12



 ダイヤモンドが着てきたマントとドレスで、なんとかジオラルドの服を作った。

 靴は、干した草の茎を編んだ。動物の毛皮は乾いてしまうと硬くなって、二人にはどうしていいか分からなかったから使えなかった。

 矢を入れる筒は樹皮で作り、鏃は石を割って削った。何度も失敗したが、なんとかなった。

 ダイヤモンドが持ってきた背負い鞄に、食料と水筒を入れる。

「荷物になるし、もう用事は済んだからいいの」

 と、ダイヤモンドはドレスを裂いて、お互いの布地の足りない部分を作った。

 ジオラルドはなにも言えない。

「僕は、覚えてますから。姫があのドレスを着てたこと」

 そう言うのが精一杯だった。

 


 二人は、夜明け前、東の空が薄く白んで来たころに旅立った。

 ジオラルドが先に歩く。

 鳥が鳴き交わしているが、ひどく静謐な空気だった。自分たちが踏む草の音。風に揺れる草と木の音。鼻の奥がつんとするほど、新鮮な風。

 邸は森に飲まれてすぐ見えなくなった。

 主人を失ってなお、あの邸はあそこにありつづけるのだろうか。

 ダイヤモンドは思ったが、おそらくここへはもう来ない。確かめる術はない。


 少し歩いて、空が明るくなった頃にダイヤモンドは、足下の違和感に気がついた。

 草が踏まれていて歩きやすい。


「ジオ、なんかここ、道になってない?」

「うん、断崖の幅が一番狭いところを見つけたんです。この先。獣の姿で、何回も行ったから」

 

 道が出来るほど。


 そして諦めて、森にいたの?

 思いついたら切なくなって、ごまかすようにダイヤモンドは言った。

「あっでも、お父様には会ったんでしょ? お父様が断崖を越えるとは思えないんだけど」

 ジオラルドは歩みを止めずに答える。

「姫が、断崖を越えて着た場所も、道がついていたと思うんだ」 

「あ、そう、そうよ。調査の誰かがつけた道かなって。入り口はね、調査書があって、獣道が」

「それをつけたのも僕なんだ。我慢出来なくて、そちらへは、飛び移ってしまった。人の気配がすぐ近くでしたから……」


 絶望の森の、浅い地域は良い狩り場だ。

 木々も大きいものばかりではなく、茂みも浅い。周囲に人家はないが、王の狩り場として、人の手も入っている。

 獲物を追って、森の奥に入り込んでしまった王を、大型の獣が襲った。

 腰を抜かした王が座り込んだのが幸いして、初撃の爪を免れた。

 獣が体勢を立て直す一瞬に、横からまた別の獣が現れ、横から体当たりし、王を助けた。

 しばらく吠えながら絡んでいた二頭だったが、やがて最初の一頭が鼻息を漏らして森の奥に消えた。

 残った獣が、王に言った。

「かえれ」

 と。

 久しぶりに会う人間で、久しぶりに話した言葉だった。

 助けてくれ、ここから連れ出してくれと、言えれば良かったのかも知れないが、ジオラルドには、帰れと告げるのが精一杯だった。

 記憶も思考もひどく混濁して、自分が自分でないようになるときの方が多い。

 たまさか自我が戻ってくるが、腹が減れば他の獣を襲って食っている。

 人間を襲って食わない自信などないことに、ジオラルドはジェムナスティ王に出会ってはっきりと自覚した。

 王を襲ったのは若い豹で、森の安全を守ろうとしたのだ。王は狩りに夢中で、断崖に近づきすぎた。ついでに虎は食事もしようとした。人間はのろくて獲りやすい。

 ジオラルドは興奮していた豹を、戦って森に戻らせた。豹は顔見知りだった。

 

 姫をひとりやる?


 冗談ではなかった。

 食い殺さない自信などなかったのだ。


 獣のジオラルドにとって、断崖などなんの障害でもなかった。断崖など一跳びで渡れる肉体だった。醜いけれど、強い身体。

 本当は、絶望の森など檻にもならない。


 いつでも森を飛び出して、トードリアまで駆けて、タロットワークに談判しても良かったのだ。


 どうしてこんなひどいことをしたのだと。

 友人ではなかったのかと。

 いつから嘘をついて、なんのつもりで一緒にいたのかと。


 けれどそれも怖かった。

 森を出て、人を食い殺しながら、醜い獣と怖れられて――

 それも怖かったが、タロットワークに会って、問うて、なんと答えられるのかも怖かった。

 獣の強い身体の中に、全てのものに怯える心があった。


 タロットワーク。

 どうして、お前は泣きながら魔法をかけたんだ、僕に。

 

