断章2
遠近未来予測演算機構ゼノン
「ところで、ウルカ様の本当のお名前はなんなんですか?」
ザイオンXとの
ユーアちゃんは私に「本当の名前」について問いかけてきた。
それは――ウルカの中にいる「わたし」の、前にいた世界の名前のことだろう。
考えてみると、この世界に来てから一か月くらいになるが――使うことのない名前なので、自分でも忘れかけていたところだった。
久々に思い返す。
「わたし」の名前は――。
「『まゆ』よ」
「『まゆ』……それって、昆虫がサナギをつくるときの『繭』?」
「字は違うけどね。考えてみたら、私が虫好きなのもそこから来てるのかも」
ただ、それが「本当の名前」かというと……。
今では、しっくりこないというのが本当のところだ。
「さっきも言ったけど、今の私は『まゆ』の記憶と一緒に、この世界で15年のあいだ生きてきたウルカとしての記憶もあるの。そのどちらも、私自身のことに思える――それに、他の人に『まゆ』の名前を聞かれると面倒だし。呼び方はウルカでいいわ」
「はい、ウルカ様!」
「……ウルカ、でいいんだけれども」
「わかりました、ウルカ様ッ!」
「ウルカで」「ウルカ様ッ!」……ニコニコしながらグイグイと「圧」をかけてくるユーアちゃんに、私は勝てなかった。
「……まぁ、それでもいいわっ!」
「ふふっ、やった」と、彼女は小さく拳をにぎった。
正直なところ。
ユーアちゃんに「ウルカ様」と慕われるのが、だんだんクセになってきたのはあるし、ね。
しかし、ただの会社員だった「わたし」が「ウルカ様」とは、ねぇ。
「一か月くらい、この世界にいるけど。……しのぶちゃん、元気にしてるかな」
「しのぶちゃん?」と、ユーアちゃんが口にした。
「それは……ウルカ様の、お友達ですか」
「ここに来る前の世界の、ね。子供の頃から、ずっと仲が良かったの」
私は幼馴染の顔を思い浮かべて――連鎖的に、あることに思い当たる。
「……そうだわ。罪園、って。ざいおん……
「罪園」――このダンジョンの地下に眠っていた恒星間移民星船『ノア』のコンソールに浮かんでいた謎の文字。
私は、この世界に来る少し前のことを思い出した――。
☆☆☆
「ただいまー」
「あ、しのぶちゃんお帰り。時間ぴったりね」
「へへへ。そりゃあ、うちは仕事のできる女なもんで」
その日、私は幼馴染であるしのぶちゃん――玉緒しのぶのマンションの一室で、彼女の朝ごはんを作っていたところだった。
ちょうど昨日は、山を歩き回ったところで疲れていたから――近くにある、しのぶちゃんの部屋をビジネスホテル代わりに使わせてもらっていたのだ。
そのお礼として、今は朝帰りの彼女をもてなす「家政婦さん」をやっている。
しのぶちゃんは洗面台でコンタクトを外すと、太い黒ぶちの眼鏡をかけて、部屋着用のスウェットを着てきた。
さっきまでは絵に描いたような「スーツをキメた都会の女!」といった感じだったのに、あっという間に休日の一人暮らしスタイルに変身している。
それがおかしくって、私はフライパンの中の卵をかき混ぜながらクスクスと笑った。
「おー、さむさむ」と、しのぶちゃんはこたつに逃げ込む。
「しかし、真由ちゃんも飽きないねえ。冬って、虫は採れないんじゃないの?」
「そうでもないわ。スコップで地面や朽ち木を掘れば、オサムシやクワガタの幼虫を見つけることもあるし。成虫の姿で越冬する虫だっているわよ?まぁ、昨日は昆虫採集に行ったわけではないのだけれど」
