4‐2 僕がそう思うから

   ◆




 ユッカが『夜明亭』へ戻ると、ルーチェの姿はなかった。


「おかえりー……」


 イトは珍しくテーブル席に突っ伏してぐったりとしている。

 再会した孫から質問攻めにでもあったのだろうか。


「残ったご飯でおにぎりを握ったんだけど食べる? どうせ何も食べてないだろ」

「はい。お言葉に甘えていただきます」


 ユッカはおにぎりをいただこうと、イトの向かいに座った。


「お孫さんは?」

「いろいろと確認してもらった後、役所へ行ったよ」


 のろのろとイトが立ち上がる。

 キッチンに置いていたらしい、ガラス蓋つき皿をテーブル席へと運んできた。

 丁寧に海苔の巻かれた三角形のおにぎりがふたつ入っている。


「あなたでも詰めが甘いことがあるんですね」


 これは、派遣されるのが孫という可能性を考慮していなかったのか、という意味である。


「おっしゃるとおりでゴザイマス」


 イトは座ると、口を尖らせた。

 両手を伸ばして、大きく後ろに反り返る。


「あぁー。ルーチェは出張要員じゃない筈だって甘く見ていたのは事実だ」

「貴方にしては演技が下手すぎてびっくりしました」

「僕はアクシデントに弱いんだ」


 たしかに先ほどの状況は完全にイトの敗北だ。

 ユッカの表情から何かを読み取ったらしく、今度は前のめりになる。


「安心して。ユッカの正体については説明していない」

「当然です。しかしお孫さんはそれで納得したんですか」

「『おじいちゃんって困ってる人を拾いがちだよね』って言われて納得された」


(……それでいいんでしょうか。いえ、わたしとしては都合がいいのですが)


 それ以上言及するのはやめて、ユッカはおにぎりへ手を伸ばした。

 どっしりと重たい。


「いただきます」


 海苔はご飯の水分を吸ってしっとりとしていた。

 中身はオイル漬けのツナとマヨネーズを和えたもの。生臭さはなく、どこか甘じょっぱくて冷たいご飯に合う。握り加減もユッカ好みで、米粒が潰れておらずふっくら感を残している。


「美味しいです」 

「よかった」


 イトもおにぎりへ手を伸ばす。


「いただきます。うん、美味しい美味しい」


 ユッカは咀嚼しながら考える。


(とはいえ、いつでもリコルドから出る用意はしておかないといけませんね)


 やはり魔王と勇者が共にいるということはおかしいのだ。

 最近はイトに流されすぎていたと、何度目かの反省をする。


「……出て行こうなんて考えたら駄目だよ」


 イトが、まるでユッカの考えを見透かすように言った。

 ユッカはゆっくりとおにぎりを飲み込む。


「あなたには関係のないことでしょう」

「関係ある。僕は君と食堂をやっていきたいんだ」

「何故ですか」


 イトの眉毛が下がっている。束ねた髪はうなだれたしっぽのようだ。


「……」


 顔を上げたイト。

 エメラルドグリーン色の瞳には、絶対に譲らないという意志がある。


「いろいろあるけれど、僕のレシピを再現できるのが、君だからだ」


 イトは立ち上がると空になった皿をキッチンへと運んだ。

 その姿を見つめて、ユッカは深く溜め息を吐き出すのだった。




   ◆




 それからしばらくは『夜明亭』もほどほどに忙しく、ルーチェも現れなかったため、表面上は変わらない日々が続いていた。


「しまった。卵が足りなくなりそう」


 キッチンでイトが声を上げた。


「うわー、在庫計算を間違えていたみたいだ。ちょっと買ってくる」

「お願いします」


 昼のピークは過ぎたので、ユッカもイトの判断に任せた。

 夜営業に向けての仕込みもある。動けるときに動いておいた方がいい。


「いらっしゃいませ。何名様ですか」

「一人です」


 数日前に耳にした声。

 ユッカがキッチンから入口へ顔を向けると、立っていたのはルーチェだった。

 今日は魔法協会の制服ではなく、ぱりっとしたシャツにきちんと折り目のついたパンツ姿だ。


「カウンターへどうぞ」


 何も知らないグレタが、ユッカの目の前になるカウンター席を案内する。


「いらっしゃいませ」

「今日のランチセットをひとつ」

「かしこまりました」


 今日のメインは、ポークジンジャーだ。


 薄切りの豚もも肉には、塩こしょうで下味をつけてから片栗粉をまぶす。

 鉄のフライパンに油をうすく敷き、温まったところで肉を乗せると、じゅわーっという音が立ち昇った。

 火を入れすぎると肉がかたくなってしまうが、焼き色はしっかりとついていた方がいい。タイミングを見計らって両面を焼き上げると、合わせ調味料をフライパンへ流し入れた。

 じゃわっ!

