第二部 方広寺鍾銘事件
16 方広寺鍾銘事件
豊臣秀頼は鬱屈の中にいた。
小さい頃から、そうだ。
みんな、遠巻きにして自分を観ている。
そんな感覚を、ずっと抱いていた。
母親である茶々ですら、そうだ。
それは戦国の大名の――そうでなくとも貴人の家であれば仕方ないことかと知ったが。
「それにしたところで、母上は――」
対すれば礼儀正しく応じるものの、どこかよそよそしさを感じる。
これではまるで。
「他人のようではないか」
そう、思った。
ところが秀頼のことを遠巻きにしない人がいた。
義姉・
「秀頼
そう言っては、よく抱っこしてくれた。
それは、実母・茶々がなかなかやってくれないことであり、そこに乳母への親しみが芽生え、やがて秀頼が長じて少年といえるような心身を具えたときも、変わらず抱きしめる乳母のその胸の豊かさに──
「いや、今言っても詮なきこと」
乳母への想いをいつか遂げようと思っていた矢先の、その乳母の死。
それも、敬愛する完子の嫁入りの前夜にである。
秀頼は怒り狂った。
「かならずや、かならずや、死に至らしめた者を懲らしめてやる」
そして十年の月日が経ち──
「猫が死んだ?」
完子の飼い猫が死んだ。
あの時、乳母が死んだその時、その手を舐めていた猫だ。
秀頼としては、可愛がってはいたが、その乳母の死の瞬間には、特に気にも留めずに追い払った猫だ。
「たまたま、乳母の死んでいた一室の戸が開いていて、入って舐めていたのであろう」
秀頼は、猫の死を知らせた完子の
その時。
「あっ……」
稲妻が、閃いた。
秀頼の脳裏に。
何故猫があの一室にいたのか。
そして、乳母を死に至らしめたのは誰かを。
「まさか、この秀頼だったとは」
秀頼は笑った。
哄笑した。
それはとても空虚な笑い。
そして、地獄の奥底から響くような、切々とした迫力を
「しかし」
秀頼は笑いを止めた。
陰影を帯びたその顔の表情は読めない。
読めないが、口は動いていた。
「この秀頼をして、そのような真似をさせた奴を……絶対に許さん。かならず、かならずや仕返ししてくれる」
ゆらりと。
秀頼は立ち上がった。
まずはそのためには。
「少しでいい……
さすればこの秀頼にあのような真似をさせた奴の砂上の楼閣など、突き崩せる。
「……豊臣の子として」
そうひとりごちた秀頼は、室外に控える近侍から、客人来訪の報告を受けた。
「そうか」
客人は、秀頼が待ち望んでいた人物であった。
くぐもった笑いを漏らし、秀頼は出迎えに出た。
*
方広寺の鍾銘。
その問題が、大きくなっていったのがこの時期である。
「国家安康、君臣豊楽」
そういう一節が、慶長十九年に豊臣家が寄進した方広寺の梵鐘の鍾銘にある。
これに、徳川が問題を提起した。
「これは、家康さまの『家』と『康』を離して(国家安康)国家を安んじ、豊臣はくっついたまま(君臣豊楽)。かつ、豊臣を君(主君)として楽しむ、という意味である」
そういう主張が、徳川方から発せられて、豊臣方――
「そのようなことは毛頭、ござらん」
かつての賤ヶ岳の七本槍のひとり、且元は、今や宿老として、この豊臣というか大坂というか、「異界」と化した城を取り仕切る立場である。
「いっそのこと、鍾銘を変えるか」
とも思ったが、それは不可能と
「そも、方広寺の梵鐘や大仏など、神仏への喜捨は、亡き太閤殿下のための追善供養としてなされたもの」
そうおいそれとやめたり、変えたりはできないだろうと、治長は言う。
治長が言うということは、茶々がそう
「しかし」
この方広寺の鍾銘――梵鐘や大仏、大仏殿の建て直しといった「寄進」は、いったい誰の発案だろうか。
「世上にささやかれているとおり、徳川が、豊臣の財を放ち、力を失くすため、ということであろうか」
且元は自問する。
今や、豊臣家と徳川家の共同事業のような