「何しに行ったの?」
「昆虫観察よ。冬は虫の動きが鈍くなるから、近くで見てもなかなか逃げないの。スマホで写真撮ったから、あとで見る?」
「うーん……食事の、後にしよっかなー。できるだけ。へへへ」
チン!とオーブントースターが音を立てる。
時間通りだ。
私はスクランブルエッグを皿に盛りつけると、オーブンからトーストされたばかりの食パンを取り出す。
しのぶちゃんのキッチンにあるオーブントースターは、加熱水蒸気によって瞬間的に焼くスチーム機能が搭載されている高級タイプだ。
これを用いてパンをトーストすると、外側だけをカリッと焼いた上で、中はしっとりを水分を残してモチモチした触感を残すことができる。
せっかくの良い家電なのに、お手入れが面倒ということで普段は使っていないらしい。
ここぞとばかりに使わせてもらうことにした。
「(このマンションといい、まったく、高給取りはうらやましいわね!)」
私はトーストした食パンにバターを塗り、軽く塩を振った。
碁盤目状の切れ目に溶けたバターがしみ込み、香ばしい風味が鼻孔をくすぐる。
ジャムはお好みで。
スクランブルエッグを盛りつけた皿に、ケチャップを絞る。
コンビニで買ったカット野菜をドレッシングで和えた、お手軽なコーンスローを付け合わせに。
ケトルから注いだお湯で、暖かいインスタントコーヒーを添えた。
「はい、朝ごはん出来たわよ」
「おおー、喫茶店のモーニングだ!」と、しのぶちゃんはパチパチと手を叩いた。
「大げさね。何も特別なことはしてないのに」
「一人暮らしだとねぇ、帰って『ただいま』を言えるのが、まず幸せなわけよ。それに――この世で最もおいしい食事って知ってる?」
「……何かしら?」
「それはね――こうやって、こたつで待ってるだけで出てくるごはん!いっただきまーす!」
そう言って、しのぶちゃんは朝食にかぶりつく。
よほどお腹が空いていたらしい。
私も手を合わせて食べることにした。
「うん、普通においしいわ」
「めちゃくちゃ美味いよ!?普通じゃないって」
「めちゃくちゃ、は言いすぎよ。空腹は最大のスパイス、ってとこでしょ」
食事を終え、片付けを済ましてこたつに入ると――目の前の本棚が目に飛び込んできた。
色とりどりに染められた同じタイトルの漫画が、ずらりと並んでいる。
「『ちはやふる』って……たしか、カルタの漫画だったかしら」
「最近、続編が始まったんで揃えたんだー。面白いよ?借りてく?」
「せっかくだけど、遠慮しておくわ。これ、何巻あるの?」
「50巻」
「荷物には重すぎるわね……」
しのぶちゃんは大学時代に競技カルタの選手をしていた。
たしか、全国大会でいいとこまで行ってたはず。
応援に行ったときには、あまりに会場の雰囲気がピリピリしていたのでびっくりしたことを覚えている。
しのぶちゃんは、子供みたいに頬をふくらませた。
「キャリーケースも貸すよ?っていうか、新しいの買ったから、古いのなら返さなくていいし」
「あぁ……イベントが近いのね」
しのぶちゃんは、私と同じで漫画・アニメ・ゲームといったものが好きな、いわゆるオタクなのだけれど――中でも、すごい趣味を持っている。
それは――コスプレだ。
そういえば、クローゼットに桜柄のきれいな着物があったのを思い出した。
「あの着物って、『ちはやふる』のキャラなの?」
「違う違う。今、うちがハマってるのはね、『デュエル・マニアクス』!」
デュエル……マニアクス?
