5-4 みっちりサンドイッチ
◆
ユッカが積極的に訪れる場所といえば、南地区の手芸用品店である。
狭い店内の左側、無造作に積み上げられている白い箱には、装飾の美しいボタンが入っている。蓋の手前に見本がついているので、客は、欲しいと思った小箱を取り出し、中から必要数を取り出す形式になっている。その際に上に積まれた小箱を崩さないようにしなければならない。
(……これは美しい)
黒いガラスでできた丸いボタンを見つけたユッカは、慎重に小箱を引き出す。上に積み上げられた箱を崩すことなく目的のものを手に入れられ、僅かに口元が緩んだ。
「ふふっ。あんたは本当に黒ばかりだねぇ」
奥に座って棒針編みをしていた店主が目を細めた。
「好きなんです」
ユッカは店主を見ることなく答える。ボタンは手製のためひとつひとつ僅かに違っているため、選別が必要なのだ。
ちりん、とベルが鳴った。
「こんにちは!」
まるで風を運ぶように、てろんとした素材のスカートが膨らみ揺れる。
キアラだ。キアラは
「あら、いたの」
「こんにちは」
ユッカはキアラを見遣り、軽く頭を下げる。そして再びボタンの選別に取りかかった。
「この前はごちそうさま。ホットドッグ、美味しかったわ」
「お口に合ったようで何よりです」
「いくらかしら?」
「お代なんて要りませんよ。まかないを作りすぎただけです」
「あなたならそういうと思ったけれど」
ユッカがキアラを見ないことに、キアラは諦めたようだった。
キアラはユッカから離れると左側の棚と向き合った。左側には、たくさんの反物が積み上げられている。
「グレタも頑として受け取ってくれないし」
「まかないだからでしょうね」
お互い、それぞれの獲物を狙いつつの会話である。
ユッカはボタンを五つ選び終わると、店主の元へ見せに行った。つつがなく支払いを済ませて店を出ようとすると、キアラが再び声をかけてきた。
「ねぇ、どうせ暇でしょう。あたしに付き合ってよ」
「失礼極まりない人ですね」
「支払わせてくれないなら別のもので返せばいいと気づいたの」
(……このパターンは……)
ユッカは溜め息をつく。
つい先日も、強引にルーチェから誘われた。そのときはわざわざ隣町まで出かけて、プリン・ア・ラモードを食べた。
(最近、こんなことばかりですね)
◆
「なるほど」
「これならあなたも気負わなくて済むでしょう」
河川敷へ向かうように言われたユッカ。
しばらくして姿を現したキアラは、籐籠を持っていた。中にはグラシン紙に包まれたサンドイッチが入っている。
「最近できたお店のものなの。
「ええ、ありがとうございます。遠慮なくいただくことにします」
さっとキアラが敷布を地面に置いた。流石に、直接腰を下ろすのは嫌らしい。
ユッカは何も言わず、キアラの隣に座る。
受け取ったサンドイッチを見てほんの少しだけ目を見開いた。
「……ぎっしりと詰まっていますね。ぎっしりというか、みっちりというか」
「家じゃ絶対に食べられなさそうだわ」
幾重にもなったレタス、明らかに分厚くカットされたゆで卵。スライスチーズとハム。ハムは、レタスと層の数を争うように重ねられている。
「両親は行儀が悪いものが嫌なの。まぁ、あたしも嫌いだけど。今日は別」
キアラは宣言すると両手でサンドイッチを持ち、大きく口を開けた。
がぶりという表現が適切すぎるくらいの頬張り方。
しゃきっ。レタスの歯切れのいい音が続く。
「はー! 美味しい!」
頬にパンくずをつけたまま、キアラが叫んだ。はしばみ色の瞳が強く輝く。
ユッカも続いてサンドイッチを両手で持つ。
ずっしりと、重たい。サンドイッチの質量とはとうてい思えなかった。
「いただきます」
粒マスタードの酸味と辛みが爽やかに広がる。パンがどの具材よりも薄いのに水っぽくないのは、粒マスタードのおかげだろう。薄切りのハムが花開くようにほどけていく。
対照的に、一枚しか入っていないスライスチーズは、それだけで濃厚。
ゆで卵はパサついておらず、まるでドレッシングの役割を果たしているようだ。
しっかりとプレスされているはずなのに、どの具材も己を保っている。絶妙なバランスだ。
(これは、一度店舗へも行ってみなければ)
ユッカは密かに決意する。なお口に出さないのは、キアラとの同行を余儀なくされることが容易に想定できるからである。
「美味しいですね」
「最高。河川敷ってのも、最高!」
キアラが言葉を続ける。
「あたし、『聖女祭』が終わったらリコルドを出るわ」
「そうですか」
「ちょっと。そこは事情を尋ねたり、引き留めたりするものでしょう」
「
「……そうよね。あんたって、そんな奴よね」
キアラが肩を落とす。
「だけど優しいわ」
(そうでしょうか)
ユッカはキアラに優しくした覚えなどない。
お互い、無言でサンドイッチを咀嚼する。やがて。
「……みんなみんな、クソくらえよ」
キアラらしからぬ汚い言葉遣いだった。
それだけ腹に溜まっているということなのかもしれない。
「ユッカって、腹立つことないの?」
「ありますよ」
「そういうとき、どうするの。壁でも殴る?」
「……殴りはしませんね。キアラは殴るんですか?」
「まさか」
キアラが笑みを浮かべたとき。
「こんなところで何をしているんだ」
硬く張りのある声が近づいてきた。
キアラの表情が一瞬にしてこわばる。ユッカは肩越しに振り返って、キアラの視線の先を捉えた。
スーツ姿の男性がこちらへ向かってきている。
「パパ」
キアラの呟きには憎しみが込められているようだ。
すっと立ち上がり、自ら父親へと近づく。
「あたしがどこで何しようと、あたしの勝手でしょ」
前髪を後ろに撫でつけているが、金髪といい、はしばみ色の瞳といい、キアラにそっくりだ。
(意志の強そうなところも)
ユッカは密かに合点がいく。
「お前の言動ひとつひとつが私の評価に繋がる。その点において、お前に自由はない」
「じゃあ、めちゃくちゃにしてあげましょうか」
睨み合う二人は、まさに一触即発の雰囲気だ。
ユッカは最後の一口を咀嚼してからゆっくりと立ち上がり、キアラの隣に立った。
「はじめまして。『夜明亭』のユッカと申します。お嬢さまにはいつもお世話になっております」
「水商売か」
「ええ。お酒も提供してはいますね」
蔑むような視線を向けられてもユッカは気に留めない。
どの時代、どの町でも、飲食店経営者に対して不遜な態度を取ってくる人間は一定数いる。
「友人は選べ。あまり私を失望させるな」
「ちょっと。ユッカを悪く言うのはやめてよ」
キアラの声が一段と大きくなる。
人がまばらとはいえ、このままだと騒ぎになってしまうだろう。副市長はそう判断したようで、キアラの腕を掴んだ。
「帰るぞ」
「嫌。パパの言うことなんて聞きたくない」
「……そうですね」
もはやこの場を丸く収めることは不可能。
ユッカはしぶしぶ、親子喧嘩へ介入する決意を固める。
「失望でコントロールするような相手の言うことには聞く耳をもたなくてもいいでしょう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます