1-2観光案内人

家の近所の神社でお参りをして、不思議な喫茶店に行った日からひと月が経った。何度探してもあの喫茶店は見つけられず、夢だったのかと思うけれど、お財布の中には薄黄色の小石があるから、夢ではなかったのかと思う。

あれ以来、自宅の勉強環境をあの喫茶店と同じように整えたり、ココアを用意して勉強してみたりしている。けれど、それほど集中できなかったり、特別に参考書の内容が理解しやすくなったりする事はない。問題集を解いてみても今までと変わりなく、些細なミスを重ねてしまう。


『リフレッシュしたほうが勉強の進みがよくなるよ』


間違いだらけの数学の問題集を眺めていたら、ふいに喫茶店のお兄さんの声が聞こえた気がして、秩父への小旅行を決めた。


JRと西武鉄道を乗り継いで、二時間以上かけてやっと電車の旅が終わった。駅からは少しレトロな商店街を十分くらい歩いて、想像していたよりずっと立派な神社に辿り着いた。専門家の神様はやっぱり立派な神社に祀られる物なのかなと思いながら鳥居をくぐる。全体に大きくて立派で広い神社だ。


手水社で清めをして立派な建物に近づいたら、それが門でまたびっくりした。私が広い境内だと思っていた場所はまだまだ手前の部分だけだったらしい。鮮やかで華やかな神門を通り抜けた先に見えるご本殿は重厚で、見ただけで身が引き締まる思いがした。

トコットコッと石畳を歩いてご本殿へと近づいていく。近づいて見上げると屋根の天辺は見えなくなった。近所の神社の何倍も大きな社殿は大きさの分ご利益も大きいのかな。


大型連休直後の平日昼間にも関わらず境内にはそれなりに人がいる。学問の神様だって聞いていたけれど、境内にいるのはご年配の方が多くて観光地でもあるのだなぁと思った。


拝殿の前まで進んで、お賽銭と一緒にあの黄色い小石を投げ入れる。目を閉じて手を合わせ、自己紹介をしてから、今年こそ希望の学部に合格しますようにとお願いをした。


お願いを言い終わって目を開けると、何故か拝殿が消え去り真っ白い世界になっていて、目の前には男の人が立っていた。ヒラヒラとした袖の古めかしい装束を着た男性が、本当にすぐ目の前に立っていて、慌てて一歩下がる。


「随分遅かったねぇ、もう来ないかと思っていたよ」


男性はニコニコしつつも、私のことを頭からつま先までマジマジと見た。それからせっかく離れた一歩分の距離をまた詰めてきた。ふわりと靡く袖からジャスミンの様な香りがした気がする。


「ええっと?私がお待たせしたように聞こえたのですが、どちら様ですか?」


近すぎる距離は気になるけれど、離れてもまた詰められるだけだろうと諦めて、目の前の男性と視線を合わせた。目尻が下がった切れ長の瞳に、まっすぐ通った鼻筋と小さな小鼻は、今どきの整った顔立ちで、古めかしい衣装とアンバランスに思える。


「ん?コレを投げたのは君でしょう?ツクヨミに紹介されて来たのではないの?」


「喫茶店のお兄さんから、専門家の神様にお参りしなさいって、その石をもらって来ました。あのお兄さん、ツクヨミさんて言うんですか。それであなたは、あのお兄さんのお知り合いなんですか?」


「クックックッ、喫茶店のお兄さんか。いいねそれ。では私は観光ガイドのお兄さんにでもなろう。私はオモイカネ。学問の神と言われている者だよ。君のお願いをどうやって叶えるべきか観光でもしながら考えようではないか」


神様だなんて言われて信じられなかったけれど、目の前の綺麗なお兄さんが楽しそうに笑いながら、定規と筆で八角形と不思議な記号を書いて呪文を唱えると周りの景色が変わっていった。唱えていた呪文は何て言っているのか、私には判らなかったけれど、何となく古語の類の様な気がした。


その呪文を唱え終わると、お兄さんが居なくなって目の前には鮮やかなで重厚な拝殿が現れた。お祈りをする前と同じ景色だ。摩訶不思議な現象に目を瞬かせていると、右肩を叩かれた。振り向けば、TシャツにGパン姿の綺麗なお兄さん、学問の神オモイカネを名乗った人がそこにいた。


「さて、まずは少し私の仕事を手伝ってもらおうか」


そう言いながら、オモイカネさんは私の手を掴んで、拝殿の右側から後ろへと向かって歩き出した。初対面の距離も近かったけれど、急に手を握られてドキリとした。けれど、ドキリとした事に気付かれるのも恥ずかしくて、心の中で百人一首を唱えて意識を逸らしながら、付いて行った。


