3-4 僕がいるから
◆
乗合馬車に揺られてユッカとイトが辿り着いたのは、フィウーメ川の対岸。
そこからさらに歩いた先に目的地はあった。
市場という名の建物には、小さな店がひしめき合っている。野菜、果物、魚、肉。実に色彩豊か。
「面白い食材がたくさんありそうですね」
一通り見渡して、ユッカは感想を述べた。
何故だかイトは神妙そうに腕を組み頷く。
「そうなんだよ。買わなかったけれど餅の専門店もあった」
(また炭水化物……)
ユッカは目を閉じて天井を仰いだ。
「ユッカ?」
「いえ、何でもありません」
米屋を眺め、海苔屋で他の乾物もチェックする。
どの店も常に賑やかな空気が漂っている。喧騒も含めてユッカたちは市場を楽しんだ。
市場の外へ出ると、いつの間にか陽は高くなっていた。
「では、オムライスを食べに行きましょうか」
「うんうん」
市場の隣の小さな食堂に入ると、まだ席は半分くらい空いていた。
とはいえふたりはカウンター席を選ぶ。理由はひとつ、競合店調査という名目で、キッチンの中を覗きたいからだ。
「よさそうな雰囲気ですね」
年季の入った店内は、『夜明亭』と同じくらいの歴史を感じさせる。芳ばしいにおいや何かの焼ける音は、訪れた者の食欲をそそるようだ。
キッチンとテーブルの境にはずらりと酒瓶が並んでいる。居酒屋として利用する客も多そうだ。
ユッカとイトがオムライスをひとつずつ、ランチのセットにして注文したところで、店内に新たな客が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
「二人よ」
「こちらへどうぞ」
聞きおぼえのある声に、ユッカは振り返る。
(……あれは)
キアラとグレタだ。
華やかな雰囲気のキアラは、髪の毛をしっかりと巻いて、化粧もしている。ワンピースは自分で作ったものだろうか、体のラインを美しく見せるデザインの淡いグリーン。
グレタは、今日はちゃんとした綿シャツにハーフパンツを合わせていた。
ふたりで並んで入ってきたものの会話はない。そのまま、テーブル席に案内された。
(またこのパターンですか)
ユッカは敢えて言葉を飲み込もうとする。
「オムライスを食べたい気持ちの方が強いよ」
「何も言っていませんが?」
「心の声が聞こえてきたんだ」
お待たせしました、とオムライスが運ばれてきた。
ユッカの前に置かれたものは卵がしっかりと焼かれたタイプで、上にトマトケチャップがかかっている。
イトの方にはとろとろ卵のタイプ。オムライスの周りにはビーフシチューが注がれていて、まるで、海に浮かぶ小島のよう。
セットのスープとパンも小さめで食べやすそうだ。
「いただきます」
「いただきます!」
スプーンを入れると、すっ、と卵が切れて中からトマト風味の湯気が立ち昇る。
(チキンライスですね。具材は飴色たまねぎと鶏むね肉、マッシュルーム。シンプルながらも最高の組み合わせです。バターで炒めてあるからかコクが強い。その分、卵は塩と胡椒しか入っていないように感じられます)
それから、スープを口に含む。
(コンソメスープにはコーンとベーコン、こちらの玉ねぎは薄切り)
飲み込むと、ユッカはほぅと息を吐き出した。
「……美味しいですね」
「こっちも美味しいよ」
イトが話しかけてくる。
どうやらとろとろオムライスのごはんはチキンライスではないようだ。
わずかに黄みがかっているところを見ると、バターライスらしい。
「バターライスには玉ねぎだけ。その玉ねぎが甘いから、卵は少し塩を利かせている気がする。ビーフシチューは、ほら、見て。お肉がごろっと入っているんだ」
説明をしながら、とろとろオムライスの中身を見せてくるイト。
「言いたいことはそれだけかしら?」
突然、凛とした声が店内に響き渡った。
視線の集中する先は立ち上がったキアラだった。
グレタは俯いたまま、肩を震わせている。
「……キアラの誕生日会に行けなかったことをずっと後悔していたの。それで勝手に気まずくなった私が、全部悪い。……今まで本当にごめんなさい……」
