19 城塞
大坂城は、戦国史上冠絶する名城である。
何より大きい。
目の前にして立つと、相当なる威圧感である。
少なくとも、
「このような城塞の主というのは、どのような気分なのだろう」
豊臣秀吉という男ならば、自らの生涯の象徴であり、おのが才と力を傾けた傑作として、「そこにいる」時点で、誇りに思うであろう。
では、秀吉以外の人間では、どうか。
「……重荷だろうな」
たとえば茶々という女性なら、それでもその重荷をどうにか背負うだろう。
その重みを、辛さを顔に出さずに。
では、茶々ではない者ならば。
「秀頼
秀頼にとっては、やはりこの巨塞は重荷だったのだろうか。
その重量に耐えかねて、凶行に――乱行に走ったとしても、それは無理からぬことと思う。
「……それでも、秀頼
忠栄は城の門番に
*
事前に
「なるほど」
茶室なら、主と客という閉鎖空間で、余人を交えずに話をすることができる。
完子の考えか、茶々の気遣いか。
それとも、これからこの茶室に現れる、主の思惑か。
待つこと、しばし。
「なぜ来た」
巨漢は、
「余は、豊臣秀頼である」
今さらの言葉に、白々しさとともに、隔意を感じた。
もとより――秀頼もそのつもりであろう。
「なぜ来た」
繰り返しの台詞も同様である。
そしてまた、佩刀を――愛刀といってもいいだろう――をなでる。
「……完子の
これではまるで、公家というよりは野武士だ。
これがかつて、蝶よ花よと育てられ、大切に大切にと扱われた貴公子かと思う。
「……お気遣い、感謝いたします」
忠栄は
そしてその姿勢のまま、ちらりと秀頼の佩刀を見る。
あれが、一胴七度か。
でなければ、このような茶室にまで、あのような大仰な
「手短にと言うておる!」
突然の怒鳴り声。
何に、
それは、豊臣家をめぐる、この状況か。
それとも、秀頼自身をめぐる……。
「では単刀直入に申し上げる」
「む」
忠栄は、腐っても堂上公家だ。
いかに、脅されようとも、言うことは言う。
「秀頼
大声で呼ぶと、ぎょっとした顔をして、後ろへ下がった。
このあたり、秀頼の素の表情だな、と思う。
不安になったのか、佩刀を握りしめようとした。
だがその刀を──一胴七度を。
「このような
忠栄は思い切り手を伸ばし、一胴七度を掴み、手繰り寄せた。
秀頼としては、このような性急かつ乱暴な真似など、受けたことがないらしく、唖然として、刀を取られるがままにしていた。
していたが、取られたことに気づくと、憤然として立ち上がった。
「何をなさるか! いくら完子
秀頼は顔を真っ赤にして、ぷるぷると震えている。
無理をしている。
忠栄は、その様子が哀れだった。
そして、これから述べることが、この哀れな青年を、より哀れにしてしまうことを、
「
「これが落ち着いていらりょうか! 忠栄卿、その刀を返せ! 返しそうらえ!」
巨漢の秀頼が、その両の
だがそれでも、忠栄は刀を返さなかった。
どころか。
「いいえ! 落ち着かれませ! どうか! この刀の前の持ち主が秀頼
「なっ……」
この刀の前の持ち主、すなわち豊臣秀次。
その男がおのれの父だと思ったその時。
秀頼は、狂った。
否、狂うしか、なかった。
*
静止した時の中で――秀頼が硬直し、忠栄も身じろぎもしない中で――二人の目は合い、口を開かずにも、その言葉を交わした。
――秀頼
――猫が死んだ、そのことを知った時から。
秀頼の眼光が輝く。
――
――何となく。
だが決め手はこの刀だ、とばかりに一胴七度を持ち上げた。
「……ふっ」
秀頼は、息を吐いた。
吐いたまま両手を下げて、座った。
「何となく、か……そういうものかもしれませんな、義兄上」
秀頼の口調が、以前のものに戻っている。
「しかし聞かせてくれませんか、義兄上。どのようにして、余と同じ思考に至ったか」
「……聞かせれば、乱行はお止めになりますか」
秀頼はうなずいた。
力なく。
もしかしたら、おのれの煩悶の理解者を、ずっと探し求めていたのかも、しれない。
*
「まず、猫の死。これが始まり」
十年前に、この大坂城の城主とその家族、あるいはそれらに近しい者しか入れない一室にて。
豊臣完子の愛猫は、完子の
乳母の死因は謎とされ、猫は十年後に死を迎えるのだが、それにより、秀頼には「わかった」ことがあった。
「この『わかった』ことが、何なのか。それが肝」
秀頼は惚けたような表情を浮かべている。
もしかしたら、韜晦しているのかもしれない。
「……最初は、この乳母こそが、秀頼
「……そうであれば、どんなによかったか」
秀頼の空虚な表情、空虚な言葉。
おそらく一度は、真の母かと思ったことがあるのだろう。
でも、死に別れたという、乳母の子は、生きていた。
四辻与津子という女が。
「この与津子──およつが、まさか帝の寵愛を得て、おそれおおくも
秀頼は笑みを浮かべた。
皮肉な笑みを。
「そしてその
「……その方が、『らしい』と思うての」
なにしろ、その手の書物にはことかかない家──豊臣の子であったから。
「ま、どちらにせよ、乳母の子は、四辻与津子だった。豊臣秀頼ではなかった」
ここで、乳母と秀頼が親子の関係ではない場合、いったい何が秀頼をそこまで乱行に駆り立てたのか。
それが謎だった。
というか、乳母の子が四辻与津子なら、秀頼はそういう発言をしなかったであろう。
換言すれば、秀頼はそういう「調べ」をしていなかったのだ。
つまり、何の実権も持たぬ秀頼が、人を使っての調べごともせず、「わかった」と言えるのは、やはり秀頼自身の記憶の中のことから、であろう。
忠栄はそこで、乳母が死ぬ直前、秀頼ら豊臣家の面々と酒宴というか、内々で飲食をともにしたことを思い出した。
――それに……いま改めて見ましても、秀頼どのの、まこと見事な男ぶり。これは……お父上の、関白さまを見ているようでございます。
その、台詞。
その内容に――いま改めて戦慄を覚える忠栄である。
秀頼の父が関白。
聞いただけでは、言い間違い、聞き間違いと思える。
「しかし、茶々どのは黙りこくってしまわれた」
言い間違いではない、と知っていたのかもしれない――茶々は。
そもそも、乳母は秀次の侍女だった。
そういう人間が、「関白」と「太閤」を間違えるだろうか。
「それだけではなく……もしかして完子の乳母は」
「そう……」
秀頼は、今さらながらに茶を
「いくら何でも、この歳になればわかる。乳母は
完子の乳母は、だからこそ、時折、秀頼を抱きしめたりしていたのだろう。
それは、いま思えば、「死に別れた」扱いとされ、もう二度と会えない与津子の代わりなのかもしれないが。
……そして。
それに気づいた乳母を――秀頼の父を「関白」と言った乳母を、もしかして茶々が口を封じたのでは、と忠栄はふと思った。
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