「箱」の中(壺の章)

――ここで、時間は決闘デュエルの数日前にまで戻る。


聖決闘会室にて。

イサマル、ドネイト、エル、ウィンドの四天衆が一堂に会していた。


「”こちゅうてん”?」


エルは頭の上に「?」マークを浮かべる。

桜柄の着物をまとった少女――否、少女と見まがうほどの美貌の少年――イサマルは、一枚のカードを取り出した。


箱中の失楽パンドラ・ボックス》――。

不気味な正方形の匣(はこ)の絵が描かれている。


「ええか、エルちゃん。「壺中天こちゅうてん」っちゅうんは、うちの世界にある「中国」って国に伝わる伝承の一つや」


「”ちゅうごく”?それって、どんな国なの?おしえておしえて!」


「そ、そやなぁ……まぁ、イサマルくんが生まれたイスカと似たような国やで。歴史が長い国でな……大きな大陸で、何度も何度も戦争があって、そのたびに国が代替わりした。「壺中天」の故事が記録に残されてるのは、たしか……後漢の時代やね」


イサマルは語る――「壺中天」とは、以下のような物語だそうだ。


後漢時代のこと。

語り部は、壺売りの男が自ら壺の中に入るのを見て、自分も入ることにしてみた。

すると、壺の中には「壺中の天地」が広がっていたのだという。


この世界とは異なる、もう一つの世界――別天地だ。


語り部はその素晴らしき世界で酒を飲んで過ごした――と聞けば、もしや「壺中の天地」とは、酩酊が生み出した幻想の産物ではないかと思うだろうか。

ともあれ。

そこで飲んだ酒の味を、語り部は生涯のあいだ忘れることはなかったという。


壺中乃天の故事――「壺中天」とは大まかに言えばこのような話だ。


「――で、それをカードにしてみたわけや!どや、すごいやろ!?」


エルは目を輝かせた。


「すごいすごい!じゃあ、かいちょーが作ったそのカードを使えば、カードの中の世界に行けるってことなの?」


「せやで。あっ、でも、いくら「壺中の天地」に入ったからって……故事みたいに酒を飲んだりしちゃダメやで~。エルちゃんはまだ未成年なんやから!」


「えー。でもでも、興味あるなぁ。そこでお酒を飲むと、おいしいおいしい?」


エルがたずねると、あわてたイサマルは口調を崩した。


「酒の味って……そこまでは試してないってばっ!あくまで「壺中天」の故事は、このカードを生むための着想元でしかないんだし。うちもイサマルくんである以上は未成年だから、飲めないんだから」


「ひょっとしてカードの中なら――こっそりお酒を飲んでも、バレないバレない?」


「バレなくてもダメだよ!?エルちゃんみたいな子供が飲酒するなんて、許さないんだからねっ!」


「はいはーい。そんなこと、しないしない!……にひひ!」


――やっぱり、かいちょーはからかうと面白い。

彼――あるいは彼女は、あわてると素の顔である「しのしの」が出てくる。


「しのしの」は自称「デキる女」の大人だけど、実はテンパりやすいのだ。


控えていたドネイトがカードについて語り出す。


「……本来は。《箱中の失楽パンドラ・ボックス》は別天地の創造では、なく……会長と、小生の……魂の分割、にまつわる……研究から、生まれたものでした」


「ウチは魂の分割を可能とするカードを作りたかった。それを使おうて、一旦、イサマルくんとウチを分離してみようと思ったわけや」


「“ぶんり”……?」


――かいちょーの正体は「玉緒しのぶ」。

こことは別の世界から来たオトナの女の人。


あのインケンでイヤミでイジワルなことで評判の悪い、イサマル・キザンとは別の人であるというのは聞いていた。


今のかいちょーは、イサイサと「しのしの」という二人の人物がまぜまぜした状態にある――そう、エルは理解している。


「説明は……小生が、いたします……」


ドネイトはホワイトボードを取り出すと、そこに四角い箱のようなものを書いた。

彼は急に背筋を伸ばす。


――こうなったときのドネドネは、ちょっと面白いから好き。


普段は前髪で隠している綺麗な目を露わにして、ドネイトはハキハキと喋り出した。


「魂の分割という、しのぶ嬢の要望――それを叶えるために推理小説ミステリの知識を応用してみることにしました。まずは「壺中天」という箱を作ります。その箱の中身を「作中作」として、この世界と「壺中天」とで入れ子の構造を作るわけです。ゲーム中にカードの効果で箱を作ると、プレイヤーは「箱の外側」と「箱の内側」で同時にゲームを進行することになります」


