5-3 ホットドッグは簡単でも




 ルーチェの隣で、ユッカはプリンア・ラ・モードを堪能することにした。


 ふるるっ、と中央のプリンが震えるように揺れる。

 細長いスプーンを差し入れて、一口すくった。

 艶のあるカラメルソースは見た目通り苦くて、甘いプリンとのバランスが考えられているようだった。

 フルーツも、ナパージュがかかっているということもないのに瑞々しい。酸味がほどよく感じられる。


 隣ではルーチェと店主が会話に華を咲かせていた。


「へー。マグカップってそんな風に作るんですか」

「体験教室もたくさんあるので、調べてみるといいですよ」

「楽しそうですね!」


 ユッカは陶器のマグカップを両手で包み込む。一見すると不格好なかたちだが、程よく手のかたちになじんでいた。

 コーヒーからは湯気が立ち昇っている。


(……あ)


 ユッカは瞼を閉じた。


(久しぶりに、他人の会話が、心地いいですね……)


 元々ユッカは人々の会話のさざ波に耳を傾けることが好きだった。

 それがここ最近は聖女の話題ばかりでひどい雑音となってユッカを苛んでいたのだ。


「ユッカさん?」

「……はい?」


 急に声をかけられ、ユッカはしぶしぶ現実に戻ってくる。

 すると、透き通ったルビーの双眸がらんらんとユッカを見ていた。


「このプリン、めちゃくちゃ美味しいね」


 いつの間に話題が変わったのか、ルーチェはもりもりとプリンア・ラ・モードを食べ進めていた。


「『夜明亭』ではプリンを出したりしないの?」

「菓子に手間をかけるのがあまり好きではありません」

「そっか。ユッカさんだったらどんなプリンを作るか、いろいろ考えたのに」

「作りませんよ」


 ユッカはぴしゃりと即答する。

 ちぇっ、とつぶやくルーチェの仕草はイトにそっくりだった。




   ◆




 帰途についたふたりは、フィウーメ川の河川敷へと戻ってきた。

 陽がだいぶ高くなっている。風を感じながら、ふたりは並んで歩いていた。


「最近、ようやく道を外れてもいいんだ、好きな場所に行っていいんだって思えるようになってきたんだ。ユッカさんのおかげだよ」

「はぁ」

「眠れない夜もあるんだけど、まぁ、何とかなるかなって思える」


 ユッカはルーチェを見ない。


「……どこかに行きたくても行けない人の方が多いものです。それは、あなた自身の力ですよ」


 彼を見ない代わりに、煌めく川の水面を見つめていた。




   ◆




 ある日の『夜明亭』にて。

 昼営業が終わり、めいめいが閉店業務に取りかかっていたとき。

 グレタが、ほうきを握りしめてぽつりと零した。


「最近キアラの元気がないんです。夜明亭に誘っても、気が乗らないと言って来てくれなくて」


 カウンター内で食器類を磨いていたイトが反応する。


「珍しいこともあるもんだ。言われてみれば、最近見かけないね」

「踊りの練習でも、普段ならしないようなミスをするし、様子がおかしいんです。こういうときって、どうすればいいんでしょう……」


 ユッカは、広場でキアラと会ったときのことを思い出す。


『離してちょうだい!』

『父はあたしを結婚させたくてたまらないのよ。権力のために』


 怒りに燃える、キアラの表情。

 恐らくその件でまだ揉めつづけているのだろう。

 とはいえ、キアラがグレタへ話していないのであれば、ユッカはそれを説明する気はなかった。


 シンクの前から、ユッカはイトを見た。


「そうだな~。僕なら無理やり誘っちゃうけど、グレタには難しいよね?」

「は、はい。そうですね……」

「たとえば、相手が断れない状況で誘うのがいいよ」


(まぁ、そうですね。それはあなたの常とう手段でしょうね)


 ユッカは、イトと共に食堂をやることになったときのことを思い出して、若干睨みつける。もちろんイトはそれに気づいていない。もしくは気づいていて、スルーしている。


「食べる物をもう用意した状態でキアラのところへ行って、一緒に食べようって言うのはできそう?」

「……?」

「ピクニックさ。フィウーメ川の河川敷でも、広場でもどこでもいい。ふたりで並んで座って、ごはんを食べようって誘ってみるのはどうかな?」


 そして、イトはくるりと体をユッカへ向けた。


「ピクニックといえば何がいい?」

「……そうですね」


 がさごそ、とユッカは棚からドッグパンを取り出した。


「ホットドッグなんていかがでしょう。ウインナーソーセージを、このようなパンにはさむだけでできます」


 グレタがカウンターへ近づいてくる。

 キッチンを覗き込んでくるので、ユッカはお手本を示した。


「まずは、フライパンでウインナーソーセージを焼きます」


 じゅわー、という音と共に、ウインナーは肉の香りを振りまく。

 ほどよい焼き目がついたところで火を止めた。


「茹でてもかまいません。わたしは焼き目がついている方が好きなので、そうしました」

「はい」

「パンには真ん中に切り込みを入れて、指で広げます。内側にバターを塗り、レタス、ウインナー、トマトケチャップで完成です」


 ひとつめのホットドッグができあがった。


「やってみてください」


 グレタがキッチンへ回り込んできた。

 そして手を洗ってから、同じようにホットドッグを作る。


「簡単ですね」

「簡単でも、丁寧に作業することで、美味しくなるものです」


 四つできあがったところで、ユッカは二つをペーパーに包んで籐籠のバッグへ入れた。

 冷蔵庫からまかない用に取っておいたコールスローを小さめの容器二つへ詰める。それから、耐熱性のあるボトルには、はちみつ入りのカフェオレを。


「ありがとうございます。外で食べてみないかって誘ってみます」

「うまくいくといいですね」

「グレタなら大丈夫だよ! 行ってらっしゃい!」

「はい。お疲れ様です、お先に失礼します」


 グレタは何度もお礼を言って店から出て行った。


「さて、我々も昼食にしましょうか」


 ユッカはホットドッグとコールスローを木皿に盛り付けて、カウンター席に運ぶ。

 マグカップに注がれるのは二人ともホットコーヒー。

 そして、ユッカとイトは並んで席についた。イトが、ぱんっと両手を合わせる。


「いただきます!」

「いただきます」


 ぱりっ、と音を立てるのは焼きたてのウインナーソーセージだ。

 細長いウインナーからじゅわっと溢れる肉汁が、しゃきしゃきのレタスに滴り落ちる。その下でふたつを受け止めるドッグパンはむぎゅっとした食感で、咀嚼の回数を増やしてくれるタイプだ。

 もぐもぐ、と顎を動かす。


(トマトケチャップは少なめの方が、ウインナーの旨味を堪能できていいですね)


「美味しいね」

「そうですね」

「グレタもうまくいくといいな。まぁ、流石にホットドッグを見せたら、キアラもいやとは言えないだろうし。なんだかんだキアラはグレタに甘いから」


 イトがユッカへ微笑みかけた。


「ユッカもなんだかんだ僕に甘いのと同じで」

「余計な一言ですよ、それは。こちらはいつでも出て行ってかまわないんですから」

「嘘です! ごめんなさい!」


 謝罪が軽い。

 はぁ、とユッカは溜め息を吐き出した。


(ルーチェは、わたしと出かけたことは話してなさそうですね)


 祖父、孫ともに、読めない。

 そんな諦めを込めた溜め息でもあった。

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