2 ダイヤモンド姫の婚約者

 ジオラルドが手配されているなんて知らなかった。

 けれど、よく考えたら分かることだったのだ。

 王子が突然行方不明になったのだから、その国が、国交のある国に、強く協力を求めるのは当たり前だ。

 ラボトロームは、以前からトードリアとのつながりが強かった。

 ラボトロームに出たなら、用心しなければならなかったのに。

 絶望の森を抜けて、浮かれていたのだと、ベッドの中でダイヤモンドは思った。



 長く歩いて、ようやく森を抜けた。

 広々とした視界を得る。

 空は果てなく広く、雲が幾重にも壮大に広がっている。

 知らずに詰めていた息が、ようやく吐けるような気分だ。


 丘の上からとうもろこしの農地と民家を見つけて、二人は握っていた手にお互い力をこめた。

「ジオ!」

「姫! 僕ら、やりましたね!」

「うん!」

「ね、ね、食べ物と水を、分けてもらえないかな、そういうのってどうなのかな」

「行ってみましょう。家にどなたかいらっしゃるだろうか」 


 ジオラルドも、ダイヤモンドもどきどきしていた。浮かれてもいた。そして不安でもあった。二人は王宮の外の暮らしを知らない。


 ダイヤモンドは、唇を引き締める。


 あたし、なにも知らない。

 挨拶はどうしたらいい?

 どうしたら失礼じゃない?

 顔は隠した方がいい?

 ジェムナスティに連絡しようか? 迎えに来て貰う?

 イヤだけど、ラボトロームの王宮に助けを請おうか?


「姫」


 ジオラルドは、とうもろこし畑の中に敷かれた道の上で足を止め、ダイヤモンドの手を離さずに微笑んだ。


「まずは、やってみましょう」

 とうもろこしは、二人の姿を隠すほど高く生い茂っている。

 風に、葉が鳴る中で、ダイヤモンドは頷いた。

「そうね」

「パンと、バターが頂けたらいいですね。姫が食べたがっていた」

「いいわね! でも今は水がいちばんかな!」

「そうですね。僕もだ」

 二人は手を繋いだまま、また歩き出した。


 丘の上から見えた家には、腰の曲がった、小さな女性がいて、二人を見て家に入れてくれた。


「旅の人かい。孫たちは畑に出てて日が沈む頃に戻ってくるから、それまで孫たちのベッドで少し休むといい。食べるものは今ないから、夕食まで我慢しておくれ。パンは食べちまって、今生地を寝かせてるんだ。夕食前には焼くよ。水も、孫たちが帰りに汲んでくるから今はない。ワインならあるから、どうぞお飲み」


 女性は年齢とともに縮んだ身体で、目が悪くてねと言い、手探りでワインのビンを見つけて陶器のカップを二人に出した。

 二人はありがとうございますと言って、緊張しながらワインを飲んだ。

 薄くて酸っぱいワインだったが、二人は喉が渇いていたのでひと瓶を開けてしまった。

 ジオラルドが女性に言う。

「ありがとうございます、沢山飲んでしまいました」

 ダイヤモンドも言った。

「美味しゅうございました。分けていただいてありがとうこざいます」 


「二人ともいい声だね。ベッド入るときは靴は脱いでおくれよ。そっちの部屋だよ」


 そう言われて、二人はベッドのある部屋に入る。

 ベッドは四つあって、孫が四人いるのだとわかった。

 ジオラルドは、ダイヤモンドが作った不格好な靴を脱ぐ。足はまめが出来て破れ、血が出ていたが、疲れ切った身体にワインはよく効いていて、すっかり眠くなってしまった。

 手当てしなくちゃとダイヤモンドは思ったが、ダイヤモンドも眠かった。

 ジオラルドは、毛布をどけてベッドに横になる。

「ジオ、ずれて」

「うん」

 ダイヤモンドも、靴だけをなんとか脱いで、ジオラルドの横に滑り込む。

 腕を伸ばすとダイヤモンドはその腕を枕にして、糸が切れたように眠ってしまった。

 ジオラルドはその瞼が綺麗だなと思った。

 鳩の鳴き声と羽音が聞こえたが、眠気に抗えなかった。





「森と人里の間の家には、見張りの役目をお願いしているんだ。絶望の森からはなにが出てくるかわからないからね。猛獣かも。魔物かも」


 蜂蜜色の髪の少年が、ダイヤモンドのベッドの横で、椅子に座って語る。

 ダイヤモンドが眠ったはずのベッドではない。

 手触りのいい木綿のシーツ。雲のように軽い上掛け。部屋には花の香りがする。


 ジオラルドがいない。


「そして僕の美しい婚約者かも!」

 曇りなく笑って彼は言う。

 アラン・ケイザー・ラボトローム。

 ラボトロームの第六王子で、ダイヤモンドの婚約者だ。


「君が魔獣のもとに行ったと聞いて、心から心配していたんだ。いろいろ訊きたいことはあるけど、まずは休んで。身体が汚れていたから、女官たちに綺麗にさせた。欲しいものは? 水を飲むかい?」


