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乗馬用のズボンとブーツ、帽子と上着、マントを着込み、髪をきつくまとめて、背負い鞄に路銀、ドレスと装飾品一式とパンプス、必要だと思われるものをつっこんで背負い、腰につけた鞄には、部屋に出されていた果物と菓子を入れられるだけ入れ、水筒にワインを詰めて、足早に厩に行って自分で鞍を置き、手綱をつけて愛馬にまたがる。
ダイヤモンドの姿を見つけて、壮年の馬丁が言う。
「姫様!?」
「ローロー、はじめて話をしますね。怯えずに聞いて下さい。あなたにお願いがあるの。もし、私のために心を痛めてくれる人たちがいたら伝えて。今までありがとう、そして幸運を祈っていますと!!!」
「お待ちください姫様、姫様はまだ十六才で、まだ、守られておられなくてはならないお年で」
ローローの声は、蹄の音に紛れ、遠く聞こえなくなっていった。
場内での馬駆けは本来法度である。
だが、ダイヤモンドは厩から庭、東翼棟を回って、大庭を抜け正門を抜ける。
誰も止めなかった。
絶望の森は、王宮からそう遠くない。馬で駆けて半日で行ける。森の浅い部分はよい猟場だ。問題はその深部なのだ。
街道を馬で思い切り駆ける。石畳の道を土埃を蹴立てて走る。
民が、なんだ、何かあったのかと驚いて見送る。
日が沈む前に森に着きたい。
「あなたと、別れることだけがさみしいわ。オルフェリィ」
ダイヤモンドはそう言って馬の首を撫でた。
猟場の奥、比較的入りやすそうな場所からダイヤモンドは森の奥に入る。
馬、オルフェリィは、ダイヤモンドが見えなくなるまでいたが、ダイヤモンドが森の中から鋭い声で帰りなさいと命じたので、仕方なく、離れていった。
王宮の印の入った馬具をつけている。
誰か、見つければ王宮に戻して、報奨金を貰うだろう。
日はもう傾き、森の中は暗い。
所々、日没前のオレンジの光が、斜めに差している。
黒と、オレンジの森。切り絵の様だ。
鳥の声、獣の声がする。風に枝が揺れる音がして、森は静かではない。虫が耳元を飛ぶのを手で払う。
ダイヤモンドは足下を探して、丁度いい枝を見つける。杖にして森の奥へ向かう。 足下の草や枝、幼い木を払うためにも杖はいる。
見上げても、何重にも枝に塞がれて空は見えない。
杖の先で、足下を確かめながら進む。所々罠のように、くぼみの上に落ち葉が積もっていたり、草が穴の上に茂っていたりする。
足下に注意して歩いて行くと、突然、前方が開けた。
裂け目である。
対岸のある断崖である。
この断崖が、森の奥へ、人を阻んでいる。
のぞき込んで、底が見えない断崖。
幅は広くないのだが、だからといって容易に跳べるとも思えない。
断崖は何もかもを吸い込みそうな闇をたたえている。
風がごうごうと断崖の上で巻いている。
ダイヤモンドは強く杖を握り、左右を見るが、木が張り出していたり、足下が大きくえぐれていたりで、移動できそうもない。
この向こうが、本当の絶望の森だ。
戻ってきた人間の話を誰も知らない。
それが『絶望』の所以だ。
日が傾いている。黒い森の中にオレンジ色の夕焼けが斜めに入っているが、その光の線も刻々と細く少なく薄くなっていく。
もうこうなっては自分に差し出された選択は、目の前の断崖に、身を躍らせることだけだという気になる。
とても簡単なことだしそれしかない。
断崖の底を、闇を見つめていれば、目が眩んで勝手に落ちていける。
他に選べないと、何かが囁く。
ダイヤモンドは、ふ、と短く息を吐くと、腰の水筒からワインを飲んで、お菓子を食べられるだけ食べた。
大好きな、桃色の飴砂糖のかかったクッキー。
ワインにはアルコールはほぼ含まれていない。この国ではみんな、昔から水のように飲む。酔ったりしない。甘くてすこしだけ、苦くて酸っぱい。
喉の渇きがなくなって、お腹もいっぱい。甘いものを食べて嬉しい。
ダイヤモンドは、フードと帽子を取り、髪をほどく。
風に吹かれて、きつく巻いた髪の毛が大きく広がった。
雲が切れて、光がさし、ダイヤモンドの髪が輝く。
不思議な事にひととき風が止んだ。
「この国の王を助けた獣よ! 私は、王の娘。あなたへの約束の御礼でございます! どうぞ私をお受け取り下さい!」
ダイヤモンドの声は断崖に響きわたった。
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