ラボトローム 1
目が覚めてここがどこだか分からない。
ベッドには寝かされているが、四方が鉄格子の、檻の様な囲いに入れられている。
頭が痛い。
姫。
姫はどこだ。
なんとか上体を起こすと、周りからざわめきが起こった。
到底上品とは言えない、揶揄の声も掛けられた。
ジオラルドのいる檻を囲むように、鉄格子の扉の部屋があり、その中には男達が入れられていた。
牢屋か、と判断してジオラルドは息を吐く。
だが、床は綺麗に清掃されていたし、牢屋の中の人間達も不潔すぎると言うようなことはなかった。
「おっ、気がついたかい?」
奇妙に通る声が掛けられた。その声で、周りの声がわずかに静まる。こそこそと、会話する声も笑い声もなくならなかったが、その声には不思議な威圧があった。
ジオラルドの檻に近い牢屋の男だ。
薄茶色の髪を後ろでひとつに結び、丸眼鏡をかけた青年。
「君、トードリアの王子だろう。ジオラルド・クイスナ・トードリア四世」
牢屋がざわつく。
どこかで見た顔だと思ったんだよ、そうだ、手配書がさ、あちこちに貼ってあって。だけどなんでラボトロームにいるんだ? あの檻だけいいベッドがあるからおかしいと思ってたんだよ。でも丸見えだろ、俺はやだなあ。俺はベッドがあるんならなんでもいいや、うらやましい。食事も俺たちとは違うんだろうなあ。
「ここはね」
また、あの男が言った。
囚人達は声を潜める。
「ラボトロームの牢屋だよ。その檻は一応貴人対応なんだろうね。ここの牢は環境がいい。ちょっと詰め込み過ぎだけどね。旅の人間用なんだ。調べがつくまでの居場所さ」
「教えてくれてありがとう。助かりました。改めて、僕はジオラルド・クイスナ・トードリア四世。同じ牢にいるのも、きっと何かの縁でしょう。よろしくお願い致します」
ジオラルドは堂々と挨拶をし、胸に手を当てて軽く頭を下げた。
赤銅色の長い髪が動いて、薄暗いあかりに鈍く輝き、囚人達は見とれた。
「皆さんの名前を教えて下さい。顔と名前を覚えておきたい。きっと良い思い出になりましょう」
囚人達は、そういうことを言われたことがなかったので、なんか照れた。
丸眼鏡の男は言う。
「僕はライー。旅の学者だ。市で買った標本が、盗まれたものだったんだって。僕が盗んだんじゃないって言っても、まあ一度調べるからってことでさ。無罪なのに、もう三日ここにいるんだよ。はい次君」
「えっ俺ッ!?」
ライーと同じ房にいた男が、突然振られて驚いた。
「そうそう、順番に簡潔に」
ライーがそう言い、囚人達は行儀良く順繰りに自己紹介をしていった。そうしないといけないような気がしたのだ。
ジオラルドは、自己紹介をする全員の顔をちゃんと見て、ずっと立ったまま微笑んで聞いていた。
「皆さんの顔がちゃんと見られて、この檻はとてもいいですね」
「いや、そうじゃなくてさァ、それは、俺たちに見張らせるためなんだと思うぜ。看守は外にしかいねぇし、騒ぎが起きたらすぐ来るけど」
「そうだよ、それに、さらし者にされてる気分になったりしねぇのか、王子様」
囚人たちの言葉に、ジオラルドは少し照れくさいように微笑む。
「僕は皆さんとお話が出来るので嬉しいですよ」
囚人たちは、またなんか照れた。
ライーが言う。
「そしたらさ、暇つぶしに、王子様が今までどうしてたか、お話きかせてよ」
「そうだ、トードリアの王子は神隠しに遭ったって聞いたぜ」
「俺は崖から落ちて死んだって聞いた。死体が見つからないって」
「俺は誘拐されたって聞いた」
「賞金が掛けられてるからみんな探してる」
「有名人だよあんた」
「でも手配書より成長してるな確かに」
「よかったよかった元気そう」
「ほんとほんと」
ライーがまた、囚人達の言葉の間を、針の様な機を見つけて言った。
「トードリア城の敷地から、ある日消えたというのが、確実な話だよ。一般に出ている情報はそれだけだ。赤銅色の髪、榛色の目。肖像画に誇張はないね、綺麗な王子様だ。逞しく育ったねぇ」
「ありがとう。ライーさん」
「ライーでいいよ・多分みんなもそうだろう。ジオラルド殿下」
ライーの言葉にジオラルドはパッと笑った
「だったら、みんなも僕をジオラルドと呼んでください。ここでは同じ囚人じゃありませんか。短い時間ではあるでしょうけど、僕はこんなにいろんな年代や、国や、職業の方と触れる機会がなかったんです。とてもうれしい」
ジオラルドはにこにこした。
牢の中が、少し明るくなったかと思うにこにこだった。
「僕の話が終わったら、皆さんの話をしてください。僕は若くて世間知らずです。他の人の人生や考え方を知らない。是非、聞かせて下さい」
「お、おう」
「大した話はねぇけど……」
「まずは、ジオラルド、アンタの話だ。どうして城からなくなった?」
ジオラルドはすこし考える。
タロットワークに魔法を掛けられた。おそらく、リブロの命を受けていた。リブロは王なりたがっていたから。
