣の子――秀頼のために。
*
豊臣秀吉は、その欲望もあったろうが、政治的なおこないとして、茶々を側室に迎えた。
「これで、わしは信長さまの縁者よ、後継ぎよ」
そう、言いたかったのであろう。
何しろ、茶々は戦国の覇王・織田信長の姪。
かつて織田家の足軽あるいは下人だったと言われる秀吉が、やはりかつての上役や同僚より「上」と見せつけるのに、これほどわかりやすい「
付け加えて言うと、茶々は絶世の佳人。これだけでも、秀吉の権勢の象徴となる。
「わしももう、
何も主筋の美女を抱きたいという欲だけではない。
秀吉は彼なりに、今後の豊臣政権の先を見据えていた。
「こうして信長さまの縁者の、しかも美しい
秀吉は狡猾だった。
姉・ともの息子である秀次を引き上げ、後継者に擬した。
そして秀次には公家の娘をあてがった。
多くの大名、小名の娘を、側室として迎え入れさせた。
「これで
成り上がりも二代目になれば、それなりの「伝統」となる。
ましてや、秀次には公家や武家の娘がそれぞれ妻として迎え入れられており、そのあたりの「声」を聞いてくれるだろうという「期待」が集まる。
「これでわが豊臣の家は、豊臣の子――秀次によって、受け継がれ、盤石となろう」
わがこと、成れり。
何ごとも、問題はない。
……問題はない。
そのはずだった。
しかし。
*
「子が?」
「はい」
ある日、茶々は懐妊した。
秀吉は茶々を抱くは抱いていたが、あまり若くもない彼は、そこまでしつこくはしていなかった。
というか、今までの女性経験からして、おのれの子ができることは、そうそうあるまいと踏んでいた。
「……ほんとうに、わしの
とまでは言わなかったが、秀吉は茶々を慰労し、それから侍女や護衛役にそれとなく聴き取りをしたようだ。
「……ふむ。どうやら、ほんとうらしい」
いかに天下の美女とはいえ、天下人の愛人である。無理矢理など、もってのほかであるし、合意の上にしても、それならそれで、侍女たちの目まで掻い潜れることなど、まずないだろう。
「では、豊臣の胤は、茶々となら子を
そこでふと、秀吉は思いついたことがあるが、茶々の子──
*
「……死んだか。さもありなん」
棄は二歳と少しで亡くなった。
生まれた時から体が弱く、こうなることは、秀吉にとっては予想できたことだった。
「やはり、わしの
高齢の自分が父親では、弱い子しか生せない。
これでは駄目だ。
……秀吉は、父親というより、天下人である方が、やはり強いのであろう。
「さて、どうするか」
その頃になると秀吉は、棄の出生の際に思いついたことを、実証に移し始めていた。
「茶々の妹、
江自身は厭がっていたが、言うことを聞かないと、茶々や初(江の次姉)の命を取ると脅すと、悄然として嫁いだ。
二人の間に子ができた。
豊臣完子である。
「でかした」
秀勝自身は文禄の役で病没してしまったが、秀吉にとっては──彼の抱きつつある「策」にとって、
「……ではひとつ、しかけるかのう」
秀吉は、甥の秀次を呼んだ。
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