 合わせ調味料は、しょうがのすりおろし、しょうゆ、はちみつ、酒、みりん。

 照りが出てきたら火を止めて、プレートの千切りキャベツの上に肉を置き、タレをたっぷりとかける。

 キャベツの横にはプチトマトとポテトサラダ。

 それから、ココットに入ったキャロットラペ。これらの副菜はイトが仕込んでいたものである。


「お待たせしました」

「おぉ。美味しそう」


 カウンター越しにユッカがランチセットを提供すると、ルーチェは瞳を輝かせた。

 ぱんっ、と両手を合わせる。


「いただきます!」


 ルーチェが大口を開けて、ポークジンジャーを頬張る。 


「はふ」


 ふわっ、とその表情が和らいだ。


「……おいひい」


 整った顔に似合わない、子どものような破顔。

 そのまま黙々と食べ進めていく。

 半分くらいになったところで、ルーチェは顔を上げた。


「あの、今日はおじ……イトさん? はいないんですか」

「買い出しに行っています。そのうち戻ると思いますよ」

「そうですか。すごいですね、店主さん。イトさんのポークジンジャーと同じ味がします」

「レシピ通りに作っただけです」


 先日イトに言われた言葉を思い出して、ユッカは苦虫を嚙み潰したような表情をする。


「それでも、こんなに美味しいものは久しぶりに食べました。お肉が香ばしいのにやわらかくて、しょうがのぴりっとした味付けがまた、いい。トマトピザも追加していいですか?」

「承知しました」


 イトのいない分、ピザを焼くのはユッカの役目だ。

 寝かせておいたピザ生地を冷蔵庫から取り出して、麺棒で円状に成形する。 


 トマトソースにはたっぷりのすりおろしにんにくが入っている。

 セミハードとフレッシュ、二種類のチーズを用意。


「今戻ったよー。あれ、ルーチェ?」


 そこで、勢いよくイトが帰ってきた。


「お邪魔してるよ」

「びっくりした。仕事はひと段落したの?」

「うん」


 イトがルーチェへ話しかけながらキッチンへと入ってくる。

 ユッカへ差し出してきた布袋にはぎっしりと生卵。絶妙なバランスで積まれている。


「店内も空いていますし、彼の隣に座って先にまかないでもどうですか」

「いいの?」

「ちょうどルーチェさんからトマトピザの注文をいただいたところです。一枚焼くのも二枚焼くのも一緒です」

「それならお言葉に甘えようかな」


 話しながらもユッカはトマトピザを仕上げた。

 二枚のトマトピザを、ピザピールを使って窯へと滑り込ませる。


「ユッカの料理は美味しいだろう」


 イトがルーチェへ話しかけている。


「久しぶりにちゃんとした食事を取ったよ」

「寮生活じゃなかったっけ」

「帰るのが遅いから、冷たくなったプレートしか残されていないし、たいてい力尽きて何も食べずに寝ちゃうんだよ。朝もギリギリまで寝てるし、昼は昼で忙しくてゆっくりできないんだ」

「そりゃいかん」


(喋り方が、完全におじいちゃんのそれですね)


「あまりにも働き詰めだから、たまには気分転換をしてこいって言われてリコルドに派遣されたんだけど……」


 ユッカは聞き耳を立てている訳ではないが、イトの声が大きすぎて聞こえてきてしまうのだ。


「あの、お皿洗い、します」

「グレタさん。お願いします」


 グレタは来客が落ち着いたのを見計らい、昼営業終了を告げる札を玄関にかけてきたようだ。

 尋ねてはこないがイトと最後の客が顔見知りだと分かって、気を利かせたらしい。


 そうこうしているうちに焼き上がったピザを、ユッカは席へと運んでやった。

 ガーリックの香りは遠慮など知らないように食欲を連れてくる。


「いいにおいだ。本当に……」


 すると、ルーチェの瞳からぽろっと涙が零れた。


(?!)


 突然のことにユッカはたじろいだが、イトの行動は早かった。

 ぎゅっとルーチェを抱きしめたのだ。


「よくやった。よくやってるよ、ルーチェは誰よりも」

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