19 城塞

 大坂城は、戦国史上冠絶する名城である。

 何より大きい。

 目の前にして立つと、相当なる威圧感である。

 少なくとも、九条忠栄くじょうただひでにとっては。

「このような城塞の主というのは、どのような気分なのだろう」

 豊臣秀吉という男ならば、自らの生涯の象徴であり、おのが才と力を傾けた傑作として、「そこにいる」時点で、誇りに思うであろう。

 では、秀吉以外の人間では、どうか。

「……重荷だろうな」

 たとえば茶々という女性なら、それでもその重荷をどうにか背負うだろう。

 その重みを、辛さを顔に出さずに。

 では、茶々ではない者ならば。

「秀頼ぎみ……」

 秀頼にとっては、やはりこの巨塞は重荷だったのだろうか。

 その重量に耐えかねて、凶行に――乱行に走ったとしても、それは無理からぬことと思う。

「……それでも、秀頼ぎみに生きていただくためには、乱行は――抑えていただかなくては」

 忠栄は城の門番におとないの意を告げ、取次を頼むのであった。



 事前に完子さだこが早馬を飛ばしておいてくれたため、来意を告げると、あっという間に城内に招かれ、山里丸という曲輪にある茶室へといざなわれた。

「なるほど」

 茶室なら、主と客という閉鎖空間で、余人を交えずに話をすることができる。

 完子の考えか、茶々の気遣いか。

 それとも、これからこの茶室に現れる、の思惑か。

 待つこと、しばし。

「なぜ来た」

 にじり口から這入はいって来た巨漢が口にした台詞が、まずそれである。

 巨漢は、こしらえの美々しい佩刀をいとおしそうに撫でて、それから着座した。

「余は、豊臣秀頼である」

 今さらの言葉に、白々しさとともに、隔意を感じた。

 もとより――秀頼もそのつもりであろう。

「なぜ来た」

 繰り返しの台詞も同様である。

 そしてまた、佩刀を――愛刀といってもいいだろう――をなでる。

「……完子の義姉上あねうえから『たって』と頼まれておる。だから特別に、こうしてうておる。手短にな」

 これではまるで、公家というよりは野武士だ。

 これがかつて、蝶よ花よと育てられ、大切に大切にと扱われた貴公子かと思う。

「……お気遣い、感謝いたします」

 忠栄はぬかづいて感謝の意を伝える。

 そしてその姿勢のまま、ちらりと秀頼の佩刀を見る。

 あれが、一胴七度か。

 でなければ、このような茶室にまで、あのような大仰な打刀うちがたなを、持っては来まい。

「手短にと言うておる!」

 突然の怒鳴り声。

 何に、苛々いらいらしているのか。

 それは、豊臣家をめぐる、この状況か。

 それとも、秀頼自身をめぐる……。

「では単刀直入に申し上げる」

「む」

 忠栄は、腐っても堂上公家だ。

 いかに、脅されようとも、言うことは言う。

「秀頼ぎみ!」

 大声で呼ぶと、ぎょっとした顔をして、後ろへ下がった。

 このあたり、秀頼の素の表情だな、と思う。

 不安になったのか、佩刀を握りしめようとした。

 だがその刀を──一胴七度を。

「このようなものすがるのを、おやめなされ!」

 忠栄は思い切り手を伸ばし、一胴七度を掴み、手繰り寄せた。

 秀頼としては、このような性急かつ乱暴な真似など、受けたことがないらしく、唖然として、刀を取られるがままにしていた。

 していたが、取られたことに気づくと、憤然として立ち上がった。

「何をなさるか! いくら完子義姉上あねうえの夫とはいえ、許さぬぞ!」

 秀頼は顔を真っ赤にして、ぷるぷると震えている。

 無理をしている。

 忠栄は、その様子が哀れだった。

 そして、これから述べることが、この哀れな青年を、より哀れにしてしまうことを、なげいた。

嗚呼ああ、秀頼ぎみ……どうか、どうか落ち着かれませ」

「これが落ち着いていらりょうか! 忠栄卿、その刀を返せ! 返しそうらえ!」

 巨漢の秀頼が、その両のかいなを伸ばすと、狭い茶室は秀頼という体積に圧倒される。

 だがそれでも、忠栄は刀を返さなかった。

 どころか。

「いいえ! 落ち着かれませ! どうか! 秀頼ぎみ、そのような乱行など、望んでおられませぬ!」

「なっ……」

 この刀の前の持ち主、すなわち豊臣秀次。

 その男がおのれの父だと思ったその時。

 秀頼は、狂った。

 否、狂うしか、なかった。



 静止した時の中で――秀頼が硬直し、忠栄も身じろぎもしない中で――二人の目は合い、口を開かずにも、その言葉を交わした。

 ――秀頼ぎみは、いつから?