 ダイヤモンドは痛む頭を押さえて、ベッドから身体を起こした。レースで縁取られた布が吊り下げられた、天蓋付きのベッド。薄いピンクに白い花柄の壁紙。

 アラン王子が、水差しからコップに水を注ぎ、ダイヤモンドに手渡した。


 ダイヤモンドはその水を一息に飲んでしまい、からのコップを床に叩きつけた。

 毛足の長い絨毯に受け止められ、コップは割れもせず転がる。


「……何怒ってるの?」


 アラン王子は心底驚いて言った。


 ダイヤモンドとアラン王子は婚約者だ。

 もちろん親同士が決めた。

 三年前に顔合わせをした。

 ダイヤモンドの美貌に怯まない人間はほぼ初めてで、ダイヤモンド側は驚き喜んだが、アラン王子側は、


「王子は鷹揚であられるので」


 など、ごそごそ言った。

 ダイヤモンドは丁寧に受け答えをし、完璧な礼儀を以て時間を過ごした。


 あの子バカなのかなあ、と、ダイヤモンドは内心思った。

 あたしのこと怖がらなかった。ずっと楽しそうにしてた。

 二人きりになったときも、話をしてくれた。

 みんなはそんな風にしないのに。

 でも、あたしと結婚なんかしないほうがいいの。きっともっといいひとがいるはずなの。


 それから何度か会って、アラン王子は相変わらず明るく話をしてくれたが、その明るさにダイヤモンドは面倒くささを感じていた。


 いい人だし、自分に怯えないだけでもありがたいと思うべきなんだけど、なんか違うんだよな。


 アラン王子に会ったあとで、ダイヤモンドは、必ず疲れ切ってそう思った。


 なんだろうな。

 なんか違うんだよな。

 やっぱり、長い尻尾と、ふさふさの毛並みがないとだめなんだ。

 バロックヒートがそうだったんだもん。

 あたしの初恋。

 だから違うんだ。


 ダイヤモンドはそう思っていた。


「……私と一緒にいた人は、どうなりましたか?」

 頭痛がする。

 両手で目を覆って、ダイヤモンドはなんとか言う。


 アラン王子は、薬包をダイヤモンドに差し出す。

「頭痛薬だよ。飲んで」

 ダイヤモンドは薬包を受け取らずに言う。

「答えてください」


 アラン王子は薬包を指に挟んでかさかさと振りながら言う。


「彼、トードリアのジオラルド王子だよねぇ? 行方不明になって四年が経ってる。君は、絶望の森に住んでる獣のところに行ったって聞いたけど、そこ、どういう関係なの?」


「私の質問に答えて下さい、アラン王子」

 掠れ声でダイヤモンドは言い。アラン王子は答える。


「旅行者用の牢に入って貰ってるよ。しっかりしたベッドもあるし、食事も出る。彼とはどういう関係? 僕はやきもちを妬いているんだよダイヤモンド姫」


 むう、と唇を尖らせるアラン王子に、ダイヤモンドは溜息を吐いた。


 めんどくさい。


「……ねぇ、ダルい」


 アラン王子は何を言われたのかわからず、一瞬固まった。

「んっ?」

「いや、マジで。マジのマジであんたダルいから。いや、感謝はしてるのよ。ママ以外にあんたぐらいだもん、あたしとちゃんと会話できるひと。けどさぁー、前から思ってたけど、ノリが、ダルいんだよなあ」

「んん?」 

「婚約者っていうか、まあー、その前になんか……あーだめ頭痛い、なんだ、くっそ、あのおばあちゃん、親切にして貰って嬉しかったのにさぁ……つら……」

「えっ、あの、なにそれ?」

「ねぇー、婚約とか、破棄でしょフツーに。ないない。あ、今更で悪いけど、あたしね、人間より動物がいいんだァ……あたしと結婚したかったら、尻尾の一つも生やしてきてよ。まー破棄破棄。あんたもあたしじゃないいい人探しなよ。絶対いるから。いいひと。しらないけど。ああったま痛ッたァ……なんなのあのおばあちゃん何飲ませたの? お酒だけじゃないでしょ絶対、ねー、もーさあ、ジオ連れてきて」

「えっあっでもでも、彼だって別に尻尾とかないんだし」

「魔法にかかって獣だったの! なんか魔法とけたっぽいけど! あっ自分の声うるさい吐きそう……うっダメ寝る、一人にして。カーテン閉めてって。呼ぶまでほっといて」

 と、ダイヤモンドはまた横になって上掛けに頭まで潜り込んで、身体を丸めてうんうん唸った。

 アラン王子は顔面を蒼白にし、肩を落として茫然自失の態で部屋を出た。

 廊下では様子をうかがって待機していた従者と女官たちが遠巻きに、心配そうにアラン王子を囲む。

「ぼ……僕の……ダイヤモンド姫が……ッ……あんな乱暴な……ッ……! そしてダルいとか……! 僕が……!? ダルい!? 今までそんなこと、誰にだって一度だって言われたことはなかったぞ!?」

 混乱して頭を抱えるアラン王子になんと声を掛けようか、誰もが逡巡している一瞬に、若い従者が言った。


「問題は、婚約者という関係でありながら、今の今までそれを言ってもらえる関係を構築出来ていなかったことではありませんかね。情けないですよ。アラン王子は怒る筋合いありませんからね」


「グーナー!」

 他の従者たちがたしなめるが、グーナーと呼ばれた従者は平然としている。

 アラン王子は胸を押さえ目を回して、うーんと唸って倒れ、従者たちは慌てて王子の身体を受け止めた。


 




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