11 四辻与津子(よつつじよつこ)
その女は――後世、およつ御寮人の名で知られている。
他には、帝をたぶらかした悪女であり、 色事師・
ちなみにその教利は、複数の貴族と女官らによる乱交事件を引き起こしたことにより処刑され(猪熊事件)、妹の彼女もそうなるのではないか、と囁かれている。
そんな彼女だが、
「やれ嬉しや――
と、歌うように天真爛漫に微笑む女が見えた。
先ほどまでの蠱惑的な印象が覆るようにも思える。
しかも「香炉峰の雪」という言葉から、彼女の教養がうかがえた(「枕草子」に、中宮定子が白居易の漢詩の一句「香炉峰の雪は簾を
「単刀直入に申し上げます」
与津子はおもむろにおのれの腹を撫でた。
そのゆっくりとした所作に、また色香があふれていた。
「
その腹部が、ゆっくりとへこみ、そして手が離れると、へこみが戻る。そのうねりに、誰もが息を呑んだ。
「
ではこれにて、と与津子は一礼して、さっさと消えていった。
*
忠栄は帰宅後、即、
先ほどの邂逅について、何よりも誰よりも完子に話す必要があると思ったからだ。
完子は高台院との話が聞けるかと思いきや、突然の四辻与津子の話に、面食らったようだ。
「何故、いきなり」
「かの
帝は、徳川和子の入内を宣旨したというのに、与津子との情交に
それを聞いた秀頼が、与津子の腹を斬って、
「……それを
「……なぜゆえに、忠栄さまが輿で帰る途中に、単身あらわれるというやり方を?」
完子は首を傾げる。
戦国の覇王・織田信長の妹、市。
その美貌は傾国傾城を以て知られたが、それを完子は引き継いでいる。
その完子が首を傾げるさまは、とてもうつくしい。
けして与津子に引けを取るものではない。
そう忠栄は思っているが、それを口にするのは憚られた。
「……へたにどこぞで逢う、としたら、私とかの女人がなさぬ仲と疑われよう。それを警戒したのだ」
「……へ?」
常ににこやかに笑みをたやさぬ優雅な完子が、そのような声を出すとは。
忠栄はほくそ笑んだが、ここは一気に行かせてもらった方が良い。
「京の市中で、突然、それも
不得要領な様子だった完子が、そこまで聞いて、「あっ」と声を上げた。
同時に、いたく
それは、忠栄にはたまらないものをあったが、ぐっと堪えた。
「……さらに、そういう『要件のみ』伝えることによって、私が何を探っているかは言及しないで済ませた。つまり」
「……つまり、かの女人──およつご寮人は、
さすがに、聡い。
忠栄は素直に、そう思った。
「そう……知っているのはつまり、恐れ多くも帝からであろう」
「そうですね……」
隠密で動いていたが、どうしたってこの京においては、京雀の目につく。
さらに、蜘蛛の巣のような公家社会がある。
誰が、何処で、何をした……というのは、あっという間に広まる。囁かれる。伝えられる。
「……で、それを知った帝が、釘を刺しに……と」
このようなかたちを取ったのは、文字通り与津子の身を
大坂と京は近い。
その大坂の主が、京の主の寵姫の腹を割くだの何だの言われては、たまったものではない。
「……まあ、そういう乱行をやめさせるために私たちは動いているのだから、陰ながらの助け、と思うておいて、間違いあるまい」
「ですね」
そこで忠栄と完子は脱力した。
ここまでの自分たちの労力、今しがたの緊張、そういうものがどっと来たのだ。
「……いろいろあったが、得るものはあった。今日はもう寝よう」
ここまで来れば、出るものは出尽くした。
あとは、そろった材料を元に、考えるのみ。
──だが、その思いは、翌日裏切られることになる。
*
「……何? 高台院さまの
翌朝、寝所から出た忠栄は、家令から差し出された書状に目を通す。
内容は簡潔だ。
やはり乳母は秀頼の母では無かった。ただし、気になることがある、と。
「何々……死んだとされる、乳母の産んだ子は生きている? それは……それは……」
四辻与津子。
その五文字に、惹きつけられる忠栄。
そしてそのつづきを食い入るように読んだ。
「乳母は秀次のお手つきとなり子を産んだ。けれども、秀次の不興を
亡くなったということにした。
手離した先の、四辻家の意向だという。
「まあ確かに、下手に関白の子――豊臣の子など、あからさまに養女にしたくないであろう」
だが、問題はそこではない。
与津子は豊臣の子。
そして、与津子は帝の寵愛を受けている。
その帝は、徳川
「……これは難しいことになった」
ここにも豊臣と徳川の対立の構図が。
与津子自身は、それを知っているのか、いないのか。
知っていて、忠栄と逢ったのか。
だとすると、高台院の調べが呼び水になったのか。
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