「僕にもよくわからないんです。護衛のみんなと遠駆けに出ていたんです。覚えているのはそこまでで、気がついたら、知らない邸の中で、それで、身体がなんだか変で、そこから少し何ていうか……あんまりちゃんと理論立ってものを考えられていないんですけど、何か大きな獣になっていました」
牢の人々がざわついた。何人かが興奮して質問したが、周りに静かにしろとたしなめられる。
「大きさは、熊ぐらいですかね。強くて速くて大きくて、お腹が空いたら動物を殺して食べていました。あとで知ったんですけど、ジェムナスティの絶望の森というところです。巨大で複雑な森で、断崖が断絶されています。外に出ることも叶わず、ただ、獣として生きていました。時々は人間の意識を取り戻して、寂しかったり、混乱したりしていました。なぜこんなことになっているのか分からず、不安と怒りがありました。それでも、獣の語感と生活は脅威にみちていて、楽しいことがないわけではありませんでしたが、不安と孤独が大きくありました」
タロットワーク。
友達だと思っていたんだ。
卑怯者め、裏切り者め、そんな顔で泣いたりするな。
「ある日、不思議な香りが断崖の向こうからしたので、行ってみたらなにか、すごく……かわいいひとがいて……足を滑らせて落ちたので、僕はその人を助けたんです」
「女!?」
誰かが笑いながら言った。
「やったな、ヤり放題じゃねぇか!」
「あっでも獣なんだろ」
「別に構うことァねぇさ、なあ」
男たちが笑いながら言ったが、ジオラルドは意味が分からなかった。少し不快だったが、話を止めるのも抵抗があったので、言った。
「それが、ダイヤモンド姫でした」
その名前に、牢内が水を打ったように静かになった。それからざわついた。
「ジェムナスティの?」
「呪いの姫?」
「見ると目が潰れるっていうぜ」
「俺は呪いが伝染するって聞いた。あんまり綺麗すぎて、化物みたいなんだって」
「俺も」
「ジェムナスティは宝石の産地だろ、だから、宝石の化身が生まれたんだって聞いたぜ。人間じゃないってさ」
「なんかおっかねぇよな」
「姫は――」
ジオラルドは、調子を変えずに語った。
「たしかにとても美しくて、けれどその美しさは、姫の笑顔を越えるものではありません。あなたがただってきっと、知っているはず。永遠ではないとしても、一瞬だとしても、ただひたすらに燃えて向けられる、情熱のひかり。目の奥から、全身から感じられるそれが、あのひとの一番に美しいところだ」
囚人たちが、怒らせたかなと気まずく思ったとき、ジオラルドは微笑んだ。
「一生懸命な人ですよ。僕たちは二人で、森の中で暮らしたんです。姫は初めて芋を掘って、爪の中に入った泥を取るのに苦労して、茹でて、食べて、おいしいと笑っていました」
「へえー、かわいいじゃん。けどよ、なんでダイヤモンド姫は、絶望の森に行ったんだよ? 俺はジェムナスティにこの間までいたけど、あそこは断崖がぐるっと囲んでて、ほんとにまだ手つかずなんだろ」
囚人の誰かの問いに、ジオラルドは答える。
「僕も獣の時の記憶だからボンヤリしてるんだけど、ジェムナスティ王が絶望の森で困っているときに、僕に助けられたんだそうです。それで、礼として、娘をひとり差し出さなくてはならないから、誰か行ってくれないかって言われたんだそうだけど」
「変な話だねェそれ」
言ったのはライーだった。
「絶望の森は、断崖で囲まれてるんでしょ? 僕は実際見てきたけど、危険だと思って探索を途中で止めたぐらい深い森だよ。ダイヤモンド姫が断崖にたどり着いたのだって、にわかには信じられないぐらいだ。そんな森に王が? 足を踏み入れる? ましてや、断崖を越えて、君のいる場所に行く? 獣の姿の君は断崖を飛び越えられただろうけど、実際君、それをした覚えはある?」
「それは」
ない。
いつも、断崖の前で足を止めた。
傷ついて、力がなかった。心が。
怒ってはいたがそれ以上に傷ついていた。
獣の姿なら断崖を越えてトードリアまで駆けていくこともできただろう。
けれど、そんな力は出なかった。
「ありませんね」
「賢い選択だよ。獣が人里にもし現れたら、狩られて殺されていたろうさ」
囚人が言う。
「え、王様が嘘をついたってことか?」
「何でそんなことするんだ?」
「絶望の森に、この、ジオラルドがいたって、なんでわかったんだ?」
「それに娘を差し出すとかもおかしいぜ。王家にそんなしきたりがあんのか? ジオラルドに言われたんならともかくさ」
ジオラルドが言う。
「僕、頭の中がボンヤリしてたからそんなこと思いつきませんし、今だってそんな事言いませんよ」
「あーわかる、なんかわかる」
「ジオラルドそんな感じするよな」
「そうでしょう? ホントにそうなんです。王様はなんだってそんな嘘をついて、そしてどうして僕のことを知ってたんでしょう?」
牢の中がひとしきりざわつく。
とんでもない思いつきを語り出す囚人が現れ始めたところで、ライーが言った。
「それで、ダイヤモンド姫とはどうなったの?」
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