 ――猫が死んだ、そのことを知った時から。

 秀頼の眼光が輝く。

 ――義兄上あにうえは?

 ――何となく。

 だが決め手はこの刀だ、とばかりに一胴七度を持ち上げた。

「……ふっ」

 秀頼は、息を吐いた。

 吐いたまま両手を下げて、座った。

「何となく、か……そういうものかもしれませんな、義兄上」

 秀頼の口調が、以前のものに戻っている。

「しかし聞かせてくれませんか、義兄上。どのようにして、余と同じ思考に至ったか」

「……聞かせれば、乱行はお止めになりますか」

 秀頼はうなずいた。

 力なく。

 もしかしたら、おのれの煩悶の理解者を、ずっと探し求めていたのかも、しれない。



「まず、猫の死。これが始まり」

 十年前に、この大坂城の城主とその家族、あるいはそれらに近しい者しか入れない一室にて。

 豊臣完子の愛猫は、完子の乳母めのとの手の指を舐めていた──その時すでに、冷たくなっていた乳母の指を。

 乳母の死因は謎とされ、猫は十年後に死を迎えるのだが、それにより、秀頼には「わかった」ことがあった。

「この『わかった』ことが、何なのか。それが肝」

 秀頼は惚けたような表情を浮かべている。

 もしかしたら、韜晦しているのかもしれない。

「……最初は、この乳母こそが、秀頼ぎみの母君かと思ってました」

「……そうであれば、どんなによかったか」

 秀頼の空虚な表情、空虚な言葉。

 おそらく一度は、真の母かと思ったことがあるのだろう。

 でも、死に別れたという、乳母の子は、生きていた。

 四辻与津子という女が。

「この与津子──およつが、まさか帝の寵愛を得て、おそれおおくも皇子みこを懐胎したといううわさが出るとは、思わなかったでしょう」

 秀頼は笑みを浮かべた。

 皮肉な笑みを。

「そしてそのはらさばいてとは……」

「……その方が、『らしい』と思うての」

 いにしえの暴虐な帝王の真似をしたのだという。

 なにしろ、その手の書物にはことかかない家──豊臣の子であったから。

「ま、どちらにせよ、乳母の子は、四辻与津子だった。豊臣秀頼ではなかった」

 ここで、乳母と秀頼が親子の関係ではない場合、いったい何が秀頼をそこまで乱行に駆り立てたのか。

 それが謎だった。

 というか、乳母の子が四辻与津子なら、秀頼はそういう発言をしなかったであろう。

 換言すれば、秀頼はそういう「調べ」をしていなかったのだ。

 つまり、何の実権も持たぬ秀頼が、人を使っての調べごともせず、「わかった」と言えるのは、やはり秀頼自身の記憶の中のことから、であろう。

 忠栄はそこで、乳母が死ぬ直前、秀頼ら豊臣家の面々と酒宴というか、内々で飲食をともにしたことを思い出した。

 ――それに……いま改めて見ましても、秀頼どのの、まこと見事な男ぶり。これは……お父上の、関白さまを見ているようでございます。

 その、台詞。

 その内容に――いま改めて戦慄を覚える忠栄である。

 秀頼の父が関白。

 聞いただけでは、言い間違い、聞き間違いと思える。

「しかし、茶々どのは黙りこくってしまわれた」

 言い間違いではない、と知っていたのかもしれない――茶々は。

 そもそも、乳母は秀次の侍女だった。

 そういう人間が、「関白」と「太閤」を間違えるだろうか。

「それだけではなく……もしかして完子の乳母は」

「そう……」

 秀頼は、今さらながらに茶をて始めた。

「いくら何でも、この歳になればわかる。乳母は秀次の愛人であったのだ、と。それゆえにこそ、この城塞で暮らすうち、余と触れ合ううちに、余に秀次の面影を見て、気がついたのだろう、と」

 完子の乳母は、だからこそ、時折、秀頼を抱きしめたりしていたのだろう。

 それは、いま思えば、「死に別れた」扱いとされ、もう二度と会えない与津子の代わりなのかもしれないが。


 ……そして。

 に気づいた乳母を――秀頼の父を「関白」と言った乳母を、もしかして茶々がのでは、と忠栄はふと思った。

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