cafeツクヨミ
徳﨑文音
1-1純喫茶のマスター
平日昼間の住宅街の人通りもまばらな道を、大通りのある東からシルバーの自転車がゆったりと走ってくる。何かを探すようにゆったり走っていた自転車は、五差路に差し掛かる手前の小さな神社で止まった。
自転車に乗っていた女性は、石碑に書かれた神社の名前を確認して小さく頷き自転車から降りて、鳥居の左側に生えている若い桜に目を細めた。この桜にとっては満開なのだろうけれど、枝が細く花数も少ないため、花の間から多く空が覗く様子は少し寂しい印象だ。
自転車から降りた女性は、深々と朱色の鳥居にお辞儀をしてから短い参道を社殿へと歩き出した。小さな社殿の木の扉に小さく開いた穴にお賽銭を入れ一歩下がって深く二礼、パンパンッと小気味良い音を響かせた。
社殿の主たるツクヨミは軽く乾いた心地よい拍手の響きに顔を上げた。お賽銭を投げ込まれた扉の穴から覗き見れば、小柄な女性が真剣な雰囲気で手を合わせている。丁寧な名乗りを聞いて思案しつつ、足元に落ちているお賽銭を見るとお札だった。例祭でもない、特別な日でもないのに入れられたお札に驚いた。よほど切羽詰まった願いなのか。
この小柄な女性はどうやら近所に住んでいるらしい。今まで見かけた事がなかったのは、気に留めていなかった為か。それとも苦しい時の神頼みで初めて来たからなのか。
告げられた願い事は悪いものではない。遅すぎるというべきか、早すぎると言うべきか、この時期の願い事としては珍しいものだ。更に言えば何故自分に願われるのかも分からない。しかしなぁと観察を続けていれば女性は深々とお辞儀をした。日頃の信心は不明ながらも、礼儀正しい姿にツクヨミは好感を覚えた。
直接叶えるのは難しいけれど助言や紹介はできるかと、己の神具を取り出して、社殿の扉をすり抜けた。鳥居の横の桜は咲いているけれど、少し肌寒くも感じる気候に身を震わせつつ、帰ろうとする女性の背中を見た。
決して遊びまわっている様には見えない、少し野暮ったく見える後ろ姿だ。神頼みで怠けようとしている不届き者ではないだろう。鳥居の上のオトロシも、鳥居の横の狗達も穏やかな様子を見せているし、日ごろもお参りに来てくれていたのかもしれない。
これなら、力を貸しても良かろうと左手の鈴をシャリンと鳴らし、右手の筆でサラリと三日月を描いて投げ、女性の背中に向かって術をかけた。久しぶりに人と関わる楽しみを小さな笑みに変えて、女性を己の世界に招いた。
礼儀正しい女性は鳥居の外でもう一度深々と礼をすると、来た道を戻る様に東へと向かって行った。鳥居の外が似て非なる世界になっている事には気付く訳もなく。
ツクヨミはふわりと浮かび上がると、自転車に乗った女性の背中をあっという間に追い越して、現実世界そっくりの景色を作り上げながら飛んでいく。大通りを超えた所の大きな公園の近くにある蕎麦屋に降り立った。
「場所は良いですが、龍神から貰った食器は似合いませんねぇ」
木造建築の蕎麦屋を顎に手を当てながら見上げていたツクヨミは、思案気に呟くと再び鈴を鳴らし、筆を走らせた。途端に和風な外観の蕎麦屋が、昭和レトロな喫茶店に変化した。
満足げに頷いて扉を開き建物に入るとまた術を施していく。そうして細々と術を使いながら、喫茶店らしい内装に整え、ツクヨミらしく使者たるウサギのインテリアを配置していった。
それから自分にも術をかける。現代的な細身の中年男性に変身して、白いシャツに黒のズボンとベストを纏う。ネイビーのネクタイに金色ウサギのタイピンはツクヨミが守る夜の世界をイメージしてみた。
これで、立派な喫茶店の店主だろうと、窓ガラスに映る姿に満足げに頷きカウンターのスツールに腰かけた。もうすぐ彼女がやってくるはず。
カランコロンという軽いドアベルの音と共に冷たい空気が入ってきた。アンティーク調の扉を開けたのは、少し野暮ったい感じの女性だ。カーキ色のダボっとしたパーカーに、柔らかそうな生地のゆったりとした紺色のズボン。肩甲骨の下辺りまで伸びた髪は無造作に背中で束ねられ、化粧っ気のない顔には大きな黒縁眼鏡を載せている。先程神社でお参りをしてくれた女性だ。
入ってきた女性はキョロキョロと戸惑ったように店内を見回している。喫茶店店主になったツクヨミは立ち上がって「お好きな席にどうぞ」と店主らしく声を掛けた。
入口から入ってすぐの所には四人掛けのソファー席が四つ、その奥にカウンター席が並んでいる。カウンター席はキッチンと向かい合う形だ。人気店なら、一人の客は問答無用でカウンターに座らされそうな配置だ。けれど全くお客が居ない店内に遠慮は要らないと思ったのか、女性は窓際の四人掛けの席へと真っすぐに向かった。
銀のお盆におしぼりと水の入ったグラスを用意しながら、女性の姿を確認する。ズボラなのではなくて、見た目に気を遣うよりも大事な事がある故の姿だと、店主は知っている。けれど、もう少し身なりにも気を配る余裕が持てた方が良いだろうなぁとは思う。
女性はテーブルの上に置かれたメニュースタンドのウサギに小さく笑った。どうやら可愛い物は好きらしい。
「ご注文はお決まりですか?」
温かいオシボリを広げながら差し出すと、女性は小さく頭を下げた。コトリと水の入ったグラスを置いて注文を聞けば、さしてメニューも見ずに返事が返ってきた。どうやら随分と術が効いている様だ。店主はにっこり笑ってキッチンに引っ込んで、皿を用意しながら客の様子を窺った。
女性はカバンから分厚い本とペンを取り出して、開いた本にマーカーを引いたり、書き込みをしたり熱心に勉強をしている。どうやら神頼みで努力を怠る人ではないと判ったけれど、その真面目な姿がどうしてあの願い事になるのか首を捻った。
ジュウジュウという音と共にバターの香りを店内に漂わせて、作っている雰囲気を演出しつつ、用意した食器の上で小さく鎚を振るって料理を出していく。最後の仕上げだけは拘って、人間がやるようにケチャップで可愛らしいウサギのイラストを描いた。
陽だまりの中で女性が分厚い本を三ページ捲った頃、運ばれてきたのはまん丸い形のふわとろオムライスだった。ケチャップで餅つきをするウサギが描かれている。
「オムライスと、勉強熱心なお嬢さんにおまけのコーンスープです」
コトリと置かれた両手持ちのカップには粒の浮かぶコーンスープが湯気を立てていて、よく見るとその表面にもオムライスと同じ模様が、クリームで描かれていた。色合いも相まって満月を覗き込んでいる様だ。
まじまじとカップの中を見つめた女性はまた小さく笑った。それから顔を上げて店主に笑顔を向けた。
「ありがとうございます。……かわいい」
オムライスとコーンスープを見て笑った表情は女の子らしい印象で、さっきまでと別人のように見えた。思わず見とれて動けなくなるほどに可愛らしかった。ハッとした店主は「ごゆっくり」なんてありきたりな一言を残してまたキッチンへと戻った。
キッチンに戻った店主はカウンター越しに、女性の様子を眺めていた。女性はニコニコとオムライスを幸せそうに頬張っている。神社で見かけた時より力が抜けてリラックスした様子に見えた。力みすぎると物事が上手くいかないというのが、彼女の受験が失敗し続けている原因なのだろうか。
リラックスして勉強できる環境を用意してみようと、少し大きめのマグカップにミルク多めのホットココアを淹れる。ココアを淹れるのも小槌を龍神の食器に振るだけではあるが、ツクヨミにとってはその動作も人間の真似をしている気分で楽しいものだった。
女性が食べ終わったと同時のタイミングでココアを持っていく。マグカップをテーブルに置いて、空になった皿を片付けると女性は眉を下げて、店主を見上げた。
「あの、ココアなんて頼んでないんですけど?」
「受験生なのでしょう?勉強する時は甘い飲み物が良いと思ったのですが、眠気覚ましのコーヒーの方が良かったですか?」
「いえ、そういう事ではなくて……」
「見ての通り、暇なので。誰もいない店で店番と言うのは寂しいものでしてね、居てくれるだけでありがたいのですよ。サービスしますから、どうぞゆっくりして行ってください」
ニッコリ笑った店主はキッチンへと戻った。女性は戸惑った様子を見せていたが、ココアを一口飲んだ後はまた、本を開いて勉強を始めた。
店主は皿を洗う振りをしながら、勉強する様子を見つめて考える。あんなに真面目に勉強して今年で三度目の受験とは、彼女は根本的に目指す方向を間違っているのではないかと。
一時間ほど集中して本を見ていた女性が顔を上げると同時に、店主はコーヒーの入ったマグカップを二つ持ってテーブルへと近づいた。
「少し休憩してはいかがです?」
マグカップの一つを女性の前にコトリと置くと、揺れる湯気からは苦みを含んだ香ばしい匂いが広がる。女性は湯気を辿る様に視線を上げて、眉を下げた表情を店主へと向けた。
「あの、次々に出されても、お金……」
「オムライスのおまけですよ。この通り暇なんでね、先ほども申しましたが、お客さんが居てくれるのが嬉しいのです。ここでの勉強が捗るなら何時間でもしていくと良いですよ。勉強の合間に私の話し相手もしてくれると大変うれしいですけれどね」
店主はそう言いつつ、隣のテーブルの対面に当たるソファーに座った。通路を挟んだはす向かい、初対面で緊張させない距離や位置はこれくらいだろうと考えての行動だった。
それから持っていたマグカップに口をつけて女性に微笑みを向けると、どうやら店主の意図は伝わった様だ。女性もマグカップに手を伸ばして、広げていた本とノートを閉じ休憩の姿勢をとった。
「ふふっ、これがご利益なのかなぁ」
コーヒーを一口飲んだ女性は、小さく笑いながら、テーブルの上のシュガーポットを引き寄せて、角砂糖を三つ入れるとスプーンでグルグルとカップの中をかき混ぜた。
「ご利益?」
「さっき、この近くの神社でお参りしたんです。次こそ受験に成功しますようにって。そしたら、自然とここに来ていて、すごく集中して勉強ができたんです。こういう風に勉強を続けれたら、今度こそ受かりそうな気がします」
女性の返事に店主は困った様な表情を浮かべたが、女性はカップの中の渦巻きを見ていて、その表情の変化には気づかなかった。
「近所の神社ねぇ。お嬢さん、神様にも専門家ってのが居るんだよ。受験の事なら秩父神社が良いんじゃないかな?」
「秩父ですか……小旅行ですね。専門家の神様と言われても、どんな神様でもご利益変わらない気がしますし、そこまで行く時間、勉強時間が減るのが勿体ない気がするんですよね」
女性はどうにも気乗りしない様で、眉を寄せてコーヒーの水面を見つめている。ツクヨミとしては、何としても専門家を頼ってほしかった。神と言えども奇跡なんて滅多に起こせない。それに話してみて彼女の問題が何なのか見つけられなかったから手の貸しようがなかったから。
「あまり根を詰めても、捗らなくなるのではないかな?秩父は景色も良いし、リフレッシュして来たら、勉強の進みが良くなるかもしれないよ」
言葉を重ねて見るが女性はまだ眉を寄せたままだ。本当に真面目な質なのだとよくわかる。少し強引な手に出るしかないかとポケットから宝玉を取り出した。
女性の手を取り掌に宝玉を乗せると、女性は驚いた様に目を丸くして店主へと顔を向けた。
「もしも専門家に神頼みをする気になったら、お賽銭箱にこれを入れてごらん」
「これ何ですか?お賽銭箱に、お金以外の物を入れるのは迷惑だと思うんですけど」
女性は掌に乗せられた宝玉をつまみ上げて光に翳した。一円玉程の大きさで、薄黄色をした平たい石だ。ヒンヤリとした感触の石は光に翳しても、輝く物ではなく高価な物には見えなかった。そのため女性は不思議そうに首を捻りながらも、慌てて返そうとしたりはしなかった。
「それもお金だよ。神様のお金。神様が直接受け取るから、神社の人に迷惑はかからない。心配なら、そのままお嬢さんがお守りにしても良いよ。お守りにした場合は大した効果はないけれど」
ニッコリ笑う店主が軽く言うからお守りのつもりで受け取って、財布の中にその石をしまった。
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