「……」
「あの日、キアラが喜んでくれるといいなって思って、少ないお小遣いでレースやリボンを買っていたの。渡せずにいたけれど、どうか受け取ってほしい」
グレタは、とテーブルの上に、紙袋を置いた。
渋々キアラは中身を一瞥すると眉間に皺を寄せる。
「今の趣味とはかけ離れているわ」
「……やっぱり、そう、だよね。ごめん……」
グレタは、それでも泣かなかった。
「ごめんね、もう二度とキアラの目の前には現れないから。私、家もあらかた片付いたし、お父さんのところへ行こうと思ってる。……乙女役への立候補、やっぱり取り下げてくる」
キアラの表情がさっと変わる。
キアラを見ていないグレタは気づかない。そのまま、店から出て行った。
(……つまり、そういうことでしたか)
キアラとグレタ。
ふたりのぎくしゃくしている様子を見て、ようやくユッカは違和感の正体に辿り着いた。
「ごちそうさまでした」
両手を合わせると立ち上がって、キアラへ近づいた。
「こんにちは。先日はお世話になりました」
「あなた、あのときの。食事を邪魔して悪かったわね」
「いえ。オムライスはとても美味しかったです。それより、追いかけなくていいんですか?」
「……え?」
「会えなくなるのは簡単ですよ。人間の生は、あっという間に終わります」
微笑むユッカは、恐らく場違いだったことだろう。
それでもキアラには伝わったようで、頭を下げると店から出て行った。
「店主さん」
「は、はい?」
「今のふたりの分のお代はお支払いしますね。……こちらの者が」
「僕!?」
イトが素っ頓狂な声をあげた。
「当然でしょう」
「まぁ、いいけどさぁ」
ぶつぶつ文句を垂れつつ、イトは店主へ四人分の支払いを済ませた。
「では行きましょうか」
「珍しく積極的だね」
「……気のせいです」
◆
「移動魔法もまだ使えたんですね」
「うん、まぁ、一応。でも一日に一回しか使えないから、昔に比べたら不便なんだ」
それに一瞬で移動するのは面白みに欠けるだろう? とイトは笑った。
現在ユッカとイトが見上げているのはリコルドで一二を争う立派な煉瓦造りの建物。つまり役場である。
乙女役への立候補を取り消しに現れるであろうグレタを待ち伏せするのだ。
……ところが。
「来ませんね」
「うん。おかしいな。乗合馬車の時間を考えたらそろそろ現れてもおかしくないと思うんだけど」
ふたりは思いあたる可能性のひとつに気づき、顔を見合わせた。
「イト。グレタさんの家は知っていますね」
「こっちだ。行こう」
「はい。ついていきます」
(無事だといいんですが……)
想像するのは最悪な結果ばかり。一刻も早く無事を確認しないと安心できない。
「痛ッ」
走り出したところで足に痛みを感じて、ユッカはうずくまった。
「ユッカ?!」
先を急ぐイトが立ち止まってユッカに駆け寄った。
ユッカの痛みの原因に気づいたのか、イトはユッカの太ももへ手を翳した。
するとやわらかな光が生まれる。
治癒魔法のようで、違う光。
ユッカは俯き、唇を噛む。
(感情の乱れが封印に綻びを生じさせることぐらい知っています。だから)
――だから、心に波風を立てないよう、静かに生きてきたというのに。
他人とあまり関わらないように努めてきたと、いうのに。
ここのところ、約六十年の努力を水泡に帰すような行動ばかりとってしまっている。
「大丈夫だよ、ユッカ。僕がいるから」
イトの言葉には力がこもっていた。
(よくもまぁ簡単に言ってくれますね)
ユッカはわずかに自嘲する。
それに気づいているのかいないのか、イトは光を翳し続けた。
「何度でも世界に繋ぎ止める。君は人間だ」
「……」
ユッカは瞳を閉じた。
……光を受けている部分があたたかい。痛みの波が、すっと引いていくようだった。
やがてユッカはゆっくりと立ち上がる。
「もう平気です。手間を取らせました」
「うん」
イトも、それ以上何も言わなかった。
ふたりは石畳の道を駆けて行く。
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