その天秤に何を乗せる

不弁

第1話

 なにがプロ根性だ。

 PCの画面には中年男性が記者に質問されている動画が写っていた。

 画面越しの男は有名な映画監督であり、名立たる賞をいくつも受賞した経歴があった。

 インタビュー内で彼は『どうしてもこだわりたいシーンがあって、何度もリテイクしました。非常に苦労しましたが、プロ根性を燃やして頑張りました』などと笑顔で宣っている。

「馬鹿だよなぁ・・・」

 俺もフリーで絵描きをやってる人間だ。情熱を注ぎたくなる気持ちも分からないでもない。

 でも、それで売れなきゃ問題外だ。

 売れなきゃ資金が無くなり、絵を描く道具が買えなくなり、住む場所が無くなり、食うものもなくなって、最後には死んでしまう。

 だからどうやったって、この社会で生きていくなら、創作活動を続けていくなら、利益を優先して求めて行かなきゃいけない。

 今回はたまたま売れたから良かったものの、一歩間違えれば大惨事だ。

 食うに困るとはいかないまでも、彼のクリエイター生活に暗い影を落としたことは考えるに容易いだろう。

 金がない、評価してもらえない、反応してもらえない。

 そうやってSNS上で愚痴ってる奴なんてごまんといるのがその証拠だ。

 だから、そんな所を誇らしげに語るこの男は、どうやったって馬鹿としか言いようがないわけだ。


 それにこう言う事を言ってしまうと、多くの若きクリエイターたちは勘違いしてしまう。

 プロ根性があったから、作品に情熱を注ぎ込んだから良い物が作れたに違いない、と。

 拘りを持って創作活動に励めば、この人の様になれる、と。

 そんなのは全くの出鱈目だ。

 作品の良し悪しに情熱は全く関係ない。

 5分で取られた適当な映像が万単位の再生数を叩きだし、1か月かけて制作された映像には誰も見向きもしない。

 そんなのこの世の中じゃざらにある。

 そういった勘違いを多くのクリエイターに伝染させているのは、はっきり言って害悪だ。

 馬鹿は他人に迷惑ばかりかける。困ったものだ。


 俺はスマホを使い、この男が拘ったというシーンを検索してみた。

 どうもエンディングを迎える前の30秒程度のシーンのようだ。

 俺はネタバレ注意の文字を無視して記事をどんどんとスクロールしていった。

 一通り記事を斜め読みした感想は、確かによく出来たシーンだと思った。

 社会情勢によって引き裂かれた二人が、朝日に祝福されて再び同じ道を歩み始める。

 この朝日はCGではなく、本物だそうだ。

 記事の執筆者の考察では、人の世は二人を引き裂いたが自然は彼女らを祝福した~とか、CGの朝日では偽物だから~、みたいな事が書かれている。

 インタビュー動画を見る前に劇場で見てしまったならば、俺も感動していたかもしれない。


 だがどうだ?

 このシーンを取るためにリテイクを何度も出したそうだが、その度に振り回される人達の事を考えたことはあるのか?

 お前が気持ちよくなるために、どれだけの人の時間を奪い、どれだけの人の感情を浪費した?

