3-3 クッキーを作る
◆
ユッカが『夜明亭』まで戻ってくると、門扉に誰かが立っていた。
イトではない。彼は、店の合鍵を持っているからだ。
「グレタさん。どうしたんですか」
グレタだ。彼女は、最近ではすっかり前髪をピンで留めて額を見せている。
とはいえ、下がり眉の表情は変わらない。
「すみません、ユッカさん。突然押しかけてしまって……」
「いえ、それはかまいませんが。イトではなくわたしに用事があるということでしょうか」
「は、はい。すみません」
「謝罪を口癖にするのはやめた方がいいですよ。相手につけいる隙を与えやすくなります」
グレタは、驚いたように目を丸くした。
それはユッカがそれぞれと話してみて気づいた違いでもある。
(キアラの口癖は『ありがとう』。グレタは『すみません』。ここから既に対照的なんですよね)
「それで、何でしょうか」
「……お願いがあります。私に、クッキーの作り方を教えてもらえませんでしょうか。お代は支払いますので……」
「いいですよ」
とりあえず中に入りましょうか、とユッカは門扉を開けた。
◆
「先日、広場で配ってもらったものと同じクッキーでいいですか?」
「は、はい。あのっ……本当にいいんでしょうか」
「教えてほしいと言ったのは、あなたでは?」
「それは、そうなんです、が……」
(これは、怖がられていますね)
ユッカにも自覚がない訳ではない。
まして、イトと比較されれば、圧倒的に愛想がないことは認めざるを得ない。
(仕方ありません。それでもなけなしの勇気を振り絞って来てくれたことには、応じましょう)
ユッカは冷蔵庫からクッキーの材料を取り出して、グレタの前に並べた。
「普段、料理はしますか?」
「簡単なものなら……。焼くとか、炒めるとか」
「それだけできれば十分でしょう。では、早速やってみましょうか」
そして即席のお菓子作り教室が始まった。
「バターは冷蔵庫から出したての硬いものではいけません。反対に、融けてしまったものも使えません」
「砂糖はきめ細かいものの方がさくっとした食感に仕上がります」
「卵液は水分です。一気に加えると、ボウルの中の油分と分離します。そうなってしまったら、ほんの少しだけ小麦粉を加えて、水分を吸わせてください」
「小麦粉はふるってだまをなくします」
「小麦粉を入れてから混ぜすぎると、粘りが出て、かたい食感になってしまいます。生地がまとまるくらいで止めるのがいいです」
「出来上がったばかりの生地はバターが緩んでいるので、一度冷蔵庫へ入れて休ませるといいでしょう。小麦粉の粘りも落ち着きます」
なんとかクッキー生地を作り終えると、グレタはぐったりとしていた。
シンクに溜まった道具を洗いながらユッカは声をかける。
「疲れたでしょう。休んでいてください」
「い、いえ。手伝います……」
ユッカが道具を洗い、グレタが受け取り、拭きあげる。
シンクが片付いたところで休ませていたクッキー生地を冷蔵庫から取り出して、ユッカはグラニュー糖のまぶし方を教えた。
「生地を切るときは少しずつ向きを変えながら断つと、潰れずに形を保てます」
「は、はい」
(イトのように教えることはできませんね。わたしはわたしです)
ユッカは、イトとミエーレのやり取りを思い出したものの、すぐに打ち消した。
愛想よくすることは無理だ。人には適性というものがある。
「あとは焼くだけです」
一呼吸おいて、ユッカは、グレタに向かい合った。
「グレタさん。あなたの望みは、何ですか?」
「えっ?」
グレタの瞳が揺らいだ。
「クッキーを焼くことですか? それとも、イトと話す理由を作ることですか? 後者はまずないでしょうね。というかもし後者なら全力で止めますが」
「あ、あの、イトさんには感謝していますが、そんなつもりはありません。おふたりの仲を邪魔しようだなんて」
「そういう関係ではありません」
「すみません! ……あっ」
「今のは『すみません』で合っています」
グレタはもう一度小さく、すみませんと呟いた。
余程ユッカの表情がひどいものになっていたのだろう。
「だけどおふたりってどんな関係なんですか。すごく信頼し合っているように見えます」
「まさか。犬猿の仲です」
「えっ? えっ?」
「わたしの話はどうでもいいです」
(金輪際、説明することもないでしょうが)
「あなたがそのような問いかけをしてきたということは、つまり、ちゃんと話をしなければならない相手がいるんでしょう」
ぴーっ。
オーブンがクッキーの焼き上がりを告げる。
グレタは俯いて、両手を体の前で重ねた。
焼き上げたクッキーは放っておくと水分が飛びすぎて硬くなってしまうので、ユッカは一旦オーブンへ体を向けた。扉を開ければ甘ったるい香りが飛び出してくる。
「いい出来ですね」
グレタはまだ動かない。
ユッカは、クッキーを冷ますため、クーラーへ滑らせる。網の上にしばらく置いておけば、ほどよく味も落ち着いてくるだろう。
「……子どもの頃はよかったんです」
視線は落としたまま、グレタは、言葉も床に落とした。
「キアラとも毎日のように遊んでいました。かっちかちのクッキーを作って笑い転げたこともあったんです。それこそ、ふたりで聖女祭の乙女役を勝負しようって話していたこともありました。……それが、私の母が病気になってから少しずつ変わっていってしまって。父親も、出稼ぎでほぼ家にはいません。私は母親の看病で手一杯になってしまって、自分のことがどんどんおろそかになっていきました」
着るものも、食べるものも。
どんどん自分が後回しになっていく感覚。
……それを、ユッカもまた、記憶のどこかで知っている。
「みすぼらしい、と、クラスメイトたちにいじめられるようになって、お金もなかったし学校は辞めました。どんどんキアラから遠ざかって行って、今では、道で会っても睨まれてしまって会話もできません」
グレタは前髪を留めているピンにそっと手をやった。
「前髪を上げてもらって、気づいたんです。このままじゃよくないって。もう一度、一緒にクッキーを焼けるようになりたいって思ったんです。だから……」
(すれ違ったものを取り戻すことはできないでしょう)
ユッカは、手芸用品店で出会ったキアラの表情を思い出す。
彼女だって根からの悪人ではないだろう。……ユッカの知るところではないが。
(それでも、関係を何とかしたいと勇気を振り絞ったことは称賛に値します)
「応援していますよ」
するとグレタはようやく顔を上げた。
泣き出しそうな、どこかほっとしたような表情になっていた。
◆
「た、大変だ! 大変だよ、ユッカ!」
「入ってくるなり騒々しいですね」
勢いよく『夜明亭』へ飛び込んできたイトが前につんのめる。
カウンター席に座ってコーヒーを飲んでいたユッカは冷たい視線を向けた。
「ふふふ。これを見てまだそんなテンションでいられるかな」
「……!」
カウンターテーブルに置かれた茶色い紙袋の中では白い粒が輝いている。
そして、籐かごに入っているのは、黒くて薄い板だ。
「海苔と、米……。一体どこで手に入れたんですか」
「今までメインの市場しか行ったことがないって話してただろう? 昨日、少し足を延ばして、西にある市場へ行ってみたんだ」
イトが頬を紅潮させながら両手をぶんぶんと振る。
まるで顔に「褒めて褒めて」と書いてあるかのようだ。
「海苔があれば照り焼きチキンピザの完成度が上がるだろう!?」
「えぇ、そうですね。ありがとうございます」
ユッカは立ち上がり、紙袋へそっと手を入れた。
精米された白米だ。掬うと、しゃらしゃらと音を奏でる。
「米も品質が高そうです。価格もそれなりだったのでは」
「それが、農家さんが営んでいるお店だったから、お手頃だったんだよ」
値段を聞いて、ユッカも納得する。
(これなら米をメニューに取り入れることもできそうですね)
『夜明亭』のメニューはほぼ決定している。
昼でも夜でも食べられる、日替わりセットが一種類。
それから一品料理をいくつか。これも、日替わりで入れ替えていく。
常に変えないのは一人前サイズの石窯焼きピザだ。ピザは新しい『夜明亭』の看板商品にするつもりでいる。
「米が手に入ったらどうしても食べたいものがあったんだ」
ユッカは米と海苔を交互に見遣った。
思いつくものはひとつしかない。
「……おにぎりでしょうか」
「おにぎりも食べたいけど、そうじゃなくて。オムライスが食べたいんだよ」
「なるほど」
(グレタさんはかつてこの店でオムレツを食べたことがあると言っていました。進化版としてオムライスを提供するのもいいでしょう。……それにしても)
ユッカは腕組みをする。
(最近、炭水化物ばかり摂取しているような気がしてきました)
ピザ然り、クッキー然り。
さらに今、米が加わった。
「今日の夜はオムライスにしましょうか」
「やった!」
そうと決まれば米は先に研いでおいた方がいいだろう。
ユッカはキッチンへ回ると、ボウルと計量カップを、カウンター越しのイトへ差し出した。
「三カップくらいでいいかい」
「えぇ。お願いします」
さらさらさらー。
すりきりで三杯。重さを後で確認して、炊くときの水の量を計算しようとユッカは考える。
(たしか『勇者のレシピ』のどこかに記載があったはずです)
目の前の著者に訊いてもいいが、そこは、自分で調べたいのである。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
ボウルをイトから受け取って、ユッカは米を研ぐ。ボウルに水を張って、米を優しくこすり合わせるようにして、水が濁らなくなってくるまで繰り返す。
そして、しばらくの間浸水させておく必要がある。
「すぐにご飯は炊けませんが、お昼はどうしましょうか」
「行ってみたい店があるんだ」
「それは、オムライスの?」
「よく分かったね」
研究熱心なイトのことだ。
まずは町のオムライスを食べてみて、『夜明亭』のメニューへどう活かすか考えたいのだろう。
「米を買った市場の近くにある食堂なんだ。少し歩くけどいいかな」
「問題ありません。因みにその店の卵は、どちらでしょう」
「なんと……しっかりタイプも、とろとろタイプも、両方ある」
「すばらしいですね。早速行きましょう。市場も見てみたいです」
そして、ユッカもまた、研究熱心な方なのであった。
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