3‐5 そのおかげで
◆
繁華街を抜けて行くと、次第に人の気配は少なくなっていく。
ぴたり、とイトが立ち止まった。
「……」
「もうやめようよ。やりすぎだよぉ」
「そうだよ。このままだとグレタが本当に死んじゃう」
今にも泣き出しそうな女性の声がだ。
そこへ煽るような男の声が被さってくる。
「はぁ? 今さら怖気づいてんのか?」
イトがユッカへと振り返る。
声の聞こえる方を指差すので、ユッカも頷いて応じた。
前庭の雑草が伸び放題の廃墟。
四人はそこにいるようだった。
グレタは地面にうずくまっている。けがの程度は、分からない。
ユッカは拳を握りしめた。
いくら加害者側は遊びのつもりでも加害行為はエスカレートするものだ。死なせるつもりじゃなかった、と言い逃れする人間をユッカは何人も見てきた。
ところが、踏み込もうとするユッカを、イトは右腕を伸ばして制した。
「警邏を呼ぶのにも時間がかかる。ここは魔法で一気に片をつけよう」
「捕縛魔法ですか?」
ユッカは『夜明亭』のごろつきを捕らえた魔法を思い出す。
イトが頷き、呪文を紡ごうと手を広げたとき。
ざっ。
(……!)
ユッカは五人目の姿を確認した。
イトもまた、その手をすっと下ろす。
ざっざっ、と雑草を踏みつけながら、ふたりの脇を通っていったのは――キアラだった。
「おっ、いいところに来てくれたな」
「キアラぁ……」
まだ威勢のいい男と、弱々しい女の声。どちらもキアラの登場にほっとしているようだった。
「いい加減にしなさい」
キアラの強い声が辺り一帯に響いた。
ユッカは静かに瞳を閉じる。
(やはり……キアラさんは、どちらも守ろうとしていたのですね)
グレタがひどい目に遭いすぎないように見守りつつ、取り巻きたちが犯罪者とならないように目を向けていたのだろう。
しかしグレタの様子を見ていると、それももう限界だ。
「ど……どうしてだよ」
一方、ついに男は己のしていることを自覚したようだった。
「おれたちはキアラのためにやってきたのに!」
「言ったでしょう。小細工をしなくても、乙女役に選ばれるのはあたしだと」
「く、くそ……。馬鹿にしやがって!」
男の手元に何かが光った。刃物だ。
「まずい! 『――」
イトが呪文を紡ぎ、ユッカは駆け出す。刹那。
びたんっ!
大きな音と同時に、男は前のめりに倒れていた。
「……キアラを……傷つけようとする人は……許さない……」
グレタが男の両足を掴んでバランスを崩させたのだ。
その顔面は血まみれで、前歯が折れている。水もかけられたのだろうか、前髪からぽたぽたと水滴が滴り落ちていた。
瞳は隠れていたが、しっかりと男の足を抱えている。
「グレタ……」
キアラは呆然と立ち尽くしていた。
へらり、グレタがキアラを見上げて笑った。
「ごめんなさい。もう目の前に現れないって言ったばかりなのに」
「ふざけないで!」
さっきまで余裕に見えたキアラだったが、声も体も震えていた。
心なしか頬も赤い。
「あんたっていつもそう。自分のことは後回しで、他人のことばっか。いい加減にしてちょうだい!」
「ごめん。でも……」
グレタはほんのちょっとだけためらってから、はっきりと言葉にする。
「そのおかげでキアラを守れたよ」
そこへ、ぱちぱちぱちと両手を叩きながらイトが室内へ入っていく。
ユッカは小さく溜め息をついた。
「よく言えたね」
「……イト、さん?」
イトはしゃがみこんでグレタに目線を合わせる。
「『――』」
ぶつぶつと何かを呟いている内容が治癒魔法だと気づいたユッカは、とりあえず、男をグレタから引き離して椅子に座らせ、四肢を縛ることにした。
女二人は抱き合って震えているので放っておく。
「あなた、魔法使いなの」
キアラがイトへ尋ねた。
どうやらグレタの顔面は元に戻ったようだ。イトの力をもってすれば、けがなんて一瞬で治る。
「たまたま治癒魔法だけ得意なんだ。周りに知られると面倒だから、内緒にしててくれないか」
立ち上がったイトが片目を瞑って答えた。
言葉に潜む意図を理解したようで、キアラは両腕を組む。
「分かったわ」
ユッカは怯える女取り巻きたちを見下ろす。
こういうとき、表情に乏しいと一層の効果があることはよく知っている。
「あなたたちも、ですよ」
「は、は、はい……」
彼女たちも彼女たちで、男ひとりを軽々と担いだユッカに怯えているようだ。
これで今回の件はいい意味でも悪い意味でもなかったことになるだろう。
「さて、わたしは先に帰ります」
「えっ!?」
「何故あなたが驚くんですか、イト」
ユッカはわざとらしく目を丸くするイトへ冷たい視線を向けた。
「これ以上面倒事に巻き込まれるのは嫌なので、『夜明亭』でオムライスの準備をしておきます。……四人分の」
「了解」
廃墟の外に出ると、夕陽が目に染みて眩しい。
目を細めてユッカは青空を仰いだ。
◆
ユッカは『夜明亭』に戻り、店内の照明をつけた。
とぷんっ。
米はボウルの中で十分水に浸かっている。
棚に飾っておいた『勇者のレシピ』を手に取り、ぱらぱらとめくる。
(米の炊き方。米を研ぎ、しっかり浸水させた後、米の重量の1.2倍の水で炊く……)
書かれている内容を指でなぞる。
(イト。あなたは、どんな想いでこの本を書き上げたのでしょうか)
異世界へと招かれ勇者となった青年は、二度と帰れない故郷を想ったのだろうか。
もしくは、ただ単に、食欲の結集か。
どちらにせよ、ユッカがそれを尋ねる日は恐らく来ないだろう。
ざぱー。米の水気を切って、鍋へと移す。静かに水を計量して注ぎ入れて蓋をするとコンロに火をつけた。
ぶくぶくぶく……
しばらくすると水が沸騰してきた。ガラスの蓋めいっぱいまで泡が盛り上がってくる。米の炊ける、ほのかに甘い香りが立ち昇ってくる。
時計を確認しながら、ユッカはしばらくその香りを味わった。
◆
「いよいよ明日だね」
「はい、そうですね」
ユッカは湯を沸かしながら言った。
イトは、イトで、念入りにテーブルを水拭きしているところだ。
あっという間に時は過ぎ、ついに明日は『夜明亭』新装開店の日だ。
前庭の雑草も抜き終わった。
それから、今回は事前告知も完璧である。
からんころん。扉が開く。
「クッキー、配り終わりました!」
息を切らせながら店に入ってきたのはグレタだ。
紆余曲折の末、グレタは『夜明亭』のホールスタッフとして働くことになったのだ。
黒い膝丈のワンピースに白いカフェエプロンが映えている。
「皆さん、新装開店をとても楽しみにしてくださっていますよ」
空になった籐かごを受け取り、ユッカは言う。
「お疲れさまです」
「今日はこれで上がっていいよ。これから聖女祭の打ち合わせだろう?」
「はい、すみませ……ありがとうございます。着替えてきます」
ぱたぱたとキッチンの奥へ駆けて行く。
からんころん。再び、開店前の扉が開く。
「グレタ。迎えに来たわよ」
そこへ現れたのはキアラだ。今日も完璧な装いで、華やかである。
「グレタさんは着替えにいったので、少し待っててくださいね」
「……ユッカ」
「? 何でしょう?」
キアラにじろじろと見られて、ユッカは首を傾げた。
「今度、あなたの制服も縫っていいかしら」
「お気持ちはうれしいですが、裁縫は数少ないわたしの趣味なので、遠慮しておきます」
「それなら普段使い用のワンピースでも」
「いえ、クローゼットがいっぱいなので」
ユッカは全力で断ったが、顔を合わせる度にこのやり取りは繰り返されていた。
なお、グレタの制服を縫ったのはキアラである。
その流れを汲んでキアラはユッカにも衣装を縫いたいらしい。
「ごめん、キアラ。迎えに来なくていいって言ったのに」
「謝らないで。あたしがそうしたいから迎えに来ただけよ。行きましょう」
「うん。ユッカさん、イトさん、お先に失礼します」
グレタとキアラは仲睦まじく『夜明亭』から出て行った。
再び静かになる店内。
コーヒーを淹れながら、ユッカがぽつりと呟く。
「しかし、今年は特例で乙女役がふたりとは。そんなこともあるのですね」
イトは香り立つコーヒーを受け取って、愉快気に言った。
「一番強いのは、ルールを変える側に回ることさ。楽しみだね、聖女祭」
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