「将棋や囲碁で言うところの二面指しやね」とイサマルが補足する。


ドネイトは頷きながら、ホワイトボードに描かれた箱の外と箱の中に、それぞれ一人ずつの棒人間を書き加えた。


「ポイントは、物理的に断絶された空間ではデッキの共有が出来ないこと――つまり、異なるデッキを用いて二面指しをおこなわなければならない点にあります。デッキとは決闘者デュエリストの魂。そこで二種類のデッキを用いて、空間的には断絶されているものの時間的には同時として扱う状況で決闘デュエルをすると、どうなると思いますか?」


それって――エルは頭をうんうんとうならせた。


「もしかして、もしかして……決闘者デュエリストの”たましい”が、二つになっちゃうの?」


「正解やっ!やっぱりエルちゃんは飲み込みがええね」


。――推理小説ミステリではよくあること、です」


――だけど。エルにはわからないことがあった。


「かいちょーがそのカードを使ったら”たましい”は半分になる。たぶん、イサイサとかいちょーで二人になって分かれるんだよね?……でもでも。わざわざ、そんなことをするのは……どうしてどうして?」


イサマルは声を落とす。


。それを確かめたかった」


「えっ……」


「ウチがドネイトくんに組んでもらった【百人一首の謎】デッキと、イサマルくん本来の【陰陽・百鬼夜行】デッキを用意してみた。理屈で言えば、後者のデッキで決闘デュエルするウチはデッキに引っ張られて、イサマルくんの人格に分離するはずやったんやけど……」


……結果は失敗。

分かれた二つの魂は、それぞれがどちらも同じ人格を有していた。


ドネイトは再び縮こまる。先ほどまでの自信が喪失したようだ。


「魂を、扱う魔法は……現代では失伝した『闇』の技術、です。その多くは……15年前の戦争で滅んだ、ストラフ族に……由来しています。父が、司書を……務める『叡智なる地下大図書館』の資料にもあたってみました。可能な、かぎり……再現を、試みたのですが……」


「いいや、たぶんだけど……ドネイトくんにミスは無いと思う。うちもイサマルくんの知識から得た「始原魔術」を織り込んでサポートしたんだし」


イスカに伝わる始原魔術――『六門魔導』。

そこでは魂を扱う術式はアルトハイネスほど珍しいものではない――そう、イサマルは語った。


彼は腕を組み、こめかみに指を当てる。


「――ザイオン社は、ウチに隠しとることがある。ウチはベータ版の『デュエル・マニアクス』を使えば、コンピュータ上に再現された仮想世界にアクセスできると聞いとったんや。そこでゲームの登場人物の一人――イサマルくんをアバターとしてまとうことで、実験のモニターを担当すると」


聞き慣れない言葉が出てきたので、エルは困惑する。


「”かそうせかい”?それって、なになに?」


ウィンドが近づき、姉にだけ聞こえるように耳打ちする。

弟からわかりやすく嚙み砕いた説明を聞いて、エルは思わず大声を出した。


「それって……ボクたちは作り物で、ほんとは存在しないってことなの!?」


てっきり、イサマルの中にいる「しのしの」は別の世界から来たのかと思っていた。


二つの世界は異なる世界。

だけど、その存在としては同じものなのだとばかり。


だけど、ウィンドの説明では――「しのしの」の世界だけが本物で、今ここにある世界はプログラムが作ったニセモノなのだと言う。


――そんなの、ウソウソだよ。

だって、ボクも、ウィウィも。ドネドネも、かいちょーが入る前のイサイサだって。


みんな、この世界で生まれて、これまで生きてきたのに。

それが全部、ウソだっていうの?


すると――。

ドネイトは再び背筋を伸ばして、エルを気遣うようにした。


「”この世界は作りもの。誰かが気まぐれに書いた物語でしかなくて、自分たちはフィクションの登場人物でしかない”――。

 メタフィクションを扱ったアンチ・ミステリではよくあること、ですが……安心してください」


「”あんしん”、って……なんで、なんで?」


「小生がミスをしていない――という、会長の言葉を前提にした場合。ある推理が導けるのです。それは――」


推理。エルの胸は期待に高鳴った。


「それは……!?はやくはやく!」


推理を抱えた探偵――ドネイトは胸を張り、息を吐く。


「――残念ながら。まだ、お話できる段階にはありません。あと、もう少しだけ証拠が集まればロジックが完成します。小生の推理が証明されるのをお待ちください、エル嬢」


ズコーンッ!とエルはこけた。

――そんな。こんなに引っ張ったのに、そんなのって、ないよっ!


