4-5 あたたかなモーニング

   ◆




 『夜明亭』は不定休だ。

 無理はしない、ほどほどに、という働き方を信条にしているユッカが、ひと月ごとに休みを決めて告知することになっていた。


 そして、今日はそんな休みの日である。

 店の外に出たユッカは、空を見上げて、深く深呼吸した。


(久しぶりにゆっくりできる気がします。喫茶店で朝食にしましょう)


 今日の空は薄い雲に覆われている。

 風もあり、少し肌寒い。

 黒いワンピースの上から羽織るストールも黒く、やはりユッカは今日も黒ずくめだった。


(……また、いますね)


 ユッカが河川敷を歩いていると、昨日と同じ場所に、ルーチェが座っていた。


(流石に、夜は宿に戻ったとは思いますが)


 なお、興味がなかったので服装までは覚えていない。

 ゆっくりとユッカはルーチェに近づいて行く。


「こんにちは」


 すると、ルーチェはぼんやりと顔を上げた。


「あなたは、『夜明亭』の」


 寒さのせいだろうか、声は掠れていた。


「ユッカです。こんなところで、寒くありませんか」

「寒いといえば寒いですし、寒くないといえば寒くないです……?」


 反応が要領を得ない。

 ほんの少しだけ迷ったものの、ユッカは、ルーチェへ提案する。


「わたしはこれから朝食を取ろうと思っていますが、あなたもどうですか?」

「……?」

「ここにいても寒いでしょう。あたたかなものを体に入れた方が、落ち着きますよ」




   ◆




 半ば無理やりともいえるかたちでルーチェを立ち上がらせ、ユッカは、最初に見つけた喫茶店へ入った。

 カウンター席にユッカとルーチェは隣り合って座る。


「わたしはホットコーヒーにしますが、ルーチェさんはどうしますか」

「僕はホットのカフェオレでお願いします」

「お待たせしました」

「えっ?!」


 飲み物よりも先に運ばれてきたモーニングサービスにルーチェは目を丸くした。

 丸い木のプレートにぎゅうぎゅう詰めに乗せられているメニューを、ユッカは指し示す。


「今の時間帯はサービスとしてバタートーストとヨーグルト、サラダとゆで卵がついてきます」

「……すごい」


 遅れて、飲み物がなみなみと注がれたマグカップも置かれる。

 ユッカは冷えた指先を温めるように両手でマグカップを持った。

 陶器製だろうか、じんわりと熱が伝わってくる。そして、鼻腔をくすぐる豊かなコーヒーの香り。


「いただきましょうか」

「はい。いただきます」


 ルーチェが静かに両手を合わせた。

 さくっ、という小気味いい、トーストをかじる音が響く。


(食欲はあるようですね)


 ユッカは横目でルーチェを確認すると、コーヒーを啜った。やわらかな苦みの後にはっきりとした酸味を感じられる味わいだ。

 己が淹れる分には苦さが強めのものが多いが、外で飲むときは酸味の強いものも好んで飲む。


 三角形に切られたトーストにはしっかりと焦げ目。熱で融けたバターが焦げ目を覆い、輝かせている。

 ざくっ。

 適度な焦げ目が生み出す香ばしさとは旨みに他ならない。


 次に、サラダ。

 量は少なめだがレタス、きゅうり、ハム、トマトが入っていて、オレンジ色のドレッシングがかかっていた。

 ぽりぽりときゅうりを咀嚼する。


(瑞々しくて美味しいですね。ガラスの器に入っているというのもいいです)


 反対に、ヨーグルトは木の器に入っていた。

 中央にはぽってりとブルーベリージャムが乗っている。


(重ためのヨーグルトとは、なかなか珍しい。もしかして自家製でしょうか)


 考えながら食べ進めるユッカ。

 ルーチェもルーチェで黙って咀嚼しているので、会話はない。


「……」

「……」


 ぺりぺりとゆで卵の皮を剥きはじめたところで、ようやくルーチェが話しかけてきた。


「あの、ありがとうございます」

「はい?」


 すると、ルーチェは体ごとユッカに向けて、頭を下げる。


「おじ……イトさんから僕の話を聞いたんでしょうか。ご心配をおかけしてすみません」

「いえ。わたしは、貴方が寒そうにしていたのでお誘いしたまでです。あなたの事情に興味はありません」


 淡々と答えるユッカ。

 お節介をされたと考えていたらしいルーチェの表情が和らいだ。

 事情を聞かれたら話すつもりでいたのだろうが、あいにく、ユッカにとってそれはサービス外だ。


「トースト、美味しいですね。焼き目は薄い方が好きだったんですが、これからはしっかり焦げ目派になりそうです」

「そうですか」


 ルーチェが、ざくっ、ともうひと口頬張る。

 