「それって、新しいカードゲームアニメ?」
「アニメじゃない、本当のことさっ。まー、乙女ゲームは真由ちゃんの守備範囲外だもんねー」
「乙女ゲームなんだ」
「それに、ただの乙女ゲームじゃないよっ。なんと攻略対象がデュエリストしかいない、デュ級の乙女ゲーム、デュ乙女なのだっ!」
「いい加減、『ドリトライ』を擦るのもやめなさい」
それにしても。
デュエリストしか攻略対象がいない――というのは、ちょっと気になる。
私はあらゆるアニメの中でも、カードゲームアニメが一番の大好物なのだから。
しのぶちゃんは眼鏡を直した。
「おっ。これは沼に沈めるチャンスだねぇ」と言って、しのぶちゃんはスマホを取り出すとカメラロールをスクロールし始めた。
そして、一枚の写真を見せる。
鮮やかな桃色のおかっぱ頭のウィッグを付けて、桜柄で彩られた着物を着たしのぶちゃん。
どこかのイベント会場で、扇子を構えてキメキメのポーズを取っているようだ。
すごいなぁ。
相変わらず、しのぶちゃんのコスプレはクオリティが高い。
彼女は元ネタになっているキャラクターを説明した。
「これはね、『デュエル・マニアクス』の攻略対象の一人であるイサマル・キザンくん!攻略対象では唯一、主人公と同い年の一年生にして、「学園」最強集団『ラウンズ』の序列第七位。
「あれ?でも、乙女ゲームってことはこのキャラって男の子なのよね?」
元が美人のしのぶちゃんが扮しているせいか、どうみても可愛い女の子にしか見えない。
衣装も、女性風に見える。
その瞬間、私は彼女のスイッチを押してしまった。
「よくぞ、聞いてくれましたっ!実はイサマルくんはイスカの将軍家の嫡男でね、成人するまでは女装するように言われているわけ。これは実際の日本でも魔除けや厄除けといったゲン担ぎのためにあった風習で、たとえば『南総里見八犬伝』に登場する八犬士の一人・犬塚信乃は女装して育てられたっていう話があるし。……でねでねっ、イサマルくんはねぇ、性格も口も頭も悪いんで、好きな女の子以外には本当にひどい奴なんだけど、
わかった!?」
「しのぶちゃん、早い、早いわ!」
もう、これだから好きなものを話すときのオタクってやつは!
(私も他人のことは言えないけど……)
「へぇ。でも、ちゃんとデッキとかも出てくるのね」
「CPUの頭は良くないし、対戦シミュレーターとしてはガバいとこあるけど、作中ゲームの作りこみもすごいんだよ!これは真由さん、やってみるべきじゃなーい?祝・乙女ゲームデビュー!」
「そうねぇ……ちょっと、面白そうかも」
「はいっ、その言葉をいただきました!」
しのぶちゃんはスマホを操作して「メール送ったよ」と言った。
確認すると――PCゲーム『デュエル・マニアクス』の購入キーがプレゼントとして送られていた。
「ちょ、ちょっと。私、まだやるって言ってないわよ!?」
「へへへ。さっき『面白そうかも』って言ってたからね。言質、取ったぜ」
「それ、取ったって言わないわよ……」
でも、面白そうなのはたしかだ。
「そうだ。昆虫デッキを使うキャラっているの?」
「うーん……。まぁ、いるよ。いるけど、あのキャラはねぇ」
しのぶちゃんは「まぁ、プレイしたらすぐにわかるから」と言葉をにごした。
まぁ、あまり期待はしていない。
昆虫デッキ使いが悪役だったり三下のゲスだったりするのは……カードゲームではよくあることだから。
それから私は、彼女から攻略対象キャラの簡単な紹介を聞いたのだけれど――。
そこで、あることに気づいた。
「……このゲームの発売元の、罪園CPって」
「あ、バレちゃった?」
罪園CP――ザイオン・コンシューマ・プロダクツ。
世界的大企業ザイオン・テックの子会社であり、様々なエンターティメントを提供するアミューズメント企業だ。
その事業の一つに、ゲーム開発もある。
以前にそれを聞いていたのを思い出した――誰に、それを聞いたかというと。
「これ、しのぶちゃんが務めてる会社じゃない!」
「ダイレクト・マーケティング、大成功だねっ!」
しのぶちゃんは悪ガキのように「へへへ」と笑った。
こういうイタズラをされたときには、決まってする「儀式」がある。
私は人差し指と親指で輪っかをつくると――。
「あいたっ」
しのぶちゃんの額に、デコピンをした。
「まったく。いつまで経っても子供なんだから」
「子供じゃないですよー、うちは今年で25!真由ちゃんだって同じ!」
「ちょっと、そろそろ年齢のことは言わないでよ!」
――その日の夜。
私は『デュエル・マニアクス』のチュートリアルをプレイして、この世界に来た。
体感時間では一か月ほど前だけれど――すでに、遠い記憶のようになっていた日。
私がまだ、「新川 真由」だった頃のことだ。
☆☆☆
「
ザイオンX。
ダンジョンの地下世界で眠っていた、知性あるスピリットの少女。
彼女の名にも「ザイオン」が冠せられている。
「心配する。――マスター、顔色が良くないよ」
気づくと、ザイオンXが来ていた。
「その、ザイオンX。あなたに聞きたいことがあるのだけれど」
「何でも聞いて」
「ザイオン・テック、とか……ザイオン・コンシューマ・プロダクツ、っていう言葉について知らないかしら?」
「拒否する、返答を」
「何でも聞いてって言ったのに!?」
ユーアちゃんも私に尋ねる。
「ウルカ様、その……何とか・何とかというのは何でしょうか?」
……情報量がゼロね!