「近頃の言葉はよく分からなくてさ、ちょっとこの辺の絵馬に書かれている願い事を一緒に読んでくれないかい?」


「学問の神様なのに言葉がよくわからない?」


思わずため口で返してしまった私にオモイカネさんはククッと笑った。笑いながら一枚の絵馬を渡される。県内で有名な進学校への合格祈願が書かれている絵馬だ。


「私は、知恵を絞る事は得意だけど、言葉の扱いはさほど得意ではないのだよ。それに言葉の意味は時代とともに変わるからね。今を生きている人に聞いた方が正確なのさ」


私は言われるままに絵馬に書かれたお願い事を読み、聞かれる質問に答えていった。合格祈願に書かれている学校はどんな学校なのかとか、書いた人以外の合格を願う様な絵馬はいったいどういう願いなのかとか。

オモイカネさんは、絵馬を確認しながらさっきの八角形を何度も書いている。きっとあれが願いを叶える為の作法の様な物なのだろうと思う。時々しかめっ面になって「自分で頑張れ」とか言っているのを聞くと、私もそう言われそうで心配になってくる。


「さて、一仕事したし気晴らしがてら観光に行こうか」


オモイカネさんはまた私の手を掴んで、ズンズンと歩きだした。あの立派な門を通過して、大きな鳥居から出ていく。


レトロな雰囲気の商店街に目もくれずに真っすぐ歩いて、御花畑駅に着いた。時刻表を見てちょうど良い時間だとオモイカネさんは言った。今どきの言葉は分からないなんて言いながら、電車には乗れるなんて変な神様。


二駅分、電車に揺られて着いたのは何も無さそうな無人駅で、電車の中の運賃箱にお金を入れて降りた。神様は人間のお金を持っていないからと言われて、言われるままに二人分の運賃を私が支払った。

降りたホームの見た目で何も無さそうと思ったけれど、駅舎から出れば駅の前には観光案内の地図看板が立っていた。看板には山歩きの見どころが沢山示されている。


「あの、もしかしなくても、観光って山歩きですか?」


ここ三年、勉強ばかりの浪人生活をしていた私は、運動不足で、山歩きなんてできないと思う。恐る恐る尋ねれば、オモイカネさんからはもっと恐ろしい答えが返ってきた。


「ん?山歩きというか洞窟探検だね」


こっちこっち、とまた手を掴まれて軽やかな足取りで引っ張られる。駅から右に向かい、電車の線路をくぐって、木漏れ日の坂道を十五分ほど歩いた。二又に分かれた所は、細くて急な方の坂道に進んで、辿り着いたのはお寺だった。神様がお寺に来るのか。


私の不思議な気分なんてお構いなしに、オモイカネさんは私を引っ張ってずんずんと歩いていく。お寺にお参りに来ている人たちを通り過ぎて敷地の奥に行くと、鍾乳洞の受付があった。

また二人分の料金を払って、ヘルメットを借りて被り、受付の奥へと進むと細い山道が続いている。木陰のない山道で浴びる初夏の日差しは結構暑くて、しっとりと汗ばんでくる。少し歩いた所に入り口を示す看板が立っていて、矢印が下を指していた。


「下るって事は、後で上るってことかぁ」


運動不足の体には堪えるなぁと漏れた呟きにオモイカネさんはまたクツクツと笑う。


細い階段を下りていくと、岩場にぽっかりと穴が開いていて、何となくヒンヤリとした空気を感じる。初夏の陽気と慣れない運動で逆上せそうになっていたから、そのヒンヤリ感は天国の入り口の様に思えた。けれど、中は狭くて暗い岩場で、熱ければ地獄の景色に見えるだろうなぁと思った。


「洞窟探検は初めてかい?」


恐る恐ると進む私にオモイカネさんが問いかける。洞窟の中は狭くて並んで歩けないから、手は離してもらえた。薄暗い洞窟の中にある石仏を見ていると心が癒されるというかスッキリする様な心地がして、立ち止まって手を合わせる。


「はい。初めてです。……洞窟ってもっと恐ろしいイメージでしたけど、存外心地よい空間なのですね」


「心地よい?」


デコボコとした岩の道は歩きにくいし、狭い道は油断すれば背中をこすり、頭をぶつけてしまう。けれどヒンヤリとした空気のおかげか然程に疲労を感じない。運動不足な私には不思議な感覚だった。そして、何故か子供のころの事を思い出した。


