11
天気がよかったので、暖炉のある部屋の大窓を開け放ち、太陽の光を室内に入れながら、作業をする。旅支度をするのだ。断崖を越えるために、森を抜けてまずは人里にたどり着くために、この
考えてみれば不思議な邸だ。
獣のためだけに使うつもりであれば、椅子もテーブルも厨房も、服も櫛も鏡だって不要なはずなのに。
ジオラルドの服を縫う、作業の合間にダイヤモンドがそう言ったら、ジオラルドも矢を作る手を止めずに言った。
「……一応、人間としての扱いをしてくれようとしたんじゃないのかな。タロットワークは」
「そうね。なにかあって、あんた一人は暮らせるように出来てはいたもんね。食器はひとつずつ。椅子が二脚なのは気休めかな。服は気候に合ってない。ベッドは人間用で、掛け布団も分厚いやつ。邸自体も、このあたりではあまり見ないわ。石造りで」
「トードリアの様式なんですよね。でも、魔法で、下着とか靴下とか、遠方に作って置けるものなのでしょぅか。誰かを派遣してここを整えるのは不可能でしょうし」
「そうよね、なにしろここは絶望の森。どういうつもりで、ここに、ここまで作り込んで、なんのつもりでいたのかわかんないけど」
「そうですねぇ……」
ジオラルドは思い出す。
タロットワークと遠駆けに出た。出会ってから月日が経ち、お互い信頼を結んでいると思っていた。友人が出来たと浮かれていた。
細く険しい、美しい山の道を、馬で駆ける。美しい緑。その影。移動する速度。たちまちに変わっていく景色。
心地よすぎて、夢中になった。
従者も警護も、いつの間にか、はぐれてしまった。
今となればそれもタロットワークが何かしたのだろうと思う。
「しまった。戻ってやらないと彼らが叱られてしまう」
と、ジオラルドは開けた岩場で気がついた。
タロットワークが、馬を止めて、下りた。
二人の頭上に、北国の澄んだ青空が心地よく広がっていた。
「どうしたタロットワーク? 怪我でもしたのか?」
ジオラルドは、心配になって自分も馬から下りてタロットワークに近づく。
タロットワークは、長く息を吐いた。溜息や呼吸のためではない息。
いつも携えている杖を、杖入れから外して、片手で大きく二回回して、自分の立っている岩に、カン、と、鋭い音とともに、立てる。
風が吹いて、黒髪を揺らす。
黒い目が、伏せられている。
開けた岩場だ。
今までの森とは違う。
魔法使いのフード付きのマントと乗馬用のブーツ。身長ほどもある長い杖。
黒い髪が、青い空に映える。
ジオラルドは、自分が立ったまま動けないことに気がついた。
「長き時、古き詩歌、これは古き詩歌よりこぼれ落ちし、これは古き物語より拾い上げし、これは古き魔法より吊り上げし、長き時より訪う力を今ここに施行するものだ。災難を災難に変え、絶望を絶望へと変容させる。我が名、サリタ・タロットワークが求むるものは変化である。虫が如く蛇が如く、人を他のものに変化をさせる」
呪文だ。
自分は呪文を掛けられている。
危険だとジオラルドは思ったが、身体が動かない。
けれど何かをしなければならないと思えない。それも魔法のうちなのだろう。
タロットワークの黒い目が大きく開かれて、岩が反射する光が入っている。
鋭く、冷たく、何かが充ちて揺らいでいる。
泣きそうなのか、タロットワーク。
そんな顔を見たことがない。
なあ、僕は君のそんな目を見たことがないよ。
「
タロットワークの瞳から涙が零れた。
声も呼吸も揺れなかったが、溢れてしまったというように涙が零れた。
「我は呼ぶ場所をすでに示している。答えればよい。変化の力は古き魔法。これは古き魔法。我が名はサリタ・タロットワーク。
タロットワークの顔がとうとう歪んだ。
涙が溢れて頬を伝い、顎から落ちる。
ぐしゃぐしゃになった声で、彼は言った。
「ないのだ」
そしてジオラルドは、気がついたらここにいた。
知らない空気。
知らない知覚。
最初は混乱した。
激怒もした。悲しくもあった。
そうか、自分は陥れられたのだ。タロットワークはリブロ・ゼロネームから、命じられていたのだ。王宮から自分を排除しろと。
あいつは王になりたがっているのだ。
どんな無茶なことだろうが、必ず、リブロなら、やる。
それにはまず、王子を、ジオラルドを排するのは当たり前のことだ。
けれどそれなら殺してしまえばいいのに。
ダイヤモンドにそう語ったら、ダイヤモンドは針仕事で傷んだ指を撫でながら言った。
「タロットワークくんさ、裏切ったんじゃないかな」
「はい」
「あんたをじゃなくて、いとこのリブロをよ」
「え」
「だって、下準備してこんな魔法使うより、杖で殴り殺した方が早いじゃん」
「不穏」
「あれ、ものによっては芯に鉄とか入ってるんだよ。いろいろ作り方あるの。鈍器鈍器」
「いつもそんな鈍器持って歩いてたんですか、魔法使い」
「剣とか、みんな持ってるでしょうよ。あんたも持ってたんでしょ?」
「はい」
「変わんないよ。だからさ、雇い主を裏切ったんじゃないの?」
ジオラルドは顔をしかめる。
「ずいぶん手の込んだことをしましたね」
ダイヤモンドは、ジオラルドに笑った。
「むかしむかし、あるところに」
「……おとぎ話ですか?」
「うん。ママが教えてくれたんだ。こどもの頃に」
「続けて下さい」
「むかしむかし、あるところに、お姫様が生まれました。けれども、意地悪なお妃は、お姫様を殺して森に捨ててこいと、猟師に言いました。けれど猟師は、お姫様をかわいそうに思い、殺せずに森に置き去りにしたのです」
「タロットワークがその猟師だと?」
「わかんないけど、ない話じゃないよね、って話をしてる。おとぎ話には教訓があるわ」
ジオラルドは少し考え込む。
ダイヤモンドは、また針を取って作業を再開した。
ジオラルドは言う。
「……それから?」
二人は、おのおのの仕事をしながら、話をした。
ダイヤモンドの昔話は、
「そして、お姫様と王子様は、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」
で、終わったが、弓と矢を作り終わったジオラルドは少しだけ、と言って、絨毯の上で眠り込んでしまって、その言葉を聞いてはいなかった。
ダイヤモンドは、ジオラルドに毛布をかけてやって、聞いていないのを知っていても、別のおとぎ話を新しく語った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます