4-4 ジンジャーシロップ
◆
「さて、グレタさん。今日は約束通り、かんたんな作業をしてもらいます」
「は、はい。よろしくお願いします」
グレタが勢いよく、深々と頭を下げた。
ユッカは買い物袋からしょうがのかたまりを取り出す。それだけでほんのりと香りが立った。
「ふしぎな形ですね」
「根っこの部分ですから」
すると、グレタはまじまじとしょうがを見つめた。
畑に行かなければ、もしくは、売っているところを見なければ分からないものはたくさんある。物によっては売っているところを見ても何なのか分からないものもあるだろう。
「はりがあるものを選んでください。皮は薄いので、わたしは敢えて剥かずにすりおろしにします。皮と実の間に多く香りの元を含んでいるので、その方が、しっかりと香りを感じられるからです。おろしたときの汁も取っておきたいので、捨てないように」
「は、はい」
グレタの表情が緊張でこわばる。
しょうがを受け取り、丸いおろし器の中央、盛り上がって突起のついている部分にしょうがを押し付けると、ぐるぐると回しはじめた。
じょりじょり。じょりじょり。ごりっ。
しょうががどんどんすりおろされ、おろし器の外側の溝にはおろし汁が溜まってくる。
「……できました」
「ありがとうございます。すりおろしはそれくらいで充分です」
グレタはしょうがのにおいがついた指先をくんくんと嗅いだ。
染みつきはしないが、なかなか強力な香りでもある。
「もうひとつしょうがを用意しました。こちらはジンジャーシロップを作ろうと思いますので、薄く、輪切りにしてもらえますか」
「はいっ」
今度は、ペティナイフを握りしめて緊張するグレタ。
「気負わなくても大丈夫ですからね」
ユッカが声をかけるも、グレタは歯を食いしばり真剣だ。
最近はぴんとしていた背筋も今は丸めて、カッティングボードと距離が近い。
(……わたしも、最初はこんな風だったでしょうか)
怪我をしそうになったら止めればいいだろうと、ユッカはとりあえず黙って見守ることにする。
すと。すと。すと。
グレタは時間をかけ、しょうがを丁寧に一枚一枚薄切りにした。
「ど、どうでしょうか」
「ありがとうございます。では、鍋に移してください」
「はい」
たっぷり嵩を増したしょうがが鍋に移されたところで、ユッカは大量に砂糖をまぶした。
「ぎゃっ」
グレタが小さな悲鳴を上げる。
「クッキーだって大量に砂糖を使いますよ」
「それはそうなんですが、びっくりしますね……」
「砂糖は、甘みをつける以外にも様々な役割があります。保湿性や保水性があるので、食べ物をしっとりさせてくれたりとか、加熱すると色がつくので美味しそうに見える効果もあります。防腐効果もあるので、へたに減らすとまったく別の料理ができあがることもあります」
しょうがから水分を出すために、このままなじませておきましょう、とユッカは説明した。
グレタはちらちと鍋に視線を送っているが、目に見えて水分が溢れてくるようなものではない。時間をかけてゆっくりと、砂糖の効果で脱水させるのだ。
「それでは、次はにんにくです」
ユッカは買ってきた袋からにんにくのひとつを取り出して、色んな方向からグレタへ見せた。
「しょうがと同じ。色がきれいで、はりのあるものを選びましょう」
左手ににんにく、右手にペティナイフを持ち、実践しながら説明する。
「まずは根元をナイフで取ってから、皮を剥きます」
がっ。硬い根を、ナイフを滑らせないように慎重に取り除く。
「皮を剥いてもらっていいですか?」
「はい」
ユッカがグレタの手のひらへにんにくを乗せる。
ぺり、ぺりぺり。乾いた音を立てながら、グレタはにんにくの皮を剥がした。
「ひとかけらを外したら、まずは、縦に切ります。そうすると、中央に黄緑色の芽が見えます。刃の根元の方、角を使って、掬うように取り除きます。これはえぐみの原因と言われています」
ユッカが先に示して、グレタも後に続く。
ぐいっ、と細い芽を取り外す。
「既に手がにんにく臭いですね……」
