第一部 秀頼の乱行

04 十年後、慶長十九年

 乳母めのとの死は、自害とされた。

 そして豊臣完子とよとみさだこは、幼き日から支えられた、母ともいうべき人物の死があったにもかかわらず、その菩提を弔う暇もなく、予定通り九条家に嫁いだ。

 何しろ、「九条家嫁娶見物」なる見物をするほど、その嫁入りは派手に、華やかに行われることになっていたためである。

 このあたりは茶々の差配によるもので、そして彼女は抜かりなく、「秀頼から」ということで、九条家に新たな邸を建て、それを進呈している。

 ここまでされては、たとえ乳母の死があったとして、それは止められないものであったろう。

「……許してくりゃれ、乳母どの」

 完子はその乳母の最期に立ち会った猫を抱いて、輿に乗った。

 この婚儀は、単に完子のためというだけではない。

 豊臣家と九条家という関白家同士のつながりを深め、秀頼を関白の座へと近づける狙いがあった。つまり、秀頼が九条家と義兄弟となり(完子は茶々の養女なので、秀頼の義理の姉にあたる)、「九条家と一緒である」とみなされ、それによって、九条家に関白就任の話があった場合、秀頼もその「話」に乗れるよう、画策したのだ。

 加えて。

「わが九条家としても、豊臣と……徳川と縁つづきとなるのも、悪くないでおじゃる」

 完子の結婚相手は九条忠栄くじょうただひでであるが、その九条家を取り仕切る立場である、九条稙通くじょうたねみち──忠栄の養祖父──は、そうのたまった。

 完子は豊臣秀勝の子であり、徳川秀忠正室である江の子である。

 つまりは、豊臣徳川両家へのつながりができたといえる。

 永正、弘治と動乱の時代を生き抜いた稙通ならではの処世術、あるいは野性的な生存本能の為せる言葉だったのかもしれない。

 とにもかくにも、完子は予定通り九条家に輿入れし、そこで九条忠栄と初めて出会った。

「ようこそ九条家へ……といっても、豊臣家そちらが建ててくれた御殿だが」

 よろしく頼む、と手を差し出して来た。

 その時、完子は「ああ、この人なら大丈夫だ」と思った、という。

「飾らず、驕らず。そういう人だと感じたから、たとい仲が悪くなったとしても、それでも礼儀は覚えてくれているだろう」

 そういう感慨を抱いたという。

 そして忠家の世上での評判はなかなかのもので、その中で先ず聞けることは。

「美男子」

「秀才」

 である。

 実際、忠栄は秀麗な美貌の持ち主で、完子はほうとため息を吐いたほどである。

 そして忠栄の秀才ぶりに関しては、先にちらりと話題にのぼった九条稙通であるが、この人が源氏三ヶ秘訣(源氏物語)の伝授は忠栄にこそ、と定めたことがその証左であろう。

 ちなみに稙通と忠栄とは七十九も歳が離れており、通常なら忠栄の父(稙通の養子)が伝授され、そこから忠栄に、という経路をたどるところだが、そこを敢えて稙通は「返し伝授」により伝授することにした。

 「返し伝授」とは、伝授する対象が年齢未達により伝授できない時、代わりに相応の年齢と才能を持っている者に伝授し、しかるのちにその年齢未達だったものが伝授に適齢となった時に、「返し」で伝授する、というやり方である。

 つまりはそういうやり方を採ってでも、伝授したいだけの才能が忠栄にあった、ということである。

「雅で、かつ才のあるお方。一方でわたしはどうであろうか」

 そういう引け目を感じていたが、忠栄は生涯を通じて完子を正室として遇し、それは豊臣家が滅んだあとも、変わることはなかった。

「よろしく頼むと言ったろう」

 忠栄は実際に完子を慈しみそして愛し、二人の間に四男三女もの子が生まれることになるが、それはまた別の話である。


 ……ここから話すのは、その仲睦まじい夫婦の、妻の完子が夫の忠栄にある相談をし、そしてそれこそが豊臣家滅亡の引き金となっていく、という話である。

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