 泣くほどいやなら、魔法なんかけなければよかったのに。

 魔法をかけるなら、泣いたりしするな。


 ジオラルドが、なにか、苦しいことを考えているのが何となくわかって、ダイヤモンドは、前を行くジオラルドに言った。

「ねぇ、ほんとさ、あんたの、その、魔法使いに会おうね!!」

 そして、どうしてそんなことをしたのかちゃんと訊いて、納得いかなかったらとっちめて。


 ジオラルドは、ダイヤモンドが言葉にしなかったことに思いも至らず、ああ、姫は僕をちゃんと獣に戻したいんだなと思った。

 ジオラルドは別にどちらの姿でも、ダイヤモンドが側にいてくれるならそれでよかったから、

「そうですね」

 と答えた。

 獣の自分も結局、今以てダイヤモンドを食べていないのだから、また獣の姿に戻っても大丈夫だろう。



 日が昇ると、動物たちが騒がしくなる。

 断崖に着く。

 地層が、朝日を反射して光る。影は長く薄い。

 確かに、ここは断崖の間がずいぶん狭かった。ダイヤモンドが来たところ。

 獣の身なら、軽く飛び越えられそうだ。

 実際、ジオラルドはそうしたのだし。

「……ここからなら、あんた、こんな森出られたでしょ。あたしが来たときだって、助けてくれたんだもん」

「……どうしてここから出なかったのかって、理由はいろいろあるんですけど」

「うん」

 ジオラルドは、弓を構え、矢を番えて視線を的に向ける。対岸の大木の幹。

「外に出て、人を襲う怖れもあったし……。でもそれだけじゃなくて、僕はここで君を待ってたんじゃないかなあ」

 一射。

 重い音を立てて矢が飛ぶ。大きく、強く作った矢と、それを飛ばすための弓だ。

 過たず、矢は対岸の木の幹に強く突き刺さる。矢につけていたロープを、ジオラルドは引っ張る。

「いいですね。しっかり刺さってる。姫、少し待っていて――」

 ダイヤモンドの顔を見ると、赤くなっていた。ジオラルドは心配する。

「姫、どうしました?」

 ダイヤモンドはきゅっと身を縮めて目を大きく見開く。

「顔が赤いんでしょう? 分かってる!! 朝日がまぶしいもの!!」

「そうですか? ここは影になってて」

「ロープ、矢だけじゃ心許なくない? だいじょうぶ? あたしを運ぶ籠とか言ってたけどあんたはどうするの? 籠も結局ないし、編むつもりだったけど、蔓ならここにあるし、今からでもなんならやるわよ、ああしてこうしてこうしてこうでしょ、それてこうしてこうしてこうすればいいんだから、やろうやろう今つくろう、それ以前にあんたはどうやって対岸に渡るの大丈夫なの落ちたりしないでよ」

 まくし立てられたが、ジオラルドはダイヤモンドが言葉を切ってから微笑んだ。

「落ちるなら、共に落ちてくれますか、ダイヤモンド」

 ダイヤモンドは間髪入れずに答えた。

「あたりまえでしょう」

「はい」

 ジオラルドは、手元のロープを引っ張って、木の幹に巻きつけてしっかり張る。

 ダイヤモンドは、そのロープを軽く弾いてみる。楽器の弦の様に、ビン、と震えた。

「で、どうするの? 一回あんたが向こうに渡って、それから戻ってきて、籠を作って?」

「と、思ってましたけど、君と離れるのが嫌だ」 

 ジオラルドはダイヤモンドをすくい上げるように抱き上げる。

「捕まって」

 耳元で言われた言葉に、ダイヤモンドは従った。

 ジオラルドの動きを邪魔しないように、けれどしっかりと抱きつく。

 赤銅色の長い髪に顔を埋める。ジオラルドの匂いがする。この匂いの中では、不安などない。

 ジオラルドはダイヤモンドを抱いたまま、ロープの上を走る。ロープは二人分の重さを受けてたわむが、たわみきる前にジオラルドは次の場所へ足を移している。ダイヤモンドは安心しきっている。

 

 ロープ伝いに二人分の重みを受けて鏃が揺れる。その動きが、ジオラルドに伝わる。

 ジオラルドは奥歯をガリ、と食いしばって駆け抜ける。

 ダイヤモンドを抱いたまま、ジオラルドが対岸の藪に転がりこむと同時に、高い音を立てて鏃が木から抜けた。

 しばらくして、木から抜けた矢とロープが、二人が今までいた対岸の崖肌に当たる音がした。

 ダイヤモンドは、息を切らしているジオラルドから離れて、崖を見に行き、矢とロープを視認した。

「これで、再び、絶望の森への道は失われたというわけね」

 ジオラルドも藪の中から這い出して、ダイヤモンドの横に立ってロープを見る。

「よかった。無事に渡れて」

 ダイヤモンドは、ジオラルドの手を取って笑った。

「いきなりなんだもん、びっくりしちゃった」

「怖くはなかったですか?」

「うん、全然。じゃ、行こうか」

「そう、森を抜けて人里に出たら、姫はパンを食べるんです」

 ジオラルドはそう言って、ダイヤモンドの手を握り返した。

「そうよ!! 一個だけだったら半分こしようねぇ」

「ありがとう。うれしい。行きましょう」

「うん。森を抜けたら、こっちの方ならきっとラボトロームよ。ラボトロームの、このへんのパンって、どんなのかしら。王宮で出されたものとは、きっと違うわね」

「楽しみですね」

「楽しみね」

 二人は笑った。

 

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