15 大坂

 豊臣完子とよとみさだこは、小野お通の宅を辞した。

 結局、茶々とはそれきりで、四辻与津子の母が完子の乳母めのとであることや、その話をもたらしたのは高台院であることは、言えずじまいだった。

 しかし、言わないということも、時には大事だと思い、完子は九条邸へと輿こしを向けた。



 一方で茶々は、お通の茶をもう一杯喫し、そこでふうとため息をついた。

「これでよかろうか、お通」

「何がですか」

とぼけるな、こたびの『茶会』、ほんとうは江戸の差し金じゃろう」

「……ご慧眼、恐れ入ります」

 お通は幕府──京都所司代とは直接につながりはないが、間接的にはつながっていた。

 幕府に近しい者とつながっていた。

 その者は、幕府が徳川和子まさこの入内を急いでいると知り、お通にその入内の前の「草刈り」を依頼した。

「……で」

 茶々は嫣然と微笑む。

「その『草刈り』とは、豊臣という草を刈れ──と?」

「滅相もない」

 お通は手を振り、四辻与津子こそが草、と述べた。

「なるほど──」

 茶々は一気に茶を飲み干す。

「では豊臣の者としては、草を刈らずに、草を抜く程度にとどめおくよう、頼むべきかの?」

 完子は与津子が秀次の娘であると告げた。

 殺すのは簡単だ。

 しかし、豊臣の係累と知られると、「かたきを」と言い出す者が出て来るかもしれない。

 かかわりがない、としたとしても、そうは思わない者はいる。

 要は、ひっそりと、与津子には隠棲してもらった方が良い。

 へたな火種とならないようにして欲しい──そういう、茶々の願いを知り、お通はより一層深く、頭を下げた。



 京から大坂へは、水路が最適である。

 素早く、身の安全を図って、ということならば。

「こちらへ」

 茶々は大野修理治長に手を取られ、舟に乗った。

 舟は淀川を滑る。

 自身の「淀殿」という二つ名の由来となった淀城に別れを告げ、尼姿の茶々は、一路、大坂へ向かい、その途次、船上で治長に問うた。

「修理」

「はっ」

「こっち、

 茶々は船上の、水主かこや侍女たちから離れた、小屋風になっている空間へ治長を誘う。

 そして、謹直の表情──というか、冷然とした無表情を崩さずにいる治長の手を取った。

「修理」

「何でしょう」

「…………」

 何がいいのか、とは治長は言わない。

 ただ、黙って、茶々を掻き抱いた。



 吐息が漏れる。

「何も言わずとも良い」

 どちらが言った言葉だろうか。

 は滞りなくおこなわれ、最後にやはり大きな吐息を漏らして終わった。

 外からは、密なる相談ごとでもしているのだろう──と思われている程度の、それは逢瀬だった。

 すべてが終わって、船上へと出ていく治長の背に、それは響いた。

「……秀頼に、大事ないかえ?」

「大事、ござらん」

 言葉だけ聞けば、あるじから子について問われ、それに答える、という会話だったろう。

 だが治長は冷や汗をかいた。

 あれだけのことをして、そして何事もなかったかのように外に出て──という瞬間の、問い。

 これに素直に答えないというのが、どれほどの至難の業か。

 久々の逢瀬だったが、こういう船上ではという、趣向によるものではなく、むしろこの問いへのお膳立てではないかと疑いたくなる。

「それは重畳」

 知っているのか、いないのか。

 豊臣秀頼は今──かつての「殺生関白」豊臣秀次が取り憑いたような──乱行に興じている。いや、のめり込んでいる。

 とにかく人を斬りたいと言っては、治長があてがった罪人を斬り、挙句は大坂の町中にまで出て、辻斬りまでしようという始末だ。

「あの子は豊臣の子。豊臣の子らしく、生きていて欲しいもの」

「……いかにもさようでござりまする」

 もし──秀頼の乱行を暴露すればどうなるか。

 ふと、治長はそれを想像する。

 きっと、徳川は秀頼の死を要求する。

 豊臣の子にふさわしくない、とでも言い出して。

 そうすると茶々はどうなるであろう。

 自害でもするか。

 あるいは……。

「修理さま、着きましてござりまする」

 水主かこがうやうやしく告げると、それをしおに、治長は茶々から離れた。自然に。

 そしてつぶやく。

「……今はまだ駄目だ、今は。もっと……もっと、茶々の心を見極めねば」

 茶々が何を望んでいるか。

 それを見極めた時、この大野治長はそれの為に動こうと思う。



 大坂。

 この、豊臣秀吉が作り上げた殷賑の地は、これから訪れる滅びの運命を知ってか知らずか、今、極度の繁栄を迎えていた。

 それはまるで、江戸という時代の到来を前に、否、すでに到来している中で咲く、あだ花のように。

 ここに到着した茶々や治長は、即座に城――大坂城に入った。

「秀頼、秀頼はおりますか」

「いえ、義母上ははうえ

 迎えに出た千姫は首を振った。

 秀頼の言い方をすれば「剣の鍛錬」のために、秀頼は出ているという。

「はて。鍛錬……」

「急ぎ、権右衛門に探させましょう」

 治長は大声で、一の家臣、米倉権右衛門を呼ばわった。

 茶々がいないという状況が、乱行に拍車をかけたか。

 とにかく、急ぎ秀頼を押さえなくては。

「……やっぱりのう」

 そのつぶやきは、茶々から漏れた。

 何が、「やっぱり」なのか。

 一向に現れない権右衛門を待つ中、治長はふと考えた。

 もしかして、茶々は秀頼の行状を知っているのではないか。

 それを「やっぱり」というのは、なぜなのか。

 それは……。



「修理? 修理!」

 気がつくと、千姫が呼びかけていた。

 見ると、眼前に権右衛門が控えている。

 どうやら、自失していたらしい。

 茶々は、城の外へ向かおうとしているのか、廊下を歩いていた。

「あいやしばらく」

 治長は急いで茶々を止めるべく、駆け出した。

 権右衛門もつづく。

 千姫は立って見守っている。

 つまり今――治長の顔を見る者はいない。

「わかった」

 その独り言は、つぶやき以前の小ささの声音。

 それでも、治長にとって、かなりの大きさを持つ発言であるが、余人には知るよしもない。


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