05 豊臣秀頼の乱行


 完子さだこの嫁入り、つまり乳母めのとの死から十年が経過した。

 この時代、豊臣家は秀吉という強烈な個性を失い凋落の一途をたどり、逆に徳川家は家康という化け物が長寿を保ち、頭をもたげていた。

 そして豊臣家を継いだ秀頼が、亡き秀吉の追善供養のため、方広寺という寺の再建に乗り出していた。

 その寺の鐘の、鍾銘が豊臣家の命運を決めることになろうとは、この時、世上の誰も気づいていなかった。

 ……そんな時代である。


 京。

 九条邸。

 夜。

「秀頼ぎみが、うつけになっている?」

 完子が九条家に嫁入りして十年を閲するこの年、忠栄ただひでは奇妙な相談を受けた。

 ほかならぬ完子からだ。

 この時点で、二人の間に二男二女が生まれており、夫婦仲は円満だと思っている、お互いに。

 だからこその相談であったのかもしれない。

 話の概要はこうだ。

 秀頼は最近、刀に夢中で、「千人でも万人でも斬ってみたいものだ」とうそぶいた。

 実際に大坂市中をそぞろ歩いて「辻斬りがしたい」と言い出し、そこへ通りかかった座頭を見るや、「あれを斬ってみたい」と言い出して、随行した大野治長を困らせたらしい。

 結局、斬ってもいいのは何だということになり、罪人の処刑場へおもむき、そこで何人か斬ったという。

「何だ、それは」

 まるで、と忠栄はつづけようとすると、完子に手ぶりで押しとどめられた。

「……これより先は、千姫さまより内密に、ということで聞いております」

 秀頼の正室である千姫。

 まだ、子は生していないが、そのために、秀頼と床を共にして、だからこそ聞いてしまったことがあるという。

「例の猪熊事件。この事件の下手人である猪熊教利いのくまのりとしに妹がいて」

 猪熊事件について、かいつまんで説明すると、猪熊教利という公卿――天下無双と讃えられた美男子だが――これが女癖が悪く、公卿を何人か誘って、宮中の女官を、やはり何人か招いて、不義密通、乱交といった不行状を為した。

 猪熊教利はその乱行が帝(後陽成天皇)に露見し、逃亡したものの日向ひゅうがで捕縛され、死罪となり、乱行につきあった公卿や女官らも罪を賜った事件である。

「妹?」

「はい、猪熊教利に妹がいて、与津子と言うそうですが」

 この与津子が新上東門院に仕えていたが、最近、今上天皇である後水尾天皇と昵懇になり、子を孕んだとささやかれているらしい。

「それは由々しきことではないか」

 後水尾天皇は未婚だ。しかし慶長十九年(一六一四年)四月、家康の圧力により徳川家の和子まさこに、入内の宣旨を発している。

 そんな状況で、隠し子ができるというのは、いかにもまずい。

 だが、完子は首を振った。

「いえ、うわさです。まことかどうかわかりませぬ。それより」

 与津子懐妊のうわさを聞いた秀頼が、「その、与津子とやらが子を孕んだとして、まこと帝の子か? 疑わしいではないか」と言い放った。

「それも、ねやで」

 よりによって、千姫が他ならぬ秀頼との子を作ろうとして衣服を脱いで裸体になった時に、そんなことを言い放つ。

 あまりのことに千姫が沈黙していると、秀頼はそれを肯定と受け取ったのか、さらに凄まじいことを言い出した。

「そうだ、与津子とやらの腹をさばいて確かめてくれよう……そも、子が腹の中にいるかどうか、怪しいしな」



「それは、まるで」

 九条忠栄は眉間にしわを寄せた。

 それではまるで、秀頼は「あの関白」のようではないか、と。

 完子も首肯した。

 「あの関白」は完子にとって他人ではない。

 むしろ、伯父として近しい関係にある。

 あの乳母も、その伯父から特にと付けられたものだ。 

 だから、完子にとって「あの関白」、つまり伯父とは、それと認識して会ったことはないものの、近しいと感じられる人だった。

「豊臣、秀次……」

 豊臣秀吉の姉の子であり、完子の父の兄である、豊臣秀次。

 叔父である秀吉に引っ張られるようにして、農民の子から武将へ、武将から関白へと一挙に出世した男。

 当時まだ子がいなかった秀吉の跡取りとして、将来を嘱望された男。

 それが秀次である。

 しかし秀吉に子ができて焦ったのか、狂ったか。

 一胴七度なる刀を手に入れ、辻斬りを行い、座頭を斬り、妊婦の腹を割いて赤子を見るといった所業が伝えられ、結果、

「殺生関白」

 という異名まで得た。

 ついにはそれらの悪行を知った秀吉により切腹させられたという。またこの時、秀吉はさらに秀次の妻妾三十四人に、子どもたち五人に死罪を命じた。

「一族、皆殺し」

 とまで言われた、かなり重い処分である。

 それゆえ、豊臣家において秀次を語ることは禁忌タブーとされ、それは今日までつづく。

 それが。

「……よりによって、秀頼ぎみがそのような所業まねを」

 忠栄は頭痛を感じた。

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