「はい。こういう暗くて狭い所は自然と自分の内側に意識が向かうというか、昔は修験道だったというのも納得です」


「そうか。この岩場は太古の昔は海の底だったとも言われている。今と全く違う地形を想像するのも面白いと思わないか?」


「海の底だった?信じられないですね。でも、神様ならここが海だった頃もご存じなのですか?」


「いや、我らが生まれるよりも前の話だ。私がこの地に来た時には既に内陸の土地だったよ」


そんな事を話しているうちに、目の前には昇りの階段が現れて、上からの光を感じた。もう出口が近いらしい。あっという間の洞窟探検は、楽しくて気持ち良い体験だった。


鍾乳洞から出て、また電車に乗って御花畑駅まで戻ってきた。神社のほうに行こうとすると手を掴まれた。オモイカネさんは少し離れた所に見る小高い丘というか山を笑顔で指している。もうヘロヘロで歩きたくないんだけど。


「あの公園、絶景が見られるらしいよ」


笑顔の圧力に負けて、私は羊山公園に向かう事にした。嫌々ながらに歩いたせいなのか、単に私の足が遅かったのか公園まで三十分もかかった。


テニスコートを横目になだらかな坂を登って、離れた広場には桜の新緑が瑞々しい。小さなゲートで入場料を支払うと、その向こう側にはピンクや紫の花畑が広がっていた。色違いの芝桜で広大な地面に描かれているのは不思議な模様で、まるで絵本の世界に紛れ込んだみたい。


「どうだい?絶景だろう?」


「はい。とても綺麗な景色です。さっきの洞窟は静かに内なる自分に問いかけるのに良い場所でしたが、こちらは自分を解放する感じの場所ですね。手足を広げて、自分の中のモヤモヤを全部吐き出してリセットするような、そんな気がする景色です」


「そうか。本当に吐き出してみてはどうだい?君は三年も大学受験に落ちているのだろう。地方の私大すら受からない。どんな気持ち?その現状は悔しいかい?」


「悔いとは思わないけれど、何年勉強しても試験が難しいんです」


「そうか、難しいか。君はなぜその難しい学部を希望しているんだ?受験科目を選べる学科なら、入れる大学は沢山あると思うのだが」


「約束なんです。子供の頃入院してた時に仲良くなった子との約束。生きられなかったその子の代わりに、私が、その子の夢を引き受けたんです」


「なんて言って約束したの?」


「たくさんの病気の子を助けてあげてって言ってました」


「なら、医者に拘る必要ないんじゃないかな?君が入院していた時、その子を助けていたのは、医者だけだったかい?病気で苦しいその子を、苦しくないように手助けしてあげていた人が居たのではないかな?苦しいその子が笑うのはどんな時だった?」


芝桜の花壇の間の道を歩きながら問いかけられて、あの子と過ごした時を思い出す。悪戯をして看護師さんに叱られながら笑っていた思い出ばかりが過るけれど、今思えば入院中の病気の身としては無理をしていた気がする。そんな思い出の中で、叱りながらも私たちの言い訳を聞いて、色んな遊びを考えてくれていた看護師さんが居た事を思い出す。あの子が笑う時にはいつも近くに居てくれた。




「私は智思の神とか学問の神と言われているけれど、身の丈に合わない学校に合格させる様な、できない事をできるようにする奇跡なんてものは扱えない。けれど、できる事を最大限に生かす方法を教える事は得意なのだよ。洞窟を見て石の成分に興味を持つ子なら勉強の仕方が問題かと思ったけれど、君はそうじゃないみたいだ。この景色を見た感想も、医学部受験というか医者には向いてないと思うのだよ。君は君の感性を生かす道を探し選んだほうが良い」


オモイカネさんが立ち止まる。傾き始めた太陽の加減で、芝桜の色合いが温かみを帯びて見える。ここまで頑張ってきたのに、諦めるの?この三年間を無駄にしろと言うのが神様のご利益なの?

反論したいけれど言葉が出ない。オモイカネさんはこれまでみたいな軽い感じではない微笑みで私を見つめている。


「さて、今日は歩き回って疲れただろう?私が使える奇跡で君を送り届けてあげるよ」


オモイカネさんは私の手のひらに、あの黄色い小石を載せてまた不思議な呪文を唱えた。何の言葉を発する間もなく、次の瞬間には、家の近くの月読社の社殿の前に立っていた。


翌日から、私は何故かコメディカルと言われる職業について調べはじめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

cafeツクヨミ 徳﨑文音 @tokuzaki_2309

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