第五話 どこで食べても美味しい

5-1 アジフライは揚げたてがいい

   ◆




 さくっ。

 軽い衣をまとった揚げたてのアジフライから奏でられる小気味いい音に、カウンター席の美丈夫は表情を綻ばせた。


「夜遅い時間に食べる揚げ物って、どうしてこうもたまらないんだろう……」


 燃えるようなルビーの瞳が潤んでいる。

 彼の名はルーチェ・フィオーレ。

 ネイビーの制服に金色の鷲をかたどった徽章きしょうをつけている、魔法協会の人間だ。


「よく噛んで食べるんだぞ」

「うん。分かってるよ。おじ……イトさん」

「偉い偉い。流石ルーチェ」


 キッチンから声をかけられて、ルーチェはにっこりと微笑み返した。


 ルーチェとイトのやり取りを黙って眺めていたユッカは、はぁと溜め息を吐き出した。


(……ここ夜明亭は家のダイニングではないのですが?)


 イトの方が若く見えるが、実際の関係は、イトが祖父でルーチェが孫。

 老衰で死んだのに生き返った勇者というのが、イトの正体である。

 ルーチェは肩幅も広く筋肉質な大柄の青年であるが、まるで幼子のような反応をしているのは、そんな理由から。


 ルーチェが魔法協会の中央支部からこのリコルドという街に派遣されてきて数日が経った。

 彼はどうやら『夜明亭』での夕食を、ルーティンワークに決めたらしい。


 黙って明日の昼用の仕込みをしているユッカへ、カウンター越しにグレタが近寄ってきた。


「ユッカさん。お皿、拭き終わりました」

「ありがとうございます。お客さんももうルーチェさんだけですし、賄いを食べてください。用意しますね」

「はい!」


 ユッカが魔石でできた冷蔵庫を開ける。

 金属製のバットに残っているアジは最後の一尾。既に三枚おろしにして、しっかりと衣をつけてある。あとは揚げるだけの状態だ。


 ユッカはバットの隅で固まっている卵とパン粉をきゅっと指でつまんだ。

 再加熱した揚げ油へぽとりと落とす。パン粉の欠片は途中まで沈みかけると表面に勢いよく浮き上がってきた。


(よさそうですね)


 かんたんに揚げ油の温度を調べる方法だ。

 パン粉の欠片が沈んでしまうようでは、アジフライを揚げるには早い。かといって落とした瞬間に油の表面で散ってしまうなら熱すぎる。揚げ物にはそれぞれ適切な温度がある。


 アジを持ち上げると、そっと、油の表面に置くように滑らせる。

 しゅわー!

 たちまちアジフライの輪郭が泡立った。


「グレタさん。せん切りキャベツを盛り付けてもらっていいですか」

「分かりました」


 今日のせん切りキャベツは、半分をグレタに任せた。

 時間はかかっても丁寧に細く切ってくれたので、見た目は問題ない。


 キッチンへ入ってきたグレタが、丸皿にちょこんとキャベツを盛り付ける。


「見ていていいですか」

「どうぞ」


 グレタは勉強熱心だ。まだメイン料理を任せるのは早いが、こうやって、見て覚えてもらうのは大事なことである。


 しゅわしゅわー。音を立てながら、アジフライはどんどん色を濃くしていく。程よいところでターナーで返す。何回もひっくり返しているとちっとも揚げ色はつかないので、基本は一回だけ。

 両面をこんがり揚げると、油切りバットに移した。

 ふつふつ、と表面のパン粉の隙間で油が煌めいている。


 とうもろこし入りのバターライスとオニオンコンソメスープもグレタ自身によそってもらい、賄いができあがった。

 バターの香りとコンソメの香りは湯気のなかで程よく混じり合っている。


 アジフライに添えるのはゆで卵たっぷりのタルタルソースと、さらりとしたウスターソース。

 ルーチェが食べている定食と内容は同じである。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 トレイを受け取り、グレタはカウンター席の端に座った。