「そういうものです。今日はにんにくも具材のひとつにしたいので、半分は薄切りにします。もう半分は肉の下味に使いたいので、しょうがと同じくすりおろしでいきましょう」
グレタは慎重に、丁寧に、にんにくの下処理を進めた。
もちろんユッカがやれば倍以上のスピードで終わらせることはできるが、それは想定の範囲内だ。
「今日のメイン料理はポークステーキにします。合わせ調味料は、先ほどすりおろしたしょうがちょっととにんにくたっぷり、しょうゆ、酒、みりんとトマトケチャップが隠し味です。先に合わせておいて、焼くときにフライパンへすぐ入れられるようにしておきます」
からんころん。
そこへ、イトが入ってきた。
「おはよう~。あれ? グレタ? 今日は早いね」
「おはようございます! 今日から仕込みもちょっとずつ教えていただくことになりました! よろしくお願いします!」
「へぇ、そうなんだ。がんばって」
イトがシャツの裾をまくると、キッチンへ入ってくる。エプロンを身に着けて、手を洗いはじめた。
「おはようございます」
「うん」
「今日はポークステーキです。キャベツの千切りをお願いできますか」
「お安い御用さ!」
ユッカの隣に立つと、イトはぽそっと呟いた。
「昨日はありがとう」
キャベツを水洗いして、千切りしやすい枚数ずつちぎり、丸めるイト。
ととととと軽やかに、まるでリズムを刻むように見事な千切りを続ける。
「何のことでしょう」
「おかげでルーチェと話ができたよ」
「そうですか」
しかし、ユッカは河川敷でうなだれていたルーチェを見ている。
平和的な話し合いだったとは思っていない。
不意にイトが火のついていない鍋に気づいた。
「あれ? ジンジャーシロップ?」
「はい。そろそろよさそうですね」
ユッカも鍋の中身を確認する。
しょうがから水分が出てきて、きらきらと煌めいている。
焦げてしまわないよう、ある程度水を足し、そのままコンロに火をつけて熱していく。
たちまち、にんにくを上回るしょうがのにおい。
「いいにおいだ」
「今のうちに瓶も煮沸消毒しておかないといけませんね」
ユッカは上の棚から瓶を取り出す。そして、大きな鍋に湯を沸かしはじめた。
合わせ調味料を作り終えたグレタは、店内の清掃に入っていたが、ぴたりと手を止めた。
カウンター越しにユッカを見てくる。
「なんだか、甘いのにぴりっとするにおいがします」
「今、ジンジャーシロップを煮詰めているところです。無事完成したら、皆で味見をしましょう」
「はい! がんばります」
やがて、黄金色に輝くジンジャーシロップを、煮沸消毒して乾かした瓶へ入れる頃には、開店の時間も差し迫っていた。
キッチンには山盛りの千切りキャベツと、肉屋から届けられ、下処理を終えた分厚い豚肉。
その他諸々の仕込みを終えたイトの額にはうっすらと汗が滲んでいる。
「掃除、終わりました」
「ありがとうございます」
外へ掃除道具を片付けに行ったグレタが店内へ戻ってきた。
「グレタさん、炭酸水は飲めますか?」
「はい。少しくらいなら」
「それでは出来上がったばかりのシロップを使って、ジンジャーエールを作りましょう」
「やったー!」
何故だかイトの方が快哉を上げた。
なおイトへ尋ねなかったのは、炭酸水を飲めると知っているからである。
細長いグラスの五分の一くらいの高さまで、とろりと煮詰まったジンジャーシロップをレードルで流し入れる。
氷を少し入れてから炭酸水を注ぎマドラーでかき混ぜれば、ジンジャーエールの完成だ。
「どうぞ。グレタさんの輪切りしたしょうがで作った、ジンジャーエールです」
「ありがとう、ございます……」
「イトもどうぞ。汗を拭いてから飲んでくださいね」
「はーい!」
ごくり、とグレタの喉が動く。
ぷはぁと息を吐き出したところで、薄桃色の瞳をきらめかせた。
「すごく、すごく美味しいです!」
「それはよかったです。今日も一日、宜しくお願いしますね」
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