 恐らく、こいつはそんな事考えちゃいない。

 考えているのなら、あんな満足そうな笑顔を浮かべる事なんて出来ないはずだ。

「本当に気持ち悪い」

 ふと、昔の職場の事が脳裏を過る。

 薄給。長時間拘束。嫌味な上司は能無しの同期をかわいがり、自分は尻ぬぐい三昧。

 腸がぐつぐつと煮えたぎり、それが頭に上っていく感覚を覚える。

『このシーンを取れたのは、仲間たちのおかげです。本当に感謝しています』

 PC画面に映る男は、撮影に携わった人達へ、神妙な面持ちで感謝の言葉を述べていた。

 俺はその顔が昔の上司や同僚と重なって見えた。

「感謝するぐらいなら、二度と映像なんか撮るな糞野郎」

 俺はPC画面のウィンドウを閉じ、スマホの電源を消して、ベッドへ投げ捨てた。


 俺は少し時間を取り、心を落ち着かせる事にした。

 嫌な物を見た。AIが勧める動画を何気なくクリックしたが、存外あてにならないな。

 深く息を吸い、一度息を止め、ゆっくりと息を吐き、また止める。

 これを何度か繰り返し『そういう事もある』と自分に言い聞かせる。

 いつまでも同じことを考えるのは効率が悪い。

 だんだんと脈拍は落ち着きを取り戻し、煮えたぎった腸が元の位置に戻っていくのを感じた。

 よし、これでなんとか仕事に取り掛かれそうだ。


 俺はPCの前に腰をかけ、ペンタブレットを取り出した。

 今日はキャラクター1体のデザイン案を提出する締め切り日だ。

 既にデザイン案は固まっており、決められた線をペンでなぞるだけだった。

 しかも、半分以上はペン入れが終わっているので、後は消化試合の様な物だ。

 俺はペンを手に取り、絵を描き始めた。

 ひたすらに効率よく、ユーザーに気に入られるように、売れるように、線をなぞる。

 トントン、スーッ、トントン、スッスッ。

 ペンは画面上を滑らかに往復し、子気味良い打音を間に挟みながら、一つの像を作り上げていった。

 時折、若干の修正を加える必要はあったが、物の数時間で絵は完成した。

「こんなもんかな」

 そこにはどこかで見た事のあるような無いようなキャラクターの立ち絵が描かれていた。

 実のところ、このキャラクターのデザイン案は、画像検索で出てくる既存の別キャラクター達の属性を複数混ぜ合わせて作っただけで、4~5時間程度で考えたものだ。

 断っておくが、著作権には抵触していない。その点だけは情熱をもって拘ったとも。

 文句を言いたい人もいると思うが、これは仕方のない事なんだ。

 0から1を作るなんてのは効率が悪いし、何より需要の分からない物に労力を割くなんて愚の骨頂だろう。

 それに俺は、この仕事一つに何十時間もかけていられるほどの時間的余裕を持ち合わせていない。

 フリーの絵描きとして生きていくためには何個も仕事を掛け持ちしなきゃならない。

 だから、仕方のない事なんだ。

 この業界に情熱の入り込む余地はなく、ひたすらな効率化だけが必要なんだ。


「メールに添付して・・・送信っと」

 俺は1つ長い溜息を付き、ペンタブレットをしまった。

 これで同年代の奴らの平均月収程度の額がもらえるんだから楽なもんだ。

 一仕事終えた俺は、ベットに投げたスマホを拾い直した。

「さ~て、動画でも漁るか~・・・。おっ!るーちゃん配信やってんじゃん!」

 俺はベッドに寝転がりながら、推しの動画配信者の生放送を見ることにした。

 絵を描き、金を貰い、こうやって自分の好きに使える時間もある。

 他人に迷惑もかけていないし、世間から一定の評価も貰っている。

 それもこれも情熱を手放し、効率を追い求めた結果だ。

 やはり大切なのは効率であり、情熱なんてものは捨てるべきだ。


 絵描きの男はスマホの画面を覗き込み、ニタニタと笑みを浮かべている。

 時折、聞こえる笑い声は心底楽しそうで、彼の人生が充実している事を如実に表していた。

 一方、男が消し忘れたPCの画面には1体のキャラクターが表示されていた。

 その無機質な画面に映し出された見覚えのあるキャラクターは、どこか冷たげに、笑う男の顔を見続けていた。


「それでは最後の質問に移りたいと思うのですが・・・」

 インタビュアーは少し言いづらそうに、映画監督の顔色を窺った。

「どうしましたか?」

「いえ。監督の様にプロ根性を燃やして映画撮影に臨み、素晴らしい映画を撮って、世に送り出す。これ自体はすごい事だと思います」

 インタビュアーは少し自信なさげにしながら続けてこう答えた。

「でも、それだけで素晴らしい作品が出来るわけじゃないとも思うんです」

 映画監督が神妙なお面持ちで、インタビュアーの発言を待っている。

「1つの作品に心血を注ぎ込んで拘って、拘って、拘り抜いた結果、鳴かず飛ばずだった。そういう事は多いと思うんです」

「えぇ。そうですね」

「それでは食うに困ってしまう。だから、作品を量産して、1つでも当たれば良い。そんな考えを持って創作活動をしているクリエイターも一定数いると思います」

「はい」

「そうして効率を求めた先で、売れるものが作れたとします。でも、本当にそれは良い作品なのでしょうか?中にはそれらを駄作だと言う人達もいるわけで・・・」

「・・・」

「監督は創作活動において情熱と効率、どちらを大事するべきだとお考えですか?」

 映画監督は少しの間、黙考した後、こう答えた。

「・・・わかりません」

「ですが、監督はプロ根性を燃やしたとおっしゃいましたよね?その結果、あのシーンを撮れたと。そこだけ切り取ると情熱の方が大事な様に窺えますが・・・」

「確かに私は情熱をもって映像制作に携わりました。そして作品に情熱を注ぎこむことは大事な事と認識しています」

 映画監督は険しい表情を浮かべながら、続けてこう答えた。

「ですが、いつも頭の片隅では『本当にそこまでこだわるべきか?』『コストに見合っているのか?』と自問自答してるんですよ」

「・・・」

 予想に反する回答にインタビュアーは黙り込んでしまい、辺りは静けさに包まれた。

 暫くすると、足元を見つめていた映画監督が口からこぼすように話し始めた。

「・・・もしかすると我々クリエイターは綱渡りをしてるのかもしれません」

「どういうことですか?」

「いつ落っこちるかも分からない綱の上で、情熱やら収入やら諸々を天秤の上に乗せて、それをバランス棒代わりに使って、落ちない様に、落ちない様に、と慎重に、慎重に歩みを進めているのかもしれませんね」

 映画監督は物憂げな表情を浮かべ、自身の足元をじっ見つめ続けていた。

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