だから豊臣が一方的に財を出しているわけではない。
むしろ、宮大工を始めとした人的な面では、徳川家の方が出している。
「はて……」
そこで且元は自問をやめた。
徳川の陰謀にせよ、豊臣の発意にせよ、今は徳川からの鍾銘についての疑義に応えねばならない。
それにしても。
「そういえばあの鍾銘は、誰があのように……」
草案は、南禅寺の文英清韓だ。
その草案は、これは豊臣の担当にあたるので、且元が持ち帰り、まずこういうことに詳しい面々――常真(織田
二人とも、特に問題なしとして、茶々に草案を回して、そして……。
*
「片桐どの」
そこで思考を中断された。ほかならぬ、大野治長から話しかけられたからだ。
そう、且元は今、文英清韓や治長と共に、駿府に向かう途上である。
徳川家康に対して、鍾銘に他意はないと説明するために。
大坂の「宰相」二人が出向くというのもどうかと思うが、且元としては、これこそが大坂の「危急存亡の秋」、なりふりかまっていられなかった。
治長は当初断っていた。
大坂の「宰相」が二人ともいないのは、いかにもまずい。
それに、秀頼の「乱行」のこともある。
が、且元に「危急存亡の秋」とまで言われてはと、治長は同行することにした。ただし、母であり、茶々の腹心である大蔵卿局に何事かを頼んでから。
……そして一同は今、
「駿府まであと一歩というところでござるが、文英清韓どのの様子がおかしい。宿を取り、休ませてよろしいか」
且元は宿老だが、実務面は治長が取り仕切っている。
その治長がそういうならと、且元も了承する。
「では、宿を取るのは修理どのが。文英清韓どのは、それがしが見ていよう」
実際に文英清韓を見ると、たしかに青ざめている。
何か、体の調子がと聞くと、ちがうと言われた。
それでは心の方かと思ったが、それを聞くのはためらわれた。
何しろ、自分が草案を起こした鍾銘が問題となって、徳川と豊臣が衝突するかもしれないのだ。青ざめもしよう。
そもそも、文英清韓は、俗名を中尾重忠といい、豊臣家に仕えていた。出家後も、文禄の役では加藤清正の祐筆を務めている。つまり、豊臣家には忠実であった。
それが。
「拙僧ではない、拙僧ではないが……言えぬ、言えぬ」
何を口走っているのだろう。
とにかく、このままでは宿に入れることもできない。
落ち着かせようとしたその時。
「太閤殿下! 拙僧は……拙僧は……ただ、言うことを聞いただけなのです」
誰の言うことを聞いたのか。
その目線を受け、清韓が二言三言呟いた時、且元は遠巻きに囲む者たちの存在に気がついた。
「……何者か」
且元は戦国の――それも、最も激しい、安土桃山の時代を駆け抜けた男である。
その男が、刀の柄に手をかけようとした。
「あいや、お待ちくだされ」
遠巻きに囲む者たちの中から、ひとりの男が進み出る。
男は、駿府奉行と名乗った。
「かの文英清韓どのに、大御所さま(徳川家康)から、先に話を聞きたいと」
「何っ」
文英清韓は心を乱している。
そのような状態で、徳川に身柄を明け渡すわけには。
「で、では、お連れ下され、お連れ下され」
ところが、文英清韓はむしろ自ら駿府奉行の方へと、
「清韓どのっ」
「片桐どの、では御免」
駿府奉行は戸惑っていたが、やがて主命を優先することにしたのか、且元に一礼して、清韓を連れ去ってしまった。
且元としては、他ならぬ清韓がおのれの意志でついていったため、それを止めることはできなかった。そもそも、清韓は正確には南禅寺の者であって、豊臣家の所属ではない。だから、命令することなど、できぬ。
それにしても、気にかかるのは。
「なぜ清韓どのは、豊臣の子、と呟いたのか……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます