第四話 ジンジャー&ガーリック

4‐1 ルビーの青年

   ◆




 『夜明亭』が新装開店して、ひと月ほどが経った。

 昼食時間帯の店内は、満席ではないもののそれなりに混んでいる。


「ランチセットひとつ、トマトピザひとつお願いします」


 グレタが、カウンター越しにユッカとイトへオーダーを通した。

 ダークブラウンの前髪をピンで留めて額を出す姿はすっかり定着した。


「はい」

「はいよー」


 ユッカはランチセット、イトはピザに取り掛かる。

 今日のランチセットはオムライスだ。


 しっかりと熱されたフライパンへバターを落として、融かす。

 いろんなにおいの混じり合ったキッチンでも、バターだけはしっかりと鼻が反応してくれる。

 じゅっ!

 それから、卵液を少し落とした瞬間に音を立てて固まれば、フライパンは適温の合図。一気に卵液を流し入れる。


 じゃわーっ!


 卵液の縁がフリルのように変化する。

 卵黄と卵白だけではなく、塩こしょうとちょっとのミルクを入れて、空気が入らないようにかき混ぜた卵液は、外側からどんどん固まっていく。

 全体のバランスを見ながらそっと菜箸でかきまぜつつ、ある程度表面が乾いてきたところで、あらかじめ作っておいたチキンライスをレードルで取り中央に乗せる。


 ターナーで奥の卵を手前に畳み、その勢いでさらに手前へ返す。

 しっかりとチキンライスを覆ったところでプレートへとオムライスを滑らせた。


 ぽってりとケチャップを上に乗せて、ドライパセリを散らす。


「お願いします」


 プレートを木のトレイの左側に乗せる。

 空いている右側のスペースに、コンソメスープとバターロールを置けば、本日のランチセットのできあがり。


「はいっ」


「ピザももう焼き上がるよ」

「は、はいっ」

「グレタさん。慌てなくていいですからね」


 適所適材。『夜明亭』は、この三人でそれなりに回すことができていた。

 ほどほどに、それなりに。

 ユッカの目指す営業スタイルだ。




   ◆




 グレタが休みで、ユッカとイトでランチ営業を回した日のこと。


 お金を数え終わったイトは帳簿に記録をつけ終わると、店奥の金庫へ昼の売上金を持って行った。


 からんころん。


「すみません。お昼の営業は終わりまし――」


 ユッカはキッチンから扉へ視線を向けた。


 すると明らかに客には見えない雰囲気の青年が立っていた。

 ネイビーを基調としたかっちりとした制服。

 左胸には、徽章。金色の鷲。


(……魔法協会の人間。しかも、徽章が金ということは……)


 ユッカは息を呑む。


 勇者が魔王を倒した後の功労は、『勇者のレシピ』だけではない。

 魔法使いの所属する組織を整備したのも、その内のひとつに含まれる。


 この世界の人間すべてが魔法を使える訳ではない。

 多くは血筋によるものだ。


 勇者が現れる以前、魔法使いたちは、自由に魔法を行使していた。

 少なからず、魔法を使えない者たちに対する加害も含まれていた。

 そのようなことが起きないように魔法行使を登録制にしたのが、勇者である。


(とはいえ、生き返って、己の創立したシステムから逃れているのがイトですが)


 青年が制帽を取ると、刈り込まれた短めの金髪が露わになる。

 意志の強さを感じさせる太めの眉。

 瞳の色は燃えるようなルビー。


「魔法協会中央支部のフィオーレと申します。先日こちらの店内で発生したという不可思議な現象の調査に参りました」

「……あ、あぁ。そうでしたか」


 ユッカは警戒をほんのわずかに緩めた。


(イトが匿名で中央へ報告を入れていた、例の件ですか。動くにしても遅すぎでは)


 ミエーレを唆していたごろつきの三人目。

 人ならざる容貌で、イトの捕縛魔法から逃れ、消えた存在のことだ。


 目の前の青年は、ユッカの正体に気づいていない。

 それならば適当に話をしつつ、調査をして、帰ってもらえばいいだろう。


「詳しくお話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか」

「はい。分かる範囲で。店主のユッカといいます」


「売上入れてきたよ。まかない作ろうかー? ……?」


 そこへ、奥からイトが戻ってきた。


「……」

「……」


 イトとフィオーレ青年の視線が合う。

 そして、ぽかん、とイトが口を開けた。


「彼はイト。ここで働いていま――」




「……おじいちゃん?」




 フィオーレ青年の、動揺と疑問と衝撃をないまぜにした声が、静かな店内に響いた。


(は? 今、なんて?)