「グレタさん、わざわざそんな端に座らなくても。僕の隣に来たらいいのに」

「へっ!? い、いえ、そんな……」


 カウンター席の真ん中から声をかけられ、グレタが縮こまる。薄桃色の瞳は明らかに動揺していた。

 

「わ、わたしは隅が好きなので……」


 理由とも呼べない理由を呟いた。

 ユッカは、ルーチェのいない時間にグレタが『かっこよすぎて緊張します』とユッカへ訴えていたことを思い出す。


「そっか。それならしかたない」


 ルーチェもルーチェでしつこくはせず、さくっとアジフライを頬張った。


「衣は軽くてさくっとしているのに、アジはふっくらとしていて、口の中で解けていく。生臭さもなくて、ソースがなくても美味しいのに、ソースをつけるともっと美味しい! 本当に、ユッカさんの料理は何でも美味しいね」

「それはどうも」


 ユッカは真正面に座るルーチェと目を合わせない。

 イトとルーチェ、二方向から笑顔を向けられ、居心地が悪い。


 ルーチェは知らないが、ユッカの正体は――かつての魔王、なのだから。




   ◆




 ユッカは黒髪黒目の持ち主で、着ているものも黒い。

 そんな黒ずくめは、青空の下では目立つ。

 リコルドに来た当初はじろじろ見られることも多かったが、今ではほどほどに景色へ溶け込んでいるようだ。


 石畳が敷き詰められた道をゆっくりと歩きながら、ユッカは、行きつけの手芸用品店へ向かっていた。

 リコルドの南地区はアクセサリーや服飾店など、流行に敏感な店が軒を連ねる。

 大抵は一階が店舗、二階以上は住居になっている。そのため見上げると洗濯物が干されていたりもして、鮮やかな地区だ。 


「離してちょうだい!」


 聞きなれた声が耳に届いて、ユッカはわずかに眉をひそめた。

 このパターンは前にもあった。そして、そのとき諫めた側の人間の大声だ。


 通りの交差する広場で、スーツ姿の男性に腕を掴まれていたのはキアラだった。

 豊かな金髪を今にも振り乱さんと抵抗している。


(しかたありませんね)


 つかつかつか、とユッカはキアラたちに向かって歩いて行く。

 男性がユッカの接近に気づく瞬間。


「往来で女性に乱暴するとは感心しません」


 ユッカは男性の手を勢いよく掴んで力を込める。

 見た目からかけ離れた力の強さに、男性は驚いてキアラを掴んでいた右手を離した。


「ユッカ!」


 キアラのはしばみ色の瞳が怒りから驚きに変わる。

 そのままユッカに抱きつこうとしてきたので、ユッカはひらりと躱した。


「ちょっと」

「接触は遠慮します。ところでこちらの方はお知り合いですか?」


 闖入者に硬直したままの男性を、キアラは一瞥する。


「父の部下よ」


(……父? そういえばキアラの父親はリコルドの副市長でしたか)


「そうですか。それならば然るべき理由があったかもしれませんね。大変失礼しました」

「謝らなくてもいいわよ。悪いのは全部父だもの。行きましょうっ」


 つかつか、とキアラが手芸用品店側へ向かって歩き出す。


「いいのですか?」

「いいの」


 手芸用品店へ駆け込むように入ったところで、キアラは深く息を吐き出した。

 それから、布のにおいを嗅ぐように、大きく息を吸い込んだ。


「父はあたしを結婚させたくてたまらないのよ。権力のために」


(つまり、親への反抗の現れ、と)


 ユッカは納得する。

 初対面からキアラは激情的かつ自分の意志を曲げない人間というのは見ているので、おかしなことではない。


「おやおや。またお見合いから逃げてきたのかい」


 事情をよく知るらしい店主が奥から現れた。

 淡くカラフルなニット帽が映えている。店主も、裁縫から編み物まで幅広く手芸を嗜んでいるらしい。


「あたしの話を全然聞いてくれない人間の言うことなんて聞く義務はない」


 ぴしゃり、とキアラが断言する。 


「あたしは王都でファッションデザイナーになりたいの。結婚して家庭に入れなんて、まっぴらよ」

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