14 小野お通

 小野お通という女がいる。

 生年は不詳で、気がついたらこの頃の京の都にんでいて、その出自は、美濃の地侍の子で、茶々に仕えたとも、高台院に仕えたともいわれ、はたまた、豊臣秀次の家臣の妻となるが離縁し、その後、女院にょいんに仕えた──ともいわれる。

 ともあれ、彼女──お通は美女であり才女であると知られ、和歌、琴、書、画に優れ、ことに和歌においては、に師事したと伝えられている。



「小野お通どの、ですか」

 完子さだこは、とにもかくにも茶々と会いたいという旨の書を大野修理治長おおのしゅりはるながに送った。

 ただし、四辻与津子の件で、困っていると書き添えて。

 すると治長から、すぐに返書が来た。

「お会いになりたい旨、茶々さまも同様」

 治長は完子の書を見てすぐさま茶々に言上した。

 このあたり、幼馴染であり、対外折衝を請け負ってきた治長の、本能のようなものであろう。

 完子の書を読んだ茶々もまた、しばらく会っていない養女むすめに会いたいとの希望を述べた。

「何とかせよ、修理」

 こうなる展開を半ば予想していた治長は、一計を案じた。

 それが。

「小野お通、か……」

 九条忠栄くじょうただひでは唸った。

 人選に気が利いている。

 茶々に仕えたと知られ、そして九条稙通に歌を習った女。

 仮に茶々と完子がお微行しのびでお通の家に行ったとして、それが露見したとしても、

「大野修理も能書家と聞く。そのあたりのやもしれぬ」

 書をくするお通、能書家の治長。

 しかも、どちらも茶々に仕えていた。

「……いずれにせよ、これなら秀頼ぎみに会わずに、自然に養母上ははうえに会えます」

 完子は顔をほころばせたが、忠栄はそれほどでもなかった。

「もしや、逆に秀頼ぎみと完子を会わせまいとしていて――それはこちらの意向でもあるが――そもそも修理がそう考えていたとして……」

 そこまでの想像は、さすがに飛躍しすぎかと忠栄は反省し、改めて微笑を浮かべた。



「……ようこそお越しくださいました」

 小野お通は、年齢が不詳だ。

 いつ見ても、﨟長ろうたけた美女だが、逆にいうと、それ以上のことがわからない。

 完子は九条家当主夫人としての挨拶をすると、お通はくすりと笑って、「さように、堅苦しくなさらず」と足取り軽く、茶室へと招じ入れた。

 茶室には、すでに茶々がいた。

「あら」

 茶々は存外、このような「お微行しのび」という趣向が気に入ったらしく、どこぞの尼御前といったていで、楚々として頭巾ずきんかぶっていた。

「このたびは……九条家の奥方におかれましては、わざわざのお運び……」

 わざとらしくぬかづく茶々に、完子とお通は微笑む。

「もう、養母上ははうえ

「お方さま、お巫山戯ふざけがすぎます……ほほ」

 すると茶々は舌を出して、「すまぬ、すまぬ」と詫びた。

 それが何とも面白くて、とうとう完子とお通は笑い出してしまった。


 茶々の雰囲気作りは図にあたって、完子もお通も、茶を喫しながら和歌について語り出し、やがて最近の小袖の話にとなり、茶々も色や柄に大胆な見解を披露して、話に花が咲いた。

 そうこうしているうちに、一刻ほど過ぎると、ごく自然に茶々は居住まいを正した。

「完子」

「はい」

 ああ、やはりこの養母にはかなわないな、と思いながら完子は茶のお代わりを所望した。

 お通も心得たもので、水を汲みに行ってくると、茶室を辞した。

 今、この茶室には、茶々と完子のふたりきりだ。

「さて──」

 茶々が嫣然と微笑むと、完子は平伏して応じた。

「こたび、わらわに聞きたいことがあると。完子」

「はい」

 完子は先日、忠栄が四辻与津子と遭遇したことを言い、そしてその遭遇は意図的なものではなく偶然であり、豊臣家に対しても、徳川家に対しても、含むところはないと強調した。

「……別に、わらわは特段、不審には思わぬ。同じ京で暮らす、女官と公卿が、町中でうたとしても、何ら不思議はない」

「では」

 ここからが本題だ。

 完子ではなく、ごうにとっては。

養母上ははうえ

「……聞こう」

 真剣さが言外に伝わったらしい。

 茶々が居住まいを正した。

 完子はひとつ咳払いをして、語った。

「御台所──江戸の母上からですが、こたびの四辻与津子の一件、豊臣家は関与してないかとのことですが」

「論外じゃ」

 茶々の回答は、簡にして要を得ていた。

 完子としても、そう来るだろうなと思っていた。

 思っていたが、ここから先は忠栄にも聞いていいか確認していないことを、言う。

養母上ははうえ

「何じゃ」

くだんの四辻与津子ですが、豊臣秀次どのの子……と言ったら、どうします?」

 茶々は目を見開いたが、だがそれだけだった。

「……そういうことも、あるかもしれない」

 それまでのにこやかさが嘘のような、乾いた言いようだが、今や豊臣家の総領は、事実上、茶々だ。

 なれば……豊臣一族の醜聞など、聞きたくもないであろう。

「……ただ、公には豊臣の子ではないのであろう、その女性にょしょうは? であればやはり論外じゃ。それに、たとえ……」

 そこで一拍置く茶々。

 二度の落城を経験したものの、『姫』として育てられた彼女にしては、かなりの衝撃だったのかもしれない。

「たとえ……秀頼の兄弟姉妹であったとしても、そのような、帝をたぶらかすような真似をすれば、豊臣の子として認めぬ」

 一息にそこまで言ったところで、お通が戻ってきた。

 まるで見聞きしていたような折りに現れたが、実際、見聞きしていたのかもしれない。

「……お茶を」

 それ以上の話は、おやめなされ。

 そう、お通が言っているような、お茶出しだった。

 さすがに賢い女だ。

 もしかしたら、江戸、あるいはそれに近しい者の意を汲んでいるのやもしれない。

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