 流石のユッカも狼狽えざるをえない。

 肝心のイトはといえば、普段は余裕しゃくしゃくのくせに、視線が明らかに泳いでいる。


「な、なんのことかなー?」


(……っ。演技下手ですか!!)


 ユッカは思わずテーブルを殴りそうになった。もちろん衝動は抑えた。


「どうしてこんなところにいるんだよ。っていうかその姿は」

「人違いじゃないか? ルーチェとは初対面だよ」


(……お名前、ルーチェっていうんですね)


 イトのあまりの大根役者ぶりに、天井を仰ぐユッカ。

 ルーチェ・フィオーレ氏は当然ながら今の発言でイトが勇者だと確信したようだ。


「死んでなかったなんて……。そうだよね。おじいちゃんがそう簡単に死ぬはずないもんね」


(いやいや。孫、理解が早すぎやしませんか?)


 ユッカはイトとルーチェを交互に見遣る。

 当のユッカでさえ、イトが若返って生き返ったことはなかなかの衝撃だった。


 今の見た目では、イトは祖父どころか弟のようである。


「そうか。だから匿名だったのか。そのおかげで派遣許可が下りるまでに時間がかかったんだよ。真偽を確かめるためにいくつも手続きが必要だったんだ。おじいちゃんが名乗ってくれていたら、翌日にでも来られたのに」

「これだから中央は」


 イトが眉をひそめる。

 どうやら自称・孫に弱い勇者は観念したようだ。


「それで、どうして生き返ったんだよ。しかも若い頃の姿に。あー! 訊きたいことがたくさんあるんだけど!」


 第一印象の真面目で固そうな印象から一転して、ルーチェもまた祖父大好きな孫の立場でまくし立てた。


 ちらっ、とルーチェがユッカを見た。

 ユッカは中途半端に両手を挙げて手のひらを向ける。


「わたしも詳しい話は聞いていませんし、興味もありません。ましてや関わりたくありません。外に出ますので、ごゆっくりどうぞ」

「まかないは!?」


 イトの顔には「行かないで」と書いてあるがユッカの知ったところではない。

 勇者云々に巻き込まれたらユッカの正体も白日の下に晒されるのだ。たまったものではない。


「外で適当に食べます。夜営業までには戻ります」

「ユッカー……」


「ごゆっくりどうぞ。それでは」




   ◆




「あら、こんな時間に珍しい」


 ユッカが手芸用品店の扉を開けると先客がいた。キアラだ。

 豊かな金髪は、今日は頭の高い位置でひとつに束ねている。


「気分転換です」


 端的に答えると、ユッカは壁際の生地を物色し始める。


「ところで考えてくれた? あたしが貴女の服を縫う件」

「無理です」


 振り返らずに答える。相変わらず、ふたりの攻防は続いているのだ。


「諦めないわよ! ユッカってば背も高い死手足も長いし、映えそうなデザインがいくつも浮かんでるんだもの」


(……わたしとしては、早く諦めてほしいのですが)


 ユッカは肩を落とす。


 採寸するということは素肌を見せるということでもある。

 四肢には勇者による封印が刻まれている。決して他人に見せてはならない。


 そして、ユッカがレースの巻をひとつずつ眺めている間に、キアラは会計を済ませたようだ。


「またね」

「はい。今から踊りの練習ですか?」

「そうよ。グレタから聞いてるだろうけど、だいぶ揃ってきたの」


 キアラの声が弾んでいる。

 関係を修復した今、ふたりの仲は昔以上に良好らしい。


「見に来る?」

「いえ、遠慮しておきます」

「それもそうね。本番の最高な状態を見てもらわなきゃ」


 鼻歌混じりにキアラは店から出て行った。


 ユッカも店主に会釈をして外へ出る。

 空が、青い。


(こんなはずじゃなかった、ということばかり増えていきますね)


 イトに巻き込まれてから、知り合いがどんどん増えている気がする。

 これまでの街では、顔見知りはいたとしても名前なんて知らなったというのに。


 深く溜め息を吐き出して、『夜明亭』へ歩き出した。

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