「……ユッカさんは、ふしぎな方ですね」

「?」

「イトさんのことをどこまで知っているかは分かりませんが、今まで、イトさんに助けられてきた人たちとは決定的に違う気がします。その、何ていうか……気を害さないでいただきたいのですが」


 わずかに言い淀んで、ルーチェは続けた。


「救われたいという雰囲気がどこにもない気がします」


(救い……)


 ユッカは目を閉じる。


(その通りでしょう。最後にそう思ったのがいつだったか、思い出せないのですから)


 ルーチェはよく観察している、とユッカは感心する。

 寧ろ、イトと似ていると評するべきか否か。


「面白いことを言いますね」

「すみません。出会ったばかりの方になんてことを」

「いえ。お誘いした甲斐があったというものです」


 ユッカはくすりと笑みを零す。


「イトとはたまたま出会い、彼が強引にわたしについてきただけの関係です。そのうち袂を分かつでしょう」

「貴女は本当にふしぎな方だ。……イトさんの正体はご存じなんですよね」

「知っていることと興味があることは、別の話です」


(わたしの正体を知られても困りますからね)


 イトとユッカは勇者と魔王であり、決して相容れないのだ。


「……」


 ルーチェはそれ以上追及してこず、ホットカフェオレに口をつけた。


「聞き流してもらってかまいませんが、イトさんと働いている以上、知っておいた方がいいと思うので言いますね」


 ホットカフェオレを見つめたまま続ける。 


「以前『夜明亭』に現れたという謎の存在。それは、魔物ではなく、神の属性に近いものだったようです」




   ◆




 居室に戻ってきたユッカは、水通しをして乾かしておいた黒い布を取り出した。

 一度縮んだ状態で裁断することで、歪みなく服を縫うことができるのだ。


 テーブルに布を広げ、その上に型紙を置く。印をつけて、はさみで裁っていく。

 じゃき。じゃきん。


(……神の、属性?)


 ルーチェから言われた言葉を反芻する。


(考えてはいけない。考えては)


 布を待ち針で仮留めして、ミシンにセットする。

 足踏みミシンは、ペダルを踏む強さで針の進み方が変わる。

 ざっざっざっ、と縫い合わせていく間は、作業に集中できる。

 無心に作業したおかげで、最短でワンピースが縫い上がった。そのままトルソーに着せて眺める。

 型紙は同じで布の種類だけが違う何着目かのワンピースだ。


(もしかして、イトが生き返ったことと、何か関係があるのでしょうか)


 作業が終わると、考えないようにしていたことが再び浮かんでくる。

 ユッカは打ち消すように首を横に振った。




   ◆




「ルーチェは中央へ戻ったみたいだ」


 ランチ後の『夜明亭』。

 グレたは休みなので、店内にはユッカとイトのふたりだけだ。

 床にモップをかけながら、イトが呟いた。


 ユッカがルーチェと喫茶店に行ってから数日が経っていた。

 当然のように、そのことはイトへ話していない。


「そうでしたか」

「休むように言ったけど、聞いてもらえなかったよ。僕には想像がつかない。他人から、さばききれない量の仕事を押し付けられて、誰も助けてくれないという状況なんて」


 とつとつとイトは続ける。


「静かな庁舎で理由もなく延々とどなられたりだとか、自分が作業しているときに絶え間なく舌打ちをされるとか……」


 どうやら何とか聞き出せた情報のようだ。

 しかしそれもほんの一部でしかないだろう。


 ふぅ、とユッカは溜め息を吐き出す。


「たとえ身内とはいえ、他人にできることには限界があるものですよ」


 とはいえいつまでもイトの表情が暗いままでは困る。

 

「夜営業まで時間がありますし、たまには外へ出ましょうか」




   ◆




「魚がいいな、魚。ムニエルでもいいし、アクアパッツァなんてのもよさそうだ」

「最近肉系が多めでしたからね」


 ユッカとイトが河川敷を歩いていると、前方に誰かが立っていた。


(あれは、もしかして)


 ユッカたちの姿を認識して、帽子を取ると頭を下げる。

 ルーチェ青年だ。


「ご無沙汰しています」

「こんにちは。こんなところで、どうしたんですか」


 ルーチェは


「正式にリコルドの担当になりました」


 ぽかん、とユッカは口を開けた。


「謎の存在の究明のため、正式に辞令がおりました。よろしくお願いします」

「そうなの!? そっか、中央から出られたんだね。ひとまずよかったよ」


(呑気なことを)


 ユッカはこめかみを抑える。

 イトだって聞かされている筈なのだ。


 神の属性に近い存在。

 その意味すること。


(やはり、いつでもリコルドを出られるように、荷物はまとめておかねば)


 不意にユッカは、ルーチェの視線の先がイトではないことに気づく。

 ルーチェはそんなユッカと目が合うと、にこっと微笑んだ。

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