「ええとね、私がここに来る前の世界にあった会社よ。この世界にはザイオンなんて会社は無いわよね?」
「そうですね……あれ?」と、ユーアちゃんは頭に疑問符を浮かべる。
「いや、たしかあったと思います。ムーメルティアで最大のシェアを誇る魔道具製造メーカーの名前が、たしかザイオンだったかと」
「そうなの!?ウルカの知識には無かった情報だわ」
となると、ザイオンXはその会社と関係があるのだろうか。
「お兄様なら、もっと詳しく知ってると思いますが――私が知るのは名前だけです」
「そう……後で、ユーアちゃんのお兄さんにも聞いてみようかしら」
と、そこで私とユーアちゃんは、唐突にザイオンXによって持ち上げられた。
まるで荷物のように――それぞれを片手で支えるようにして、両脇に抱えられる形になる。
「「え……?」」
「マスター。ユーア。口を閉じてね――舌を噛まないように」
「「むむむむむむっっっ!!!」」
猛スピードでダンジョンを爆走するザイオンX。
私たちは強引に地上に帰ることになってしまった。
あまりにも強引な場面転換。
……ザイオンXは、何かを隠している。
だけど、この子が私たちに悪意を持っているとは思えない。
「なら、せめて話してもらえるまでは待とう」――そう、私とユーアちゃんは目を交わしあった。
☆☆☆
……ごめんね。
本機は、あなたたちの力になりたい。
だけど不用意な情報開示が、この先の未来にどう影響を与えるのかが予想できない。
さっきのマスターとの
恒星間移民星船『ノア』――本機の眠るクレイドルに、何者かが侵入していたことがわかった。
『遠近未来予測演算機構ゼノン』――本機のサポーター・ユニット。
『ノア』の中枢から、ゼノンを奪ったものがいる。
侵入時期は、履歴を検索することでおよそ500年前にまで絞り込めた。
突き止めなくてはならない――本機が眠っていたあいだに、何が起きたのかを。
本来のゼノンの予測では『光の巫女』は一人のはずだった。
だけど、本機が起動した時点で登録者は二人に増えていた。
ウルカ・メサイアとミシュア・メサイア。
二人に分かれた運命。
二つに分かれた『光の巫女』。
計算には無かった事態――それでも。
――この二人が、共に『闇』に立ち向かうというのなら。
そのために戦う。それが、本機が選んだ役割。
だって……その方が、かっちょいいし。うん。
ダンジョン内を走りながら――二人に聞こえないように、ザイオンXは呟いた。
「……それに、次の惑星が見つかるとは限らない。たとえ脱出したとしても」
ゼノンのマクシウム演算が弾き出した、植民可能な惑星。
広い銀河の中で、ただ一つだけ見つけた
その大地に――よりにもよって「あんなもの」がいた時点で、セカンドプランとして本機は用意された。
この時代に現れるメサイア因子保持者が、想定よりも育っていなかった場合には――この星を見捨ててエクソダスを果たすと。
『光の巫女』と
この地上に芽吹いた、すべての命を見捨てて逃亡する。
「嫌だ、そんなの」
ザイオンXは、両脇に抱えた二つの熱源を触覚センサーで感じた。
命の暖かさ。
ウルカとミシュア――違う、ウルカとユーア。
大丈夫。
この二人なら、きっと、勝てるよ。
<断章2『遠近未来予測演算機構ゼノン』 了>
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