「こらーっ!そうやって思わせぶりなこと言うのは、よくないよくない!」


エルがポカポカと胸を叩く。

ドネイトは塩をかけられたなめくじのように縮こまっていった。


「す、すみません……実のところ……小生自身も、この推理については……半信半疑なので。ただ……この世界は作りものなどでは、なく。小生たちは架空のキャラクターではなく……生きた、人間であると。それだけは確信していいかと」


「どういう、こと?わからない、わからないよ!ちゃんと説明して」


イサマルは申し訳なさそうに頭を下げた。


「うちは「玉緒しのぶ」ではあるけど――同時にイサマル・キザン本人でもあるってことかな。たぶん、きっとだけど。――今、言えるのはここまで。ごめんね」


「そんなぁ……」


イサマルとドネイトは互いに目を合わせて頷き合う。

そのとき、エルの天真爛漫な表情に陰りが差した。


――かいちょーとドネドネは、どこかで通じ合っているみたい。

その事実を知って、胸がチクリと痛む。


「(まだ、信頼されてないのかな。ウィンド以外に、初めて……私を必要としてくれた人たちだと。……思ってたんだけど)」


エル・ドメイン・ドリアードの中には、誰も知らない「もう一人の私」がいる。

「もう一人の私」なら、こう考える――。


いつでも、一歩引いた位置で物事を見て。

手にしたパズルを組み替えるかのように、冷静に物事に対応する。


いつでも「ボク」を助けてくれるヒーロー。


「(ウィンドなら、きっとこう考える)」


――視界の隅で、弟が何か言いたげな顔をしているのがわかった。

「ボク」はあえて無視をして、イサマルが手にしたカードを指差す。


「《箱中の失楽パンドラ・ボックス》。そのカード……ボクに使わせて」


唐突な提案を受けて、イサマルは面食らったようだ。


「使う……って、何に?」


「ユーユーの昇格戦だよ。ボクはユーユーと戦うことになってる……知ってるでしょ。かいちょーは一学期のあいだは、ユーユーに『ラウンズ』になってほしくないって……そう言ってたよね。……よね?」


「そ、それはそうやけど……」


『光の巫女』ユーア・ランドスター。

イサマルが語る未来――『デュエル・マニアクス』では彼女が『ラウンズ』に昇格するのは二学期から。


夏休みに行われるタッグ大会――DDD杯。

デュナミス・デュオ・デュエリストカップにおいて、攻略対象として選んだタッグパートナーの決闘者デュエリストに憧れたユーアは、好意を抱いた「彼」に並び立てる自分になるために『ラウンズ』を目指す――というのが本来の歴史らしい。


『デュエル・マニアクス』のストーリーを説明してから、イサマルは思案顔をした。


「ユーアちゃんの共通ルートは一学期まで。DDD杯で攻略対象を選ぶ夏休みまでの共通ルートでは、昇格戦のイベントは無いはずなのに……なんでか知らへんけど、ユーアちゃんは気合いを入れてランキングを駆けのぼっとる。ウチには、それが不気味なんや。……また、何か起こるんちゃうかって」


「ミルミルのこと?」とエルは冷たい声で指摘した。


イサマルは苦虫をかみつぶしたような顔をする。


「ミルストンくんは先日の決闘デュエルの後、行方不明になってる。実家にも帰ってないって……!あの子は、どうみても『デュエル・マニアクス』の筋書きを逸脱してた。錬成ユニゾンはもちろん、《決戦兵器ゼノサイド》だって本来のゲームでは使ってなかったんだもの」


「かいちょーが知ってる”すじがき”は、もう役に立たないかもしれないんだよね」


だから、怖いんだ。それが不安なんだ。

――何も、心配ないのにね。


「でもでも、大丈夫だよ。ボクにまかせて……まかせて?」


エルは笑みを浮かべる。口元の端は引きつっていた。


「ボクはつよいから。『光の巫女』だろうと、問題ないない――」


――勝てる。勝って、彼女のランキングを降格させてみせる。

そうやって証明するんだ。「ボク」の価値を――「私」の強さを。


決闘デュエルが強ければ――。

生まれが悪くても、頭が良くなくても、お金が無くても……その存在を肯定される。


国王が敷いたルール。アルトハイネスが変えた――世界のルール。

「ボク」たちは、生まれてからずっとこのルールの下で生きてきた。


「だから、ちょうだい。

 そのカードを――《箱中の失楽パンドラ・ボックス》を」


ね?――ね?


イサマルは尋常ではないエルの様子を訝しむも、恐る恐るカードを差し出す。


「…………っ!」


ウィンドは引き止めるように、姉に向けて無言で手を伸ばした。

だが、エルはかわすように一歩進む。


ウィンドの手は届かない――「禁断の箱」はエルの手に渡った。


「(魂を分割するカード。誰よりも――「私」が上手に使ってみせるよ)」



エル・ドメイン・ドリアードの中には「もう一人の私」がいる。

そのことを知っているのは――実の弟であるウィンドだけだった。


――「箱の中」が開かれる、これまでは。

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