15 大坂
結局、茶々とはそれきりで、四辻与津子の母が完子の
しかし、言わないということも、時には大事だと思い、完子は九条邸へと
*
一方で茶々は、お通の茶をもう一杯喫し、そこでふうとため息をついた。
「これでよかろうか、お通」
「何がですか」
「
「……ご慧眼、恐れ入ります」
お通は幕府──京都所司代とは直接につながりはないが、間接的にはつながっていた。
幕府に近しい者とつながっていた。
その者は、幕府が徳川
「……で」
茶々は嫣然と微笑む。
「その『草刈り』とは、豊臣という草を刈れ──と?」
「滅相もない」
お通は手を振り、四辻与津子こそが草、と述べた。
「なるほど──」
茶々は一気に茶を飲み干す。
「では豊臣の者としては、草を刈らずに、草を抜く程度にとどめおくよう、頼むべきかの?」
完子は与津子が秀次の娘であると告げた。
殺すのは簡単だ。
しかし、豊臣の係累と知られると、「かたきを」と言い出す者が出て来るかもしれない。
かかわりがない、としたとしても、そうは思わない者はいる。
要は、ひっそりと、与津子には隠棲してもらった方が良い。
へたな火種とならないようにして欲しい──そういう、茶々の願いを知り、お通はより一層深く、頭を下げた。
*
京から大坂へは、水路が最適である。
素早く、身の安全を図って、ということならば。
「こちらへ」
茶々は大野修理治長に手を取られ、舟に乗った。
舟は淀川を滑る。
自身の「淀殿」という二つ名の由来となった淀城に別れを告げ、尼姿の茶々は、一路、大坂へ向かい、その途次、船上で治長に問うた。
「修理」
「はっ」
「こっち、
茶々は船上の、
そして、謹直の表情──というか、冷然とした無表情を崩さずにいる治長の手を取った。
「修理」
「何でしょう」
「ここならいいでしょう」
「…………」
何がいいのか、とは治長は言わない。
ただ、黙って、茶々を掻き抱いた。
*
吐息が漏れる。
「何も言わずとも良い」
どちらが言った言葉だろうか。
ことは滞りなくおこなわれ、最後にやはり大きな吐息を漏らして終わった。
外からは、密なる相談ごとでもしているのだろう──と思われている程度の、それは逢瀬だった。
すべてが終わって、船上へと出ていく治長の背に、それは響いた。
「……秀頼に、大事ないかえ?」
「大事、ござらん」
言葉だけ聞けば、
だが治長は冷や汗をかいた。
あれだけのことをして、そして何事もなかったかのように外に出て──という瞬間の、問い。
これに素直に答えないというのが、どれほどの至難の業か。
久々の逢瀬だったが、こういう船上ではという、趣向によるものではなく、むしろこの問いへのお膳立てではないかと疑いたくなる。
「それは重畳」
知っているのか、いないのか。
豊臣秀頼は今──かつての「殺生関白」豊臣秀次が取り憑いたような──乱行に興じている。いや、のめり込んでいる。
とにかく人を斬りたいと言っては、治長があてがった罪人を斬り、挙句は大坂の町中にまで出て、辻斬りまでしようという始末だ。
「あの子は豊臣の子。豊臣の子らしく、生きていて欲しいもの」
「……いかにもさようでござりまする」
もし──秀頼の乱行を暴露すればどうなるか。
ふと、治長はそれを想像する。
きっと、徳川は秀頼の死を要求する。
豊臣の子にふさわしくない、とでも言い出して。
そうすると茶々はどうなるであろう。
自害でもするか。
あるいは……。
「修理さま、着きましてござりまする」
そしてつぶやく。
「……今はまだ駄目だ、今は。もっと……もっと、茶々の心を見極めねば」
茶々が何を望んでいるか。
それを見極めた時、この大野治長はそれの為に動こうと思う。
*
大坂。
この、豊臣秀吉が作り上げた殷賑の地は、これから訪れる滅びの運命を知ってか知らずか、今、極度の繁栄を迎えていた。
それはまるで、江戸という時代の到来を前に、否、すでに到来している中で咲く、あだ花のように。
ここに到着した茶々や治長は、即座に城――大坂城に入った。
「秀頼、秀頼はおりますか」
「いえ、
迎えに出た千姫は首を振った。
秀頼の言い方をすれば「剣の鍛錬」のために、秀頼は出ているという。
「はて。鍛錬……」
「急ぎ、権右衛門に探させましょう」
治長は大声で、一の家臣、米倉権右衛門を呼ばわった。
茶々がいないという状況が、乱行に拍車をかけたか。
とにかく、急ぎ秀頼を押さえなくては。
「……やっぱりのう」
そのつぶやきは、茶々から漏れた。
何が、「やっぱり」なのか。
一向に現れない権右衛門を待つ中、治長はふと考えた。
もしかして、茶々は秀頼の行状を知っているのではないか。
それを「やっぱり」というのは、なぜなのか。
それは……。
*
「修理? 修理!」
気がつくと、千姫が呼びかけていた。
見ると、眼前に権右衛門が控えている。
どうやら、自失していたらしい。
茶々は、城の外へ向かおうとしているのか、廊下を歩いていた。
「あいやしばらく」
治長は急いで茶々を止めるべく、駆け出した。
権右衛門もつづく。
千姫は立って見守っている。
つまり今――治長の顔を見る者はいない。
「わかった」
その独り言は、つぶやき以前の小ささの声音。
それでも、治長にとって、かなりの大きさを持つ発言であるが、余人には知る
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