3
兵士と共に牢番が牢に入ると、常とは雰囲気が違っていた。
いつもであれば、不機嫌な沈黙が牢に充ちている。今は違う。
秩序と活気のあるやりとりが行われ、熱を帯びた議論が展開されていた。
牢の中は声がよく響く作りだったので、言葉も聞き取りやすかった。
今は、老人のはっきりしない言葉を、同じ房の若者が代弁していた。
「それで、この人は孫の家に行くところだったんだって! だけど手形を無くしちゃって困ってて」
真ん中に置かれた檻の中にいる、赤銅色の髪の若者がベッドに座って言う。椅子は据えられていなかった。
「それは困りましたね。国境ではどういう対応でした?」
「一応名前と住所を聞いて、そっちに問い合わせるって言われたんだけど、じいちゃん、食堂で飯食べたときに、うっかり金足りなかったんだって。それでここにいるって」
「問い合わせの返事には、少し時間がかかりそうですね。ご家族がお金を持ってきてくれたら、解放されるのかな」
「これはじいちゃんじゃなくて俺の感想だけど、どうかなぁ。金返したからって、ちょっと罰はくらうんじゃねぇかなあ。ラボトロームの法ってモンがあんだろ。ひどいもんじゃねぇといいんだけど」
赤銅色の髪の若者、ジオラルドは穏やかに言う。
「この牢も、そんなにひどいほうではないのですよね?」
周りの男たちが言う。
「そうだよ、もっとひどいとこいくらでもあるぞ」
「飯もうめぇしなあ」
「便所もちゃんとしてる」
「今立て込んでるだけで、人も出るやつはちゃんと出てくしな」
「寒くもねぇし暑くもねぇし」
丸眼鏡の男、ライーが鉄格子を拳で軽く叩く。
「ハイハイ、発言はひとりずつね。今はリトン君とマズさんの時間だよ」
男たちはしまったとか言いつつ、静まる。誰かが牢番と兵士を見つけて言う。
「あっお疲れ様でーす」
周りの男たちもお疲れ様ですとか言った。
牢番と兵士は面食らう。挨拶をされたことなどなかった。
「えっあっどうも……」
と牢番がもやもやとそう言って、兵士に、威厳を持たんかと窘められる。
「なんだ、なにをしている?」
兵士の問いにライーが言う。
「聞き取りですよ。真偽の程はともかく、出身と行き先、ここにいる経緯」
「ペンも紙もないのにか?」
兵士が鼻で笑ったが、ライーは普通の調子で言った。
「僕全部覚えてますから」
「デタラメを言うな!」
兵士が言い、男たちがざわざわと言う。
「いやほんと、ライーさんすげぇんだよ」
「ほんとなんだぜ、全部覚えてるんだ」
ライーが言う。
「学者ですから。学者ですから。ハハハ」
他の男たちも言う。
「俺の知ってる学者そんなじゃなかったぞ」
「だよなあ。すげぇよなあ」
ジオラルドが穏やかに、ゆっくりとした調子で言う。
「みんな、静かに」
男たちが静まる。
ジオラルドは牢番に言う。
「御用事はなんですか」
滑らかな石の上を流れる清流の様な声音と、光る榛色の瞳に、牢番は息を呑んで、頬を赤くした。
兵士が背筋を正して言う。
「ジオラルド殿下におかれましては、アラン王子殿下がお呼びでございます」
「アラン王子殿下」
ジオラルドの声が、ぴり、と緊張を孕んだ。
「お目にかかれるのは嬉しいが、この身なりでは御前に出るのは少々はばかられる。服と靴をお借りしたいのだが、よろしいだろうか」
「はい、ご用意致します」
「足の怪我を、どなたか手当てして下さいましたね。感謝を伝えて下さい」
「はい、伝えます」
牢番は進み出てジオラルドの檻に近づく。兵士たちも、はっとしてそのあとを追った。
ジオラルドは包帯を巻いた足に、ベッドの下に用意されていた、簡素で、柔らかい布靴を履いてベッドから立ち上がる。
牢番は鍵を開けて、檻の扉を開く。
ジオラルドは堂々と檻から出た。
「ところで、従者として、ライーさんを伴いたいのですが、かまいませんね」
突然言われて、牢番も兵士もうろたえたが、ジオラルドは構わず続けた。
「ラボトロームでは、王子は従者を伴わずに部屋を出るものなのですか?」
そういうものなのかと気圧されて、慌てて牢番と兵士は、ライーを外に出した。
牢の男たちは、じゃあねー、とか行ってらっしゃい、と言いながら手を振った。
ライーとジオラルドも